第241話:執事のお仕事ー14
「閣下。どうか、お教えください」
「……シャナル。どうしたことか」
「はっ――」
有り体に言って、執事は困っていた。
部下のトリバの希望は理解できるし、叶えてやりたいと思う。しかしそれを聞いた主人からすると、どうして口を挟むのかと不快に思うことも予想した通りだった。
「本来の目的に貴賤などない。故に手段を目的とし、その遂行に意味を見つけるのがお前たち――だったな?」
「その通り、付け加えるお言葉はございません」
「もう一度聞こう。どうしたことか」
既に準備を整え、再度の開戦の合図を待つだけだった。
そこに生まれた僅かな猶予が、トリバの心に意味を求めさせた。
いや意味とは主人の言った通り、やっているうちにあとからついてくるものだ。執事がそうであるように、彼の部下たちもその事実は違わない。
しかし今のトリバが求めているのは、任務や行動の意味ではない。トリバが求めているのは、自分の意味だ。
トリバはレリクタを出てから、ある豪商に買われていた。
レリクタの存在や名は至極一部の人間しか知らず、その商人もトリバの素性は知らされていなかった。
計算に強く、ついでに腕っぷしも強いというだけで買われたらしい。
トリバはさほどに目立つ男ではない。
背丈は低めで、体格も普通だ。肥満とまで言っては評価が辛いが、スマートとはとても言えない。
つまり街を歩けば、どこにでも居るようなタイプの人間だ。
しかし背丈の低いのが災いした。もちろんその事実は、何ら悪ではない。置かれた環境が悪かった。
商人の下で先輩となる他の使用人に、トリバはいじめられた。
ユーニア子爵家の使用人たちと違って、その者たちは至って普通の使用人だ。トリバが少しでもその気を出せば、息を吸う間に言葉を失くさせ、息を吐く間に命を失くさせることが出来た。
しかし商人は、トリバを雇うに当たって命じていた。「身内に対して、揉め事の一切は禁止だ」と。
身内とは具体的にどこまでを指すのか、トリバは聞いた。商人は「家族はもちろん、この家で働く者は全てそうだ」と答えた。
更に商人は加えて「そういう、私への口答えも禁止だ」と言った。
理論を用い、相手の弁の隙を突くのが得意なトリバにとって、その二つの指示は強力かつ解除不能な鎖となった。
背が低いということを取っ掛かりに馬鹿にされ、不可抗力を装って暴力も振るわれた。それでも笑って済ませようとするトリバに対し、使用人たちは増長する。
からかう範疇に留まっていたものが、罵詈雑言に変わった。
偶然を装うことなどなくなって、目が合ったからと殴られ、すれ違ったからと蹴られ、どうして私より背が高いのかと幼女に唾をかけられた。
家令の老人に「これでは耐えかねます」と商人への改善を求めたが、それが本人に伝わったのかは分からない。
しかしその直後から、いじめはますます酷くなった。
それでも十年ほどは、その状況にも耐えた。幸か不幸か、その間にトリバの真価を発揮するようなことは起こらなかった。
あえて言うなら、それならそもそもトリバを選ぶ必要はなかったのだ。
ある日。それはちょうど、トリバがその屋敷を訪れた日。彼は商人を直接に呼び止めた。そこは商人が浮気相手のところから自室へと、人知れず帰ってくるための通路だった。
商人は、どうしてトリバがその通路を知っているのか、そこには疑問を覚えなかったらしい。
いつもの如く偉そうに「何の用だ」と聞くので「待遇の改善をお願いします。そうならないのであれば、お暇させていただきます」とトリバは答えた。
商人は思ったのだろう。自分は気まずく思っているのに、どうしてこいつはこんなに横柄な口を利くのか。
本当にそう思ったか、もう確かめようもない。しかし恐らくそうであろうとする証左として「何か知らんが、聞く耳は持たん」と商人は答えた。
更に続けて「勝手に辞めるのなら、そうするがいい。しかしそのこと、存分に報告させてもらうぞ」とも言った。
商人が誰に報告するのか、トリバは知らない。そして恐らく、そうされたところでトリバ自身に不都合は全くない。
しかしきっと、その表向きの販売元は多少なりと迷惑をするだろう。それにこの商人は、そことそこで扱われる商品の悪口を言いふらすだろう。
そう理解したトリバは「出来ますものなら、ご自由に」と答えた。
トリバにその意図はなかったが、商人は挑発されたと捉えただろう。顔を赤くして、「ああ、そうさせてもらう。どこへでも行ってしまえ!」と喚く。
首になったことは明白だった。しかし弁解の余地があってはならない。トリバは念を押すため「私は今ここで、解雇されたのですね?」と聞く。
商人は「そう言っている。解雇だ、解雇!」と、連呼した。
トリバが「これまで、ありがとうございました」と頭を軽く下げたのが、商人の最期に見た景色だっただろう。
その商人の家は、その日を境に空き家となった。生きていない人間であれば、使用人を含めた家人の全員分が揃っていたが。
その十年を、トリバはどうとも捉えていない。そのころよりも今のほうが、充実感のようなものはあるらしいが。
レリクタではやはり、個々の心は殺されていく。道具になるためには、邪魔だからだ。
かといって感情の全てを失くさせては意味がない。そんな人間は周囲から、すぐにそうと察せられてしまう。
訓練として厳しく管理され、次には周囲の慰みものになった。
そんなトリバがここで自分の心の所在を知りたいと願っても、それは詮方ないことだろう。
ふと執事は、自身を振り返る。
陰にも日向にも立場を置くことになった人生だった。その一つ一つを自分でこうしたいと希望したかといえば、それはない。
しかし不満どころか、ここまで大いに満足している。それは偏に主人のおかげだろう。
坊ちゃまのおかげで、私は随分と人生を楽しませてもらっていますね。
胸の内でそう呟くと、少し引っかかった。
いやその気持ちは、間違いでも勘違いでもない。それは確かにある。けれどもそれだけではない。
坊ちゃまの覇業のために人を集め始めて、もう十年以上にもなるのですね。
その間に様々な理由で去っていった者たちも居る。その全員が、例外なくこの世に居ない。
私もそちらが近くなってきたからでしょうか。
主人に手を焼くことのなくなった後、面倒を見させてくれる彼らが可愛いのだと執事はあらためて知った。
だから自嘲を堪えて、これから吐く言葉を吟味した。
「閣下。一生に一度という言葉もございます。この任務の目的を知ることで、トリバは生きる意味を得るのでございます」
主人はすぐに答えず、いつも通りに感情を悟らせない視線でトリバを見た。その先は主に、失った腕だっただろう。
視線を執事に戻し、主人は問う。
「この任務──この反乱の結果で良いのだな?」
「は、その通りにて」
聞き届けてもらえそうだと、トリバは跪いた姿勢から地面に額をつけようかというほど頭を下げた。
主人はそれにも同じ視線を向け、淡々と告げる。
「この反乱で私が得るものは、僅かな土地だ」
「土地、でございますか」
トリバは何ともきょとんとした顔で、主人の顔を見返している。
それは確かに目的に違いないが、その土地を何のために得るのか。それがトリバに伝えてやってほしい内容だ。
何と言葉を継げば良いものか。そもこれ以上に願って良いものか。
執事はまた急速に、頭を働かせようとした。
「そう、土地だ。それが私の目的の幾分にもならぬが、間違いなく前進だ。それがお前の生きた価値になる」
「は──ははっ! それは、それは──良きことにございます! 私はそのために、死ぬことと致しましょう! いえ、是非に死なせていただきたい!」
坊ちゃま。やはりあなたは、ご立派になられましたな。
胸の奥に熱いものを感じる執事に、主人は命じる。
「時間を無駄にするな。全ては踏み台だ、振り返ることに意味はない。しかし私は、踏みつけたことだけは忘れん。部下たちにそう伝えよ」
「違いなく」
主人の前を辞して、決戦まで僅かとなった景色を見て執事は歩いた。
尊い言葉を伝えるために。自身の死に場所を誤るまいと、誓いながら。
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