第257話:黒衣の少女ー13

 暗い──穴の中を歩いていた。

 そこはいわゆる隧道トンネルなのだろう。前と後ろに、果てしなく先が続いている。

 幅も広い。左右に立ち上がる壁が頭上で連結しているのは見えるが、少々を走ったところで触れられる距離にはない。


 ぼろぼろの服を着て、素足で地面を踏む。

 雲を踏めばこんななのだろうかというような、ふわとした弾力。それでいてじめじめと沈み込む感触。

 不快だった。


 立ち止まると、沈む速度が増す。その深さにも、限度はないようだ。しばらく止まっていると、いつの間にか口も鼻も塞がれそうなまでになる。


 地面だと思えたそれは、小さな何かが集まった──やはり何かだった。

 その一つ一つに手があり、恐らく足もある。顔には口だけがあって、それだけで笑っていると分かった。


 何かはフラウの接している部分をまさぐり、噛み、舐めまわす。痛かったり、くすぐったかったり、というまでの感触はない。

 快くもないが、即座に全てを払い除けたいというほどに不快でもない。

 正解に近い言葉は、煩わしい、だろうか。


 濃い霧に包まれているようなものだろう。鬱陶しくはあるがそれほどの実害はないし、手を振るったところで消し去ることなど不可能だ。


 どこに──。


 私はどこに向かっているのだったかと、フラウの中に疑問が起きかけて消えた。

 いくら進んでも、恐らく戻っても、この隧道の端に行き着くことはない。

 それを心の奥底で認識している以上、どこに行くとか何をするとかは、考えたところで意味を持たない。


 そも、深く考えるだけの気力がなかった。


 ブラムの名は、脳裏にあった。

 しかしもう、手を離されたと知っている。頼ることは出来ないし、口を出されることもない。


 そうだ……死ねと言われていたんだった。


 それは一つの希望だった。進むも退くも、指針も依り処もないこの場所に、唯一示された道筋だった。


 死ね──死ぬって何だろう。


 それはきっと、解放だ。自分を縛るあらゆるものとの、繋がりを断つことだろう。

 そうしてしまえば、二度と元には返せない。それは何と素晴らしいことだろう。

 死の意義について、確かそんなものだったとフラウは認識する。


 そこに至る道も、見えてはいるがあやふやだった。そちらへ踏み出すと、それまで関係なく見えていたところが道に見える。


 きっとこっちね。


 自信はないながらもある程度の確信を持って向いた方向が、次には全くの誤りに思える。


 それを繰り返すうちに、死のほうがフラウに近寄ってきた。

 それに姿や形はない。色などもなくて、目に見えるものではない。が、そこにある。

 フラウのすぐ傍に寄って、いつでも来るがいいと大きな口を開けている。


 そうだと分かっているのに、行けなかった。文字通りに死を身近に感じ、そこに行きたいと願っているのに。

 目に見えないそれがフラウを拒んでいるのか、フラウが迷い続けているのか、その区別もつかなかった。


 永遠に薄暗さの続く、この場所。きっと真っ黒に溶けることの出来る、死。

 そのどちらかしか選択肢はないのに、どちらもに拒絶されている。どちらもが、どちらかに居ろと決めている。

 どちらにするか、早く決めろと急かしている。


 居場所がそこにしかないと分かっているのに、落ち着かない。

 針の筵──いや、虫の湧く筵の上といったところか。


 他にどこか、居場所があったのではなかったか。フラウがそう考えることは、出来なかった。

 しかし頭の片隅に、ごく僅かな引っ掛かりのようなものはあった。


 その存在にフラウが気付いたとしても、どう引っ掛かるのか説明すら出来ないだろう。


 幼いころに行った覚えのある、どこか。

 そこが楽しかったのか、興味の湧く何かがあったのかも分からない。どこからどうやって行ったのかも分からない。

 誰しも一つくらい持っているだろう、そんな記憶とも呼べないようなもの。それに似ていた。


 私はどうすればいいのだろう。

 私はどこに行けばいいのだろう。

 私はここに居ていいのだろうか。

 私が何かをしてもいいのだろうか。


 フラウの中のもやもやとした気持ちは、そんな言葉として浮かんだ。その問いの答えなど持っていないし、他の誰かが答えてくれるはずもない。


 途方に暮れるフラウの耳に、何か聞こえた。


 問いの答えではない。誰の声だかも分からない。

 けれども懐かしいような、温かいような、この隧道にはないものを与えてくれる声。


「嘘ばかりの君を……」


 何と言っているのか、はっきりとは聞こえない。それでもその声が、フラウの足を動かしていた。

 その声が聞こえる度に、固まりかけていた体が動いてくれる。


 フラウはまた、新たな方向に歩き始めた。

 この隧道の出口は、まだ見えてこない。

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