第242話:騎士の突撃

 夕闇の時刻。雲が出てきたせいか、月は見えない。

 昼間の残り火は彼方の土に埋もれようとしているけれど、太陽神ソウルの偉大さをそれでも誇示するように、光はまだ足元に届いている。


 王軍も辺境伯軍も静かに歩を進めた。脚は速やかだったけれど、隊長格の号令とそれに返される声が、ボクの耳にはどこか空々しく聞こえる。

 互いが出会うと、まるでそこと決まっていたかのように、ぴたりと足が止まった。


 王軍は近衛騎士を二番手に置き、辺境伯軍もやはりギールたちを下がらせている。

 遺恨のある貴族同士が、最終的に正々堂々の決闘をするのと同じなのだろうか。ワシツ将軍の言っていた通り、搦手などは互いの面子に関わると。


 石と石を擦り合わせれば、両方が削れて砂が落ちていく。今はそれが、兵士たちの命で再現されている。

 こんなことを、どうしてしなければいけないんだろう。


 それは答えの分かりきった自問だ。目の前の事実をどこか遠くに置いておきたいと、現実から逃げようとする自分に気がついた。


 と。結果その時間は、ほんの一時に過ぎなかった。

 国王が出て来たならば、多少は手応えも変わるのかと力試しをしていたのかもしれない。


 けれどもその前と同じに、しかもギールを抜いた通常の兵士たちを相手に、前線を押せない。

 まさか作戦を考えていたのはその素振りだけで、最初から負けるつもりなのかとボクでさえ考えてしまった。


 辺境伯もがっかりしたのか、時間の無駄だと言うように、ギールの隊を前に進める。しかもそこには、リマデス辺境伯自身の姿もあった。


「受け流せ! 包み込め!」


 自軍の中央を割って突き進むギールたち。その勢いは凄まじいが、見方を変えれば突出した人の塊だ。

 集団戦闘に巻き込まれたら、孤立することを避ける。これはシャムさんに聞いたのだったか。


 ワシツ将軍は押されている辺りの兵を、あえてそのまま後退させた。もちろん直に攻撃を受ける兵士は倒れていくし、その被害も増える。

 でも辺境伯を含むその一隊を、半包囲することに成功した。


「今だ、押しつぶせ!」


 余計な硬さのない、熱された鉄塊のような怒号。それがそのまま、兵士の勢いとなって襲いかかる。


 勢いに乗って、それ行けと用心を怠っていたギールたちはひとたまりもない。

 将軍自身が直接に剣を振るい、一人、また一人とギールの数を減らしていく。


「油断するな、押し返せ!」


 辺境伯の声は苛立っていた。でもきっとそれは、ワシツ将軍に対してではなく味方に対してだ。


 突出してどんどん敵を倒していけとは言ったが、敵を甘く見ろとは言っていない。

 たぶんそんな風に思っているのだろうと思う。


 そんなことを──出来るのがギールたちだ。

 ハンブルとギールでは、こと戦闘能力においては大人と子どもほどの差がある。

 それは歴然とした事実で、ワシツ将軍の指揮がどうこうという問題でない。


 強いてその指揮に異論を唱えるなら、戦力差をどうにか出来るだけの人数を用意しなさいとなる。

 それは戦場で戦っている指揮官が、どうにか出来ることじゃない。


 半包囲が解けかかっても、将軍は粘り強く堪えていた。

 堪えたところで何かそのあとがあるのか、ボクには分からない。


 どう見たって、なさそうだけれど……。


 不意に、ツバエが吹き鳴らされた。

 ニズと比べると尖った音で、ニズは低音を、ツバエは高音を担当する。


 何かの合図だったのは間違いないのに、戦場に居るどの部隊にも目立った動きはないように見えた。


「……何も起こらない?」


 少し経って呟くと、ミリア隊長が肩を叩いてボクを呼ぶ。


「何です?」


 その問いには、彼女の視線と指が方向を示して答えた。

 それはカテワルトの方向。そちらを見ると──エコに乗った数千の騎士。

 騎兵槍ランスを構え、怒涛の突撃をこちらに向けている。


「あ、あれは!?」

「旗によれば、プロキス侯爵の私兵ですね」


 そうか。ボクはプロキス侯爵を、ガルダで見ていたんだ。その時にはたくさんの騎士や兵士を従えていた。

 それがこちらに来たときには、どうして居ないのかと気付くべきだった。


 カテワルトの東門が開き、騎士の突撃の後ろには同じくらいの歩兵も迫っている。

 辺境伯側も当然にこれには気付いて、受け止めるための部隊を回そうとした。


 しかし数千人の部隊を急遽動かすのは、やはり難しいらしい。それも総指揮官である辺境伯は、最前線に行ってしまっている。

 指示も動きも後手に回っているのは、否めない。


 いくらか間に合った隊は、それでも数百人になっただろうか。大盾を地面に刺して、足と肩でそれを支える。

 それがどうにか形になったのと、騎士がそこへ辿り着いたのはほぼ同時だった。


 槍と盾。当たり前であって宿命の対決がそこに起こり、勝敗は一瞬で決した。


 槍の穂先が盾に触れると、ある兵士は背丈の数倍の距離を突き飛ばされ、ある兵士はそのまま押し倒されてエコの蹄に踏み抜かれた。


 硬い物の打ち合う鈍い音と、何かが裂けるような鋭く高い音がいくつも混じり合った。

 これが何かの楽器から発せられた音だったとしたら、ボクはすぐさまそれを破壊してしまうだろう。

 それほどに耳障りな、不気味な音だった。


 騎士たちが駆けたあとの地面を、続く兵士たちが埋めていく。

 それは辺境伯の軍に打ち込まれた楔。

 王軍は、先頭に立っているリマデス辺境伯とギールの一部を、本隊から切り取ることに成功した。

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