第14章:ささやかなる二人の凱旋曲
第245話:その覚悟は
鎖帷子を着こんだ姿は、王軍とも辺境伯軍とも判別がつかない。背格好も少し背が低めなくらいで、特に目立つ要素はない。
足を止めた辺境伯の傍へこつぜんと現れて、帷子のフード部分を外すこともなく、その足元へしゃがみ込んだ。
「何だ貴様、邪魔だ!」
もしかすると辺境伯の従者が、タイミングを誤って出て来てしまったのか。などと、そんな馬鹿なというような想像しか出来なかったけれども、やはり違うらしい。
辺境伯は剣先を突きつけ、その人物――ちらと顔が見えた感じからすると、男性を怒鳴りつける。
しかし男は動じない。何か話しているけれど、至って普通の音量なのだろう。ボクの耳にも届かない。ただ、その左腕に抱えていた箱を差し出した。
「下がれ。次は切る!」
しゃがんだままの男は辺境伯を見上げ、辺境伯もその視線を睨み返す。
数拍の間を置いて、男がまた何かを言った。すると辺境伯は突きつけていた剣を引いて、手振りでどこかへ行けと示す。
「勝負を預からせていただこう!」
突然だった。
既に包囲されている、辺境伯とその周囲の隊に突き進む部隊があった。
「ウナム!」
「あれはユーニア子爵の──?」
先頭を駆けるのはウナム。隊の指揮を執っているのは、セフテムさんらしい。あの全身鎧の戦士や、ヌラ。それに子爵本人の姿は見えない。
彼らは瞬く間に輪を作り、その中に辺境伯と将軍、何人かのギールを閉じ込める。
「ぬうっ!」
どう考えても、示し合っているとしか思えない。ならばまずは目の前の男からだ、とでも思ったのだろうか。
引いていた剣を、予備動作もなく切りつける。
男の動きは素早かった。しかし完全に避けきることは叶わない。
差し出していた箱で剣を受けたものの、それは断ち切られた。被害はそれだけでなく、持っていた腕も肘から先を失った。
「くっ……!」
この戦いの中で初めて、辺境伯が悔しげな焦ったような声を上げた。
見ればその剣に、何やらねばねばと砂糖を煮詰めたような物がへばりついている。
「あの箱も罠だったのか──」
確かにあれで辺境伯は、戦闘力を格段に落とした。しかし戦えないわけではないし、どうにかすれば別の剣を手に入れることも難しくない。
こう言っては何だけれど、左腕を失ってまでやる価値のある罠だったとは思えない。
「将軍、失礼を仕る!」
「がはっ!」
「この剣は貴様にくれてやる!」
何を思ったか、ウナムが将軍を蹴り飛ばした。将軍は彼らの作る輪の外にまで、弾き飛ばされる。
それと同時。辺境伯は切ることの出来なくなった剣を、忌々しい目の前の男に突き刺した。
男はそれを避ける素振りなど全くなく、迎え入れるようにさえ見えた。
どん。
──と。お腹の中を掴みかかるような轟音は一瞬で消え、貫くような眩い光も同じく消える。
「くう……何だ今のは」
「爆発──だったみたいです」
咄嗟に目を瞑ったから良かったけれど、まだ視界の中心に黒い影が見える。男爵も同じなようで、目を瞬かせていた。
「爆発!? では将軍は!」
「ウナムに蹴り出されていましたから、大丈夫だと思います」
「そうなのか、良かった……でも」
その爆発範囲は、綿密に計算されていたのだろう。囲んでいたユーニア子爵の隊に被害はないようだ。
その内に居たギールたちは、全員が倒れていた。外に近いほうに居た人はぴくぴくと動いているけれど、それが限界らしい。
体毛のあちこちは焼け縮れて、あれが爆発だったことを裏付けている。でも皮膚が焼け爛れてということはない。
辺境伯もまた、倒れていた。
元居た位置からは吹き飛ばされて、ギールの上に仰向けになったまま動かない。
「あっけない幕切れになったことだ……」
辺境伯は死んだ。
それはきっと間違いないし、であれば男爵がそう言うのも当然だろう。
でも多分、終わりにはならない。
「いえ──」
「探しなさい! 早く!」
セフテムさんが叫んだ。
探す? 何を? と戸惑うのはもちろんボクで、部下たちは分かっているようだ。
数人が一斉に辺境伯の遺体へと取り付き、他にも何人かがその周りを探している。
「何でしょう?」
答えを知るはずもない男爵が口を開く前に、探していた一人が声を上げた。
「ありました!」
掲げられた手にあるのは、鉄の額冠。最初に見た時から辺境伯の額にあった、あの略式の冠だ。
「死にたいんですか!? 下ろしなさい!」
額冠なんかを探してどうするのか、でも見つかったなら喜べばいいものを。セフテムさんは緊張した声で叫ぶ。
──しかし、間に合わなかった。
周囲の薄闇から色を抜き出して、練り合わせたような黒い塊がその人の傍を駆け抜ける。
もちろんそのあとに、その人の手に額冠はない。
ああ、いや。その人の手には、そのままだ。その手ごと、奪われてしまっていた。
腕の先が失われたことに、その人はまだ気付いていない。
「何をしているんです! 取り返しなさい!」
セフテムさんがそう命じて、ようやく何かが起きたのだと悟ったようだった。
「……あ、ああ……う、腕っ! 俺の! 腕がああああ!」
切り口の辺りを押さえて、その人は蹲る。
セフテムさんを始めとした、恐らく影の部隊たちは額冠を追う。
目まぐるしく事態の移り変わる中に、誰も目を向けず、もう変わることもない物があった。
名を、何と言うのだろう。
辺境伯の刃を受けることで、自身もろとも爆死させたその人。
そうなることを覚悟した死は、それほどに意味のあることだったんだろうか。
意味と言うのなら、戦場という場所で死の意味を問うことに意味がない。
それはもう散々に見てきたけれど、爆発でばらばらになった遺体に、仲間に踏みつけられた遺体に、ボクは目を逸らすことが出来なかった。
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