第244話:将軍の意地

 言ってみれば金属の棒に過ぎないのに、どうしてこれだけの音が生まれるのだろう。高く弾ける音。重く響く音。細かな振動が、ボクの頬まで伝わりそうな音。上げ始めればきりがない。


 将軍と辺境伯の剣がもう何度打ち合わされ、擦り合わされたのか。その音の連続が、今この戦場にあるどこよりも絶え間ない。


 二人の近くでも遠くでも、似たような音は数え切れないほどに生まれ続けている。けれどもそれが、永遠には続かない。

 必ずその場の演奏は終わりが来て、それは即ち誰かの命の終演でもあった。


 ほんの一音でそうなる戦いがあれば、一楽章分も奏でられる戦いもある。


 広い戦場の全てでその音たちは寄せ集まり、隣で斃れた僚友の、或いは次の瞬間に斃れるかもしれない自身への、魂を憂う悲しみの旋律にボクは聞こえ始めた。


「さすがは音に聞こえた猛将だ!」

「貴様こそ、見かけによらぬ!」


 その声をきっかけにした渾身の一撃が打ち合わされたところで、二人は一歩を引いた。さすがに息を吐かなければ、これ以上は無理らしい。


「お互いに譲りませんね……」

「うん──でも、勝敗は決しているよ」

「ええ!?」


 硬い表情で男爵は言った。その手は剣の柄に伸びていて、落ち着かない心情を感じさせる。


「この勝負、もう将軍に勝ちはない」

「将軍が──? そんな、互角に見えますよ」


 はっきりと言い切ったことが、ボクには意外に映った。

 そもそも、そうとは見えないこと。そうだとして、将軍の負けを口に出すことに躊躇いがないこと。


 辺境伯の立場に同情はするけれども、やはりボクにとって近しく思えるのはワシツ将軍だ。

 男爵にとっても同じだろうと、勝手に思い込んでいたところはある。


 そうか。出会った時に、親しそうに話していたっけ……。


「実力は将軍が上だよ。それは間違いない。でももっと早く、勝負を決めなければいけなかった。辺境伯の粘り勝ちだ」


 そう聞いてみると、それには納得せざるを得なかった。


 次に打ち込むタイミングを図って、二人は間合いを詰めつつある。大きく深呼吸をしたあと、その足取りの間も息を整えているだろう。

 辺境伯がもう鼻と口を使って理想的な呼吸をしているのに対して、将軍は荒い息で口が閉じられていない。


「体力が……」


 ボクの呻きに、男爵もこくりと頷いた。


 辺境伯の剣が、大胆にも大きく振り上げられる。これはきっとフェイントで、将軍の対応次第で別の狙いがあったのだろう。

 でも将軍は、その絶好の機会を見逃した。攻撃の気配を見せず、最初から受けの体制を取った。


「死ねえっ!」

「ぬんっ!」


 辺境伯はその剣を、そのまま振り下ろす。全力で受けたと見えた将軍の剣は、鈍い音と共に叩き落とされた。

 剣を返した辺境伯は、将軍の首を目がけて横薙ぎの一撃を放つ。剣を失った将軍に、それを避ける術はない。


 …………何が起こった?


 目を逸らしてはいない。瞑ったわけでもない。動きが速すぎて、見えなかった。確実なのは、今そうであるように辺境伯の剣が打ち落とされたこと。


「この──やってくれる!」

「勝ったと思えばこそ、次を読まんか。この馬鹿者が!」


 辺境伯は右手を押さえ、将軍は荒い息を無理矢理に抑え込んで、互いに吼えた。


 いやいや。あの状況から、どうやったらこうなるんだ。

 素手で払い落としたとでも──素手? じゃない。将軍の両手にはそれぞれ、何か武器が握られている。


「あんな物で……」

「何です?」

「ああ――あれは、訓練用のこん棒クラブだよ」

「訓練って、剣術なんかの練習をする時のです?」


 男爵はまた頷いて「そうだよ」と認めた。


 騎士や兵士の訓練では、剣と剣で戦うことばかりを想定しても意味がない。戦う相手が、装備を整えた他国の軍隊ばかりとは限らないからだ。

 だからナイフのような短い武器も、槍のような長い武器も、それぞれに対処するための訓練をするらしい。


 そういった時に、ワシツ将軍はよくあのこん棒を使っているそうだ。

 特に若い騎士は力に頼ってしまうので、力んでいるところをひょいひょいと、いかにも簡単げに打ち付けるのだと。


「将軍の将紋に納得ですね」


 剣と、斧と、こん棒と、弓。

 あらゆる武器を使って、どうとでも戦う。将軍の戦士としての矜持を描いた旗は、まだ力強く靡いている。


「アビスくん。一つ、頼みがあるんだが」

「何です?」

「迂闊にも、私のような未熟者が将軍の負けを予告したのを、内緒にしてもらえないだろうか」


 男爵の手は剣の柄に、触れては離れを繰り返している。率いる部下がなく、ボクたちと一緒に行動しているから、まだ出番がない。


「それがいいですね」

「恩に着るよ」


 ボクは快く、男爵の申し出を受け入れた。

 そのやり取りのためにボクは将軍から目を離し、男爵もボクに視線を向けていた。


 だからいつの間にその人物がそこへ至ったのか、まるで分からない。目を離したのは、長くとも数十秒だというのに。

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