第259話:戦場のハウスメイド

 ボクたちの位置からだと、辺境伯軍の前線も後方も、どちらにも向かうことが出来た。

 これをどちらに向かおうかと、迷うことはない。決まっているからだ。


 最後方付近の閃光は、まだ時折上がっている。いやこれは、他の場所でもそうなのだけれど。

 その光で、その下に居るのが誰の部隊かが、よりはっきりとしている。

 ワシツ将軍の隊を含めたボクたちと人数のさほど変わらない、ユーニア子爵の本隊だ。


「みゅううっ! どおん!」


 トンちゃんから「突っ込め」と言われたらしいメイさんが、ユーニア隊の戦っているすぐ脇に踊り込む。その後ろから、サバンナさんを姐御と慕う人たちの集団が相手の陣を切り崩していく。


 ギールの姿は見えない。こんなことを言ってはそこに居る兵士たちに申しわけないけれど、戦う難易度が随分と違う。それはもちろんユーニア隊もで、見ている限りではまだ一人の犠牲も出ていないように思える。


 別に、苦戦をしているから手伝おうとか、楽に勝てそうだから便乗しようとか、そういうことでここに来たわけではない。

 セフテムさんの言っていた協力というのを利用するためには、先方がこちらの位置を把握していることも重要だ。どこに居るか分からないでは、そもそも合図が出せないじゃないか――となってはこちらも困ってしまう。


 その為に、なるべく派手に騒ごうという意図があった。


「来たか、みゅうみゅう娘!」


 川の速い流れが岩にぶつかって砕けるように、メイさんの周りから兵士が飛び散っていく。

 それはさすがに戦場の中でも目立ったらしく、すぐにその傍へ寄っていく一団があった。


「お掃除してるみゅ?」

「ああそうだよ。あたいは掃除が大好きなんだと言っただろう? 頑固な汚れを、苦心して落とした時なんかは最高さあ」


 陰鬱なハウスメイドのクアト。その向こうに居るのは、ノーベンという名だった。他は揃いの装備をしているので、幹部でない影だろう。


 しかしクアトは、メイさんが言うように戦場には似つかわしくない物を持っている。

 木柄のモップ。

 確かに掃除道具だけれど、クアトの言う戦場の掃除をするには不向きじゃないだろうか。


「これかい? 鍋を擦るのに、いきなり軽石を使ったんじゃ面白くないだろう。最初はロープで、駄目なら布でって段階を踏むものさ」

「楽しそうみゅ」


 なるほどその話には納得だけれど、では他の得物を持っているんだろうか。とてもそうは見えないけれども。


「ああ、楽しいさね。機会があればあんたにだって教えてやるさ。でも今はこっちだ」


 クアトは、ノーベンや他の仲間が戦っている先に広がる辺境伯軍を指した。ノーベンは話し込んでいるクアトの傍でわざと戦っているようだけれど、あれは彼なりの「お前も戦え」という意思表示なんだろうか。


「まだあんたを、直接どうこうしちゃいけないそうだからね。でも腕比べくらいは、いいだろうさ」

「何するみゅ?」

「簡単な話だよ。それぞれ一人で突っ込んで、なるべく遠くまで行って帰ってくる。距離と、その間に倒した人数の多いほうが勝ちだ」


 ふふん、どうだい。自信はあるかい。みたいな挑発的な顔で見るクアトだったけれど、メイさんはもう聞いていない。


「分かったみゅ、行ってくるみゅ!」


 行ってらっしゃいと言おうとしたとしても、その間はなかった。もうメイさんは、どこまで陣を突き進んだのか分からない。


 女性として標準的な体型のクアトも見えないようで「どこまで行ってる?」とノーベンに聞いていた。


「ええ? 僕が見るの? そんな急に言われても。あ、随分先だね」


 いきなり審判役を任せられてもと抗議していたはずが、その口を閉じる前には一応の答えを言っていた。


「そうかい、でも距離だけが問題じゃないからねえ」


 一人で敵対する集団の中を駆け回るというのは、素早ければ意外と成立する。下手に人数の居るほうが、どこに居るのか特定されやすい。

 そんなことをしている何者かが居るのを、察知されにくいというのもあるだろう。


 しかしもちろん、捕まってしまえばそこからはどうともしようがなくなる。陣を作り、陣を浸透させていくのは、同時に退路の確保でもあるのだ。


 その危険な遊びから、メイさんは間もなく帰ってきた。

 その手や顔はさっきより汚れていたりすることもなく、存分に駆け回った満足感を感じさせるくらいだ。


「何だい? 倒してきたんだろうね」

「いっぱい倒してきたみゅ!」

「そうだね。数え切れなかったけど、百人以上だったよ」


 百人。そんな大勢を腕比べなんて名目で死なせてしまって、喜ぶメイさんだっただろうか。

 クアトはクアトで「百……」と数字を噛み締めている。


「本当にそんな人数を殺したのかい? そうだとしたら、早すぎないかい」

「殺してないみゅ」

「何?」


 今度はクアトの顔に、怪訝な表情が山盛りだ。ボクは逆に、そう言われて「ああそうか」と納得だったけれど。


「ちゃんと倒してたよ。突き飛ばしたり、蹴飛ばしたり」

「突き飛ば……それは転がして倒したって話じゃないのかい?」

「そうだよ。クアトがそう言ったじゃないか」


 メイさんは腰に手を当てて、「えへんみゅ」と得意気だ。その様子にクアトは、何だか少し馬鹿馬鹿しく思ったらしい。


「ああ──そりゃあ、あたいの言い方が悪かったよ。まあそれでも、戦場で地面に倒れるってのは、ほとんど死んだようなものかもしれないねえ。あんたの記録として認めるさ」


 気怠げに言いながら、途中で段々と言葉に熱がこもってきた。言い終えると同時に、モップの先近くにある金具を、ばちんと音をさせて操作する。


「今度はあたいの番だ。ちゃんと数えておくんだよ」


 ぶんと振ったモップの先端。床なんかを拭く部分が、外れて飛んだ。それはノーベンの手に収まり、クアトの手には柄だけが残る。


「さあ行くよっ!」


 メイさんが突っ込んだのと同じ方向に、クアトも進んでいった。右に、左に。木柄の先端が届く度に、兵士たちの血潮が吹き上がる。

 クアトのモップは、その先端を外すと短槍に姿を変えた。

 短槍としても短めの刃は代わりに分厚く、例え骨に当たったとしても、そのまま砕いてしまうだろう。


 メイさんが帰ってくるまでの二倍ほども時間を使ったけれど、この勝負はクアトの勝利に終わった。

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