第262話:神殺し敗北す

 騎兵槍ランスを用いた、騎士の突撃チャージ。それは一人の騎士が行える攻撃方法で、最高の威力を持つ。

 マイルズ伯爵が神殺しエクスドレイクを為し得たのも、よく訓練されたエコと選び抜かれた騎兵槍あってのことだと言われている。


「辺境伯……! あなたはっ!?」

「く……くく。くくくっ──はははははは!」


 マイルズ伯には、目の前で起こったことが理解出来ていないだろう。あの人だけでなく、きっと辺境伯以外の誰にも分からない。


 伯の槍先は装甲の薄い腹部を、見事に貫いた。胸を狙えというのはそこに何か仕込んでいて、槍の軌道を滑らせる策略だと考えたのだろう。

 しかしその一拍前に、辺境伯は騎兵槍を捨てた。代わりに延長リーチで役に立つはずもない、剣を抜いている。


 全身をマイルズ伯の槍に絡ませるようにして、左手は伯の右腕を掴む。その形相は死線を明らかに越えた負の色をしていて、引き攣った上に浮かぶ哄笑が人のものとは思えない。


「あああああっははははははは!」

「へ、辺境伯……! この──この手を離せっ!」


 マイルズ伯は槍を握る手を離し、渾身の力を以てすれば辺境伯を振り払えたかもしれない。

 でも、そうはしなかった。

 きっとあの顔と声を前にして、手にある武器を捨てることが本能的に出来なかったのだと思う。


「ぬうんっ!」


 辺境伯の剣が、マイルズ伯の喉元を突く。


「くうっ! まだまだ!」


 伯はその刃を首を捻ることで間一髪に躱し、辺境伯を振り落とすべく、なおも槍を振り回した。


 辺境伯の乗っていたエコは、激突したと同時に走り去っている。今、辺境伯の体は、マイルズ伯の槍に突かれたまま宙吊りだ。

 それをあれだけ振り回されても、力尽きずに堪えている。自身の体で槍を食らおうとでもしているように、自分でその食い込みを増している。


「貴様、憎しみの余りに狂ったかっ!」


 伯がそう罵ったのは、そうとも言いたくなるだろうと理解出来る。

 これに辺境伯は、僅か数秒ながらも言葉を失った。気圧されたのでないのは、その表情で分かる。

 あの人の底などない怒りが、言葉として紡がれる間だ。


「……狂いでもせねば、一時たりと立ってもいられぬわっ!!」


 大量に血を吐きながら発せられたその叫びは、オセロトルの咆哮をもかくやと思わせた。

 番いを愛し、語らうように鼻先や首を絡ませ合うあの魔獣。

 人の記憶さえ一時的に消し飛ばしてしまうその魔力にも匹敵するもの。悲しみがそこに含まれていた。


 事実として、その声を聞いた誰もが動きを止めた。

 唯一、辺境伯を除いて。


「ぬんっ!」


 また剣が振るわれて、マイルズ伯の兜を飛ばした。そのことを伯も理解はしたようだけれど、まだ体がついてこない。


「マイルズ伯!」


 先に正気を取り戻したワシツ将軍とメルエム男爵が、二人に向かって駆け出した。

 伯が危ないのはそうだろうけれど、今更何を慌てているのか。


 ──あっ、そうか。


 遅れて気付いた時、辺境伯の手はもう額冠を握っていた。

 腕を掴んでいた左手をようやく離し、今度はマイルズ伯の頭を引き寄せる。もちろんすぐさまそこに額冠を載せ、二人は動かなくなった。


「……ふっ」


 五秒とかからなかっただろう。また顔を起こした時には、マイルズ伯だったその顔面は別人に変わっていた。

 辺境伯だった騎士の体を騎兵槍と共に捨てて、にやと笑う。


「よし、ようやく手に入れた。当代一の騎士の体を」


 将軍と男爵は全く間に合わずに、駆けた距離を後退りする。

 その様子を辺境伯は嘲笑い、そのまま声を上げた。


「イスタム! リリック! これより国王の捕縛にかかる!」


 言い終えると辺境伯は、二人の存在など忘れたかのように視線を切ってエコを走らせ始めた。国王の居る南に向かって。


 そのあとを、自身の脚で追いつく二人のギールが居る。

 更に続く辺境伯の部隊が転進するのを、マイルズ伯の部下たちは呆然と見送った。

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