第250話:勝負あり

「と見せかけて――」


 族長は地面に刺さったままの鉈を捻り、その強靭な両脚を踏ん張って腰を思い切り捻った。


「こっちがる!」


 鉈の先が埋まったまま、力任せに振り回す。そのあとには、そこで魚を飼えそうなほどの深い溝が刻まれる。

 もうもうと上がる土煙は、族長の足元を覆い隠す勢いだった。

 しかしあれではその中に身を隠すなんて、不可能に近い。


 というのが、族長の認識だろうか。

 少し離れて見ているボクの目には、団長の動きが全て映っていた。


 族長が地面を鉈で打ち付けた時、団長は確かに上に跳んだ。しかしそれは頭上でなく、バランスを取るために上がった左腕の陰。そこから族長の背後へと移った。

 たぶんそこで背中を叩いて「こっちにゃ」と勝ちを示す気だったのだろう。

 でも見失いながらもそこだと勘付いた族長の、地面を削りながらの攻撃でまた避けるしかなくなった。


 今度こそ上だろうと、族長は目線の高さとそれ以上を見回している。でも違う。団長は低く這う鉈の下へ、這いつくばるように躱していた。


「あたしはここにゃ!」


 腕立て伏せをする時のように縮めていた両腕を使って、団長はその姿勢から一気に族長の目の前へと跳びあがった。

 そのまま回し蹴りを、頬へ一発。

 族長は軸足を半歩ずらして、何とか転げずに済んだ。


「……ふ」

「ふ?」


 着地して、勝負はあったにゃ? という視線を送っていた団長は、首を傾げる。

 伏せ気味の族長の顔。その口から、空気の抜けるような声が漏れたからだ。


「ふ……ばふ、ばふばふ! ばうばうばうばう!」


 おお──どうした。面白いことは特になかったと思うけれども。

 族長は、急に激しく笑い始めた。周りのギールたちも、つられて笑う。


「アイルルフ! こんなちっこいのに、してやられるか!」

「族長もまだまだ!」


 アイルルフ。それは族長の名だろう。当人はその冷やかしに、若干の苦笑いで「ええい、うるさいがる」と答える。


「なるほど。どういう気紛れか、ハウジアにはお前たちが味方をしてるがる。珍しいこともあったもんがる」

「たまたまにゃ」


 いや別に王軍の味方をしているわけではないのだけれど、団長は否定しない。たぶんこれは、団長の悪い癖だ。なんだか嫌な予感がする。


「つまり俺たちは、今よりもっと気を引き締めてかからねばならんがる。怠けていたつもりはないが、もっと本気を出すがる!」


 ええ……。

 ここは普通、団長に免じて俺たちは引き上げるとか、そういう場面じゃないのか。


 族長の「本気を出すがる!」に答えて、他のギールたちもそれぞれが「がうっ!」と吠えた。

 戦う相手に気合いを入れさせてどうするんだ……。


「ブラムの傍には、若い戦士を二人付けてるがる。気が向いたら、そいつらとも戦ってみるがる」

「気が向いたらにゃん」


 さすがにここから、集団同士の戦闘とはならなかった。アイルルフ族長は転進の指示をして、辺境伯の向かったあとを追う。


「まずいにゃ。アビたんがやりやすく出来るかと思ったのに、煽ったみたいになってしまったにゃ」

「みたいじゃなく、間違いなくそうなりましたね」

「ごめんなさいにゃ!」


 腰に両手を当てて、団長は威張って言った。全然謝られている気がしない。

 まあでもどういう話の持っていきかたをしても、同じようなことにはなっていたのだろう。

 そう思えば、謝られることも別にない。


「ええと、どうしましょう。なぜだか辺境伯は生きていたみたいですが……。先頭で戦っているのを襲うのは難しいですよね」

「そうだにゃあ。どうするかにゃ」


 話を切り替えると、メルエム男爵が割って入ってきた。


「いやそれで済ましては駄目だろう?」

「え?」

「え? ではないよ。ただでさえ強力なギールたちが、もっと頑張るなんて。敵の士気を高めてどうするんだ」


 ああ──やっぱりそうなるか。ボクも最初はそう思っていたはずなのに、なんだか知らないうちに「仕方ないか」と思ってしまっていた。


「まあまあメルりん。そんなにアビたんを責めるもんじゃないにゃ」

「あなたに言っているんだ、怪盗ショコラ」

「にゃん?」

「だから、にゃん? ではない。いい師弟だな、君たちは」


 元々の顔立ちから優しい男爵にも、若干の苛とした感情が浮かんで見えた。無理もないけれど、それをボクが言っていい筋もない。


「副長。こいつらとまともに関わっていては、馬鹿を見るばかりです。それよりも次をどうするかです」

「ああ──そうだね」


 ミリア隊長は、ボクよりも団長との付き合いが長い。一方が一方を追いかけるだけの関係だけれど、だからこその理解もあるだろう。

 そこについては男爵も同様で、ミーティアキトノに対してミリア隊長の意見を無視することはない。


 その二人はそこまでを真面目な顔で言って、吹き出した。

 何だ――もう十分に毒されているようだ。


「取り込み中、申し訳ありません」

「え、あ、はい」


 円を描いて立つボクたちの隣に、いつの間にかセフテムさんが居た。

 警備隊の隊長か何からしいけれど、ユーニア子爵にこの場面で重用されている以上はこの人も影なのだろう。

 だからこれくらいでは驚かない。


「目的は同じなのでしょう? 協力をお願いしたい」

「ええと、一応今までも協力関係にはあったと思うんですが」

「それはヌラさまが、あなたたちを利用しようとしていただけでしょう。私は私の力だけでは主人の役に立てないし、あなた方もやりにくい部分があるらしい。だから本当に協力しましょうと言っています」


 おや。どうもこの人は、また他の影とは違うらしい。

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