第256話:初めての指揮

 日の光はもうなくなって、戦場は闇に包まれていた。風のせいでか雲は少なく、星明かりのあるのがせめてもの慰めだ。

 互いの陣の奥のほうでは篝火を焚いているけれど、それが前線を照らすほどの光にはならない。


「こうなると、ギールの独壇場だろうね」

「王さまは、分かってて受けたんじゃないのにゃ?」


 国王が出てきた時点で、日はもうほとんどなくなっていた。それでも勝てる算段があって、戦いを受けたのではないのかと。

 団長は皮肉で聞いているのではないと思う。


 そんな見込みはなさそうに見えるけれど、普通は何か考えているものなのだから、こちらの気付かない作戦の一つくらいあるのか、と。

 それはそれで、回りくどい皮肉のようでもあるけれど。


「いや、これと言ってはなかろうよ。作戦とも呼べぬが、西の部隊を当てにしていたというのが精々であろうな」


 ディアル侯爵とサマム伯爵の軍勢を相手取っていた、騎士隊と第五軍。それから近隣貴族の私兵による部隊は、ようやくこちらに辿り着いていた。

 カテワルトで簡単な補給を済ませたらしく、プロキス候の隊と同様に町の西門から出たようだ。


 ワシツ将軍の隊が壊滅する様を参考にしたのだろう。国王の居る本隊は、大盾を前面に押し立てて防御一辺倒になっていた。

 西門から出ると、ちょうどその押し合いの側面に力を加えることが出来る。

 ワシツ将軍にそこまでのことは見えていないはずなのだけれど、さすが歴戦の勇士ということなのだろう。


「合図とやらは、まだなのでしょうかね」

「完全に向こう合わせですからねえ」


 ミリア隊長が聞いて、特に実のない返事を返した。

 それから誰も何も言わなくて、不自然な間が生まれる。


 いたたまれなくて、これはどういう空気なのかなとか、何かありましたかとか、色々と含ませようとした結果、


「ええと……?」


という内容のない呟きになった。


 言った途端にボクの頭頂が、すぱんといい音を立てて叩かれる。


「痛っ!」

「いつまでとぼけてるみゃ。お前の考えに乗ってるんだから、お前が次を言うみゃ」

「あ──」


 何だ、そういうことか。みんなのほうこそ、ボクが次に何を言うのか待っていたのか。それは誰も何も言うわけがない。


「で、では」


 ワシツ将軍。メルエム男爵。ミリア隊長。

 我らが団長。メイさん。トンちゃん。コニーさんに、サバンナさん。

 それ以外にも、それぞれの部下やうちの団員たち。


 みんながボクの言葉を待ってくれている。

 たった一人の女の子を、自由にしてあげたい。出来ればその女の子と、ボクはずっと傍に居たい。

 そんな至極個人的な欲求のために動いている、ボクの言葉を。


 唾をごくりと飲み込んで、出来るだけ大きな声で叫ぶ。


「これから、辺境伯の身柄を押さえに行きます! ワシツ将軍や港湾隊としても、それは行うべきことでしょうから協力をお願いします!」

「メイも協力するみゅ!」


 元気よく上がった手と、その人の顔を見て頭を下げる。周りのみんなも、つられて手を上げる。


「こちらは総勢でも三百人少々です。まともに行っては、あのギールたちに阻まれるでしょう。だから申しわけないですけれど、ユーニア子爵家を囮にします!」

「具体的には?」


 男爵が低く手を上げて聞いた。ユーニア家を利用すると公言していることに、異論はないらしい。


「あちらの作戦が分からないので具体的というのも難しいのですが、警備隊の兵力を使って肉迫するとは聞いています。ですからそれまで、こちらはその援護をすると見せかけます」

「なるほど、突撃に労力を使っている脇をすり抜けて、一気に辺境伯本人を落とそうと言うのか」


 将軍はその姑息なやり口を、嫌うかと思った。でもまんざらでもないらしい。髭を触りながら「幼いころの遊戯を思い出すわ」と笑っている。


「そうです。ですから先に突撃するのは、あくまでユーニア家の手勢です。こちらは間を空けて、一息に突き通せる隙を窺います」

「了解した。部隊としての指揮は任せよ」

「お手伝いするよ」


 軍の重鎮である二人が同意してくれて、ほっとした。そんなものでは作戦にもなっていないとか言われたら、どうしようかと心配していた。


「ところでアビたん」


 息を吐いたところで、団長が言う。少し真面目な、団長として発言するときの声だった。


「フロちはここに置いていったほうがいいにゃ。獣王化インフィルしたギール相手だと、万が一が千が一くらいにはなるにゃ」


 もっともな話だった。ここまでだって、どこか安全な場所を探す手配をしたのがいいに決まっている。


 でもボクには、それが本当に最良とは思えなかった。

 怪我をしていなかったとしても、これだけずっと負ぶっているなんてボクには出来ない。

 それでも近くに居るから、フラウは大人しく眠ってくれているんじゃないかとボクは勝手にそう思っていた。


 何も理由はないけれど、そうでなければとっくにフラウはどうにかなってしまっているんだろう。そう確信していた。


「そうですね、そう思います。でも駄目です。フラウは連れていきます」

「アビたん…………分かったにゃ」


 ちょっと困ったような、それでいて嬉しそうな、妙な表情で団長は引き下がった。

 それをどうしたんだろうと思うと同時、ボクの後ろに人の気配が生まれた。


「急な参上にて、失礼致します」


 喜怒哀楽。緊張や興奮。感情や心身状態の変化を、どこかに置き去りにしてしまったような声。かろうじてある抑揚だけが、その平坦さをごまかしていた。

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