第255話:将軍の傷

「なんぞ、鉄の塊にでもぶち当たったような心地であったわ」


 戦場の北の林に逃げ込んでいた将軍は、血を吐いていた。倒木に座り、その足元の地面がどす黒くなっていた。


「大事ない。いくらか口の中を切りはしたがな」

「これで口の中をすすぐと、治りが早いよお。血も止まるしねえ」


 コニーさんが小さなカップに水を入れて、差し出した。中には何か、潰れかけた木の実のような物が入っている。

 将軍は「それは良い」と受け取って口に含み、ぐちゅぐちゅと音を立ててから吐き出した。


 吐いた水は血液そのままのような色をしていたけれど、それを何度か繰り返しているうちに透明になっていく。

 良かった。とりあえず、吐血は治まっているらしい。


「鉄の塊って、ギールです?」

「うむ。あ奴ら確かに強いが、技術という面ではまだ隙がある。そこをあしらっておったら、急に様子が変わってな」


 ああ──獣王化インフィルした時だ。


「まあ急でないことなど、逆に戦場では珍しいしな。あれだけ思うようにならなければ、判断も誤るだろうて」


 いつものように豪快に、がははと将軍は笑った。その傍に、デルディさんはもちろん居ない。ウィルムさんも居ない。


「あの、ウィルムさんは──」

「さてな。隊の間を割られて、前方に逃げることを最優先に指示したのは聞こえたと思うが」


 ハンブルより背の高いギールに分断されては、行き先も分からないか。


 しかし前方に逃げろとは、相手の真ん中を突き抜けろということじゃないか。将軍が何の判断もなくそんな指示をしたとは思えないけれど、その結果がこれか……。


 お互いの怪我を応急的に治療し合っている部下の人たちは、五百人居るかどうか。もう戦うのは無理だろうという姿も多い。


「それでわざわざ、逃げ癖のついた老いぼれのところに、何をしに来た?」

「そんな! 将軍はそんなのじゃありません! 逃げることは、必要です!」


 ボクの中に英雄という人が居るなら、それは目の前に居るワシツ将軍だ。例えその当人でも、卑下するなんて許されない。


「ああ──ありがたいことを。しかし、自嘲しただけだ。本気で言っとりはせんよ」

「あ……すみません」


 自嘲という言葉を裏付けるように、将軍は鼻で笑った。そこにさっきのような力はなく、色濃い疲労が見える。


「それで? お主のことだから、また儂らに何かをさせようと言うのだろう。構わんぞ、もはや何が正解か分からんでな」


 駄目だ。将軍は、もう死ぬ気で居る。

 この戦いに勝ち目はないと見切りを付けて、せめて最後に何か痛手でも食らわせてやろう。

 そんな風にしか考えていない。


「夫人が」

「うん? どこの夫人だ」


 戦場で女の話かと、叱られるかもしれない。現に若干、眉がひそめられている。


「ワシツ夫人は、将軍の身を案じていらっしゃいました」

「うぬ──ドミナの話か」


 将軍はひそめていた眉を上げたり下げたり、どういう表情をすればいいのか戸惑っている。

 やはり夫人は将軍に取って特別なんだと、英雄の温かい一面を見られて得をした気分になった。


「食料が不足するだろうと、独自に手配されようとしていました」

「何と……」

「努めて明るく、将軍が火事の中から救ってくれたのだという話も聞かせていただきました」

「むう──」


 昔の話を聞かれて恥ずかしい、というのもあるだろう。でもそれ以外に、何か噛みしめるものがあるのを感じた。

 炎であろうが魔獣であろうが、夫人を襲うものは何であっても切り捨てる。

 そんな若いころの気持ちだろうか。


「夫人は仰っていました。将軍は、夫人との約束を破ったことがないと」


 いつの間にか、将軍の顔に険しさだけが残っていた。余計なことをべらべら喋ってと、怒っているのだろうか。


 確かに調子に乗って、過ぎたことを言ってしまっているとは思った。これは謝ったほうがいいだろうか。

 そう考えているうちに、将軍の手がぶるぶる震え始めた。


 まずい。


「すみま──」

「……っははははは!」


 ボクの謝罪は、将軍の笑い声に散らされた。

 でもその笑いも腹から笑ったのではないようで、突然にやんでしまう。真剣な表情で、将軍はボクを真正面に見た。

 厳しくはあるけれど不思議と恐ろしくはない視線に、僕の目も吸い寄せられる。


「よくもこれだけ色々居るところで、暴露してくれたものよ」

「あ──」


 そうか、それは全然考えていなかった。

 どうにか将軍を盛り上げなければと思うばかりで、メルエム男爵や港湾隊の面々。うちの団員たちが居るのは考慮していなかった。


「すみません……」


 さっきはちゃんと言えなかったけれど、結局は言うことになった。ボクが謝るくらいで将軍が意気揚々としてくれるなら、安いものだけれども。


「良い。手勢は減ったが、何でも言え。爺いの本気というものを、見せつけてくれる」

「将軍──」


 ついさっきまでとは、言葉の内包するものがまるで違っていた。

 これこそボクの英雄だという熱気に当てられながらも、何となく考えていた次の行動を相談した。


 将軍も男爵も団長も、それ以外の人たちの意見も入れて、話は決まった。


「十分に現実的な話だとは思うが、手数が足りなくなるのだけが心配よな」

「私もそう思いますが、ユーニア家とアビスくんたちの働きに期待しましょう」


 将軍と男爵は、これで大丈夫とまでは思えないようだった。いやその二人だけでなく、他の人たちも同様だったのだろうけれど。

 それでもそれが、考えられる最善の案だった。「どんな問いにも、必ず満点の解答を出せるとは限らないものです」と男爵が言ったのが全てだった。


「ところでお主」

「何でしょう」

「お主にも、儂の本気を見せてやらねばならん。生き残れよ」


 出発直前に将軍に言われた言葉が恐ろしくて、かすれた声で「はひ……」と返事をするのがやっとだった。

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