第263話:執事のお仕事ー15

「――っ!」


 小さく。しかし表情を歪めて、執事は舌打ちした。

 これは明らかな失態だ。予想していたにも関わらず、辺境伯の入れ替わりを阻止出来なかった。


 その対象にマイルズ伯爵というのは想定内でしたが、騎兵槍ランスに貫かれても尚とは。見立てが甘かったようです。

 それに何より、あの声に我を忘れてしまった。こちらに被害がなかったから良かったようなものの、最悪の失敗でした――。


 この戦場に居る中で、執事は最も長い年月を生きている。今回にも劣らない大規模な戦闘を経験したのも、一度や二度ではない。

 生と死の狭間で、底知れぬ意気を発する者。意外な機転や偶然に惑わされることも数多く体験し、その目に見てきた。


 先ほどの辺境伯の叫びが、それらと比較して格段に違っていたということはない。

 そこに込められた想い、感情、気迫といったものは確かに最上級に近かったかもしれないが、執事の経験を覆い隠すほどではなかったはずだ。


 しかし、ゆるりと謎解きをしている場合でもありませんね。


 辺境伯の軍は、力加減を南に集中した。背面や側面の被害は増えるだろうが、国王の孤立するほうが圧倒的に早いだろう。

 だから執事は主人の命もあって、部隊を急速に移動させている。

 考えようによっては国王の正に目の前で手柄を立てることも可能だし、雲隠れされる心配も薄いだろう。悪いばかりではない。


 けれども私が直に、とはいきませんが……。


 部隊指揮の全体は、主人が掌握している。執事はその下で、細かな調整を行っている。言わばいつも通りだ。

 その部隊の中にあって、敵部隊との力関係や陣形が云々を無視出来るだけの戦闘能力を有する者たちも居る。

 それは言うまでもなく影たちであって、ここまでと変わらずに執事が自由に采配出来た。


 辺境伯は大軍を用いて、強力な護衛を備え、自身も最高と呼んで差し支えない技量を奪い取った。

 そこに影たちを主戦力とした部隊を投入するのはいい。彼らであればギールを退けながら辺境伯に接近し、身柄を拘束することも不可能ではない。


 問題は、その最後の部分を誰が行うのかだ。

 主人が直々に行うのが最良であろうが、それは博奕であって勝ち目もほとんどない。

 ウナムやドゥオ、クアトたちは戦い方が異端で、どこで身に着けたものかと詮索されるだろう。これは執事も同様だ。


 考えるまでもありませんか……。


 重装備をものともせず、先頭を駆ける戦士に視線を止めた。

 はぐれて彷徨く敵兵を、走るテンポを全く変えることもなく、鉾槍ハルバードの一撃で切り捨てている。

 おかげで後続の員数外サープラスや一般の兵士は、走る以外にやることがない。


 執事は速度を上げ、全身鎧の戦士に並んだ。


「少々負担が過ぎるかもしれませんが、このままあなたに先頭をお願いします。辺境伯を捕らえなさい。私たちはそのためのサポートに徹します」

「──畏まりました。決して殺さず、なるべく無傷で捕らえてご覧にいれます」


 その戦士。鎧の中の女性は、進行方向を向いたまま言った。

 彼女の答えにあった条件は確かに執事が求めている通りだが、聞く立場になってみればやはり難題ではある。


 こちらの意を違うことなく理解し、実行する算段が出来、実力も伴う。彼女自身がそこに疑いを持っていないのも、声を聞けば分かる。


 セフテムが居れば、彼に頼んでも良かったかもしれませんが。指示通りに実行する確実性という点で、やはり彼女でしょうか。


 間もなく辿り着いた前線は、王軍があとをなくしていた。砂浜まではまだあるものの、河口周辺の柔らかい地盤に差し掛かっている。

 訓練には丁度良いだろうが、実戦では不利に過ぎる。


 国王はユーニア子爵たちの居るのとは反対の、右翼を伸ばしていた。

 今更囲んだところで意味はないが、どうするつもりだろうかと疑問に思う。


 辺境伯も、それに取り合うつもりはないようだ。

 主人が「青い」と評した通り、最後もやはり自分で決着をつけたいらしい。自身を先頭にした突撃隊形を作ろうとしている。


 王軍にもまだ兵数があるものの、効率的な動きは取れない。王の前に防陣を作りたくとも、それだけの距離がない。

 まさか王の足を海水に浸けて守るなどともすまい。


 対して辺境伯の側には、員数も、その質も、動ける余地も多分にある。

 駒取りボードゲームであれば、もう「参った」と言う時期をいくらも越えているのだ。


 このままいけば、辺境伯の手が振り下ろされた時に勝負は決まる。

 しかしそれを覆すのが、ユーニア子爵家だ。当初の筋書きとは大きく違ってしまったが、結果としてより良いものとなった。


「これで私たちの勝ちです。任せましたよ」

「お任せあれ」


 全身鎧の戦士は体を震わせ、鉾槍を横に振る。

 そこには何もないが、彼女は自分を惑わせる余計なあれやこれやを断ち切ったのだろう。執事はそう理解した。


 それが証拠に、彼女はもういつもの通り、顔は見えずとも凍てつくような佇まいで待っている。


 ……やがて。ほんの一瞬、風の音だけが戦場を鳴らしたあと、辺境伯の左腕が上がった。


「これで終わる! ハウゼングロウの名を、泥に晒せ!!」


 憤怒と憎悪で固められた激に、その兵士とギールたちは雄々しい叫びで返す。

 炎と怒りの神、フュディムでさえそんな表情を持った像はない。その顔のまま、辺境伯は頷き、腕を振り下ろした。


「俺に続けええええっ!!」


 猛々しさも極まる突撃の開始に合わせて、穏やかに、静かに、全身鎧の戦士も足を前に運び始めた。

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