第239話:決戦の前

「どうするんです?」

「そろそろ時間も、いい感じになってきたにゃん。あたしたちの時間にゃ」


 陽は、もう沈みかけている。沈んだからとすぐに真っ暗になるわけでもないけれど、それまでにこの戦闘が終わるはずはないだろう。


 しかしそうは言っても、相手にはギールがたくさん居る。夜目の利き具合ではキトルが勝るけれど、それほど圧倒的な差ということもない。

 となれば人数の多い、あちらが有利になる。


 ハンブルの数では――というかそちらが本来は主なのだけれど、それは互角か、或いは辺境伯のほうが少し有利だ。

 近衛騎士は全部で千人ほどらしいけれど、第三軍はここまでの戦闘で相当の被害を負っている。徒歩ばかりの中でエコに乗っているのは、どれほどの意味があるんだろう。


「そういえばさっきのニズは、なんだったんでしょうね」

「どうでしょう。既定の吹き方ではなかったので、急遽に決めた合図だろうとは分かるのですけれどね」


 準備が出来たと互いに知らせたあとに、王軍からまた別のニズの音が響いていた。それについて聞いたのだけれど、ミリア隊長にも分からないらしい。

 単にうっかり鳴らしてしまったとか? というほど、半端な鳴り方ではなかったしな――。


「サバンナさん、疲れてませんか」

「大丈夫だに。羽根を載せてるくらいにしか感じないに」

「目が覚めたら、フラウに言っておきます」


 にひひと笑って「お世辞で言ってるんじゃないに」と、サバンナさんは続けた。

 でもいくら体躯に優れているからといって、永遠にそうしていられるわけじゃない。例えばボクが薪の二、三本でもこれだけ長い時間を背負っていれば、段々と重く感じてくるだろうし、あちこち疲労もするだろう。


 でもそう言って心配したところで、フラウを下ろしておける場所があるわけじゃない。

 だからボクは精一杯の感謝を込めて、言った。


「ありがとうございます。フラウをお願いします」

「任せておくに」


 右腕をぐるぐる回して、両脚を曲げたり伸ばしたりして、準備運動をしているメイさんが居た。

 その傍には干し肉か何かを、むちゃらむちゃらと食べているトンちゃんも居る。

 なんだかんだ言って、この二人は仲がいい。まあ、なんだかんだ言うのはトンちゃんばかりだけれども。


「トンちゃん、お腹が減ったんです?」

「そういうわけじゃないみゃ。でもこのままもうちょっと経つとそうなるから、先に腹に入れてるみゃ」

「ああ。満腹でも空腹でも本調子にならないって、いつも言ってますもんね」

「そういうことみゃ」


 トンちゃんは、楽しそうによくやるみゃ、という感じでメイさんをずっと見ている。ボクが話しかけても、視線も向けてくれなかった。

 でもボクが次の言葉を探してそのまま居ると、目だけがぎょろっと動いてこちらを睨む。


「なにしてるみゃ」

「ええと――いやあ、別に」


 迷惑をかけちゃいますねとか、怪我のないように頑張りましょうとか、特に何をということもなくお願いしますとか、いくつかの候補はあった。

 でもきっと、どれを言っても怒られる。

 生意気を言うなとか、お前に言われてたら世話がないとか、そんな風に。


「まさかウチを気遣って、何か労いの言葉でもかけようとしてるのみゃ?」

「えっ? いやそんなまさか。ボクなんかがそんなこと――」

「何だ、言ってくれないのかみゃ。家族だとか言った割に、冷たいやつみゃ」


 口角が上がって、鼻で笑う。威圧的だけれど、寂しそうな顔だった。

 前からこんなだっただろうか。今朝から急に変わったんだろうか。

 分からないけれど、それで黙っていられるほどにボクは冷たい人間ではないらしい。


「トンちゃん。フラウが元気になったら、シャムさんも一緒に食事にでも行きましょう。おいしい店を知ってるんでしょう?」

「――なんでシャムが出てくるみゃ」

「いや、だからおいしい店を」


 どうしたんだ。急に怒りだした。持っていた干し肉を口に押し込んで、右手の爪がじゃきんと伸びる。


「うるさいみゃ! メイとでも遊んでるみゃ!」

「ひっ、すみません!」


 だっ、と何歩か逃げると、トンちゃんは威嚇だけだったようですぐに止まった。

 メイさんにも声をかけておきたいのだけれど――と近寄ってみると、もうこちらを構う気はないようだ。怒った顔で、そっぽを向いている。


「メ、メイさん。腕とか、痛みません?」

「大丈夫みゅ! お菓子を食べたから、元気いっぱいみゅ!」

「お菓子?」


 干し肉や干物ならともかく、お菓子なんて誰が持っていたんだろう。

 その疑問にメイさんは、ボクの後ろを指さした。


「わっ!」

「わっ!!」


 振り返ると、ほとんど密着するくらい目の前に誰かが立っていた。

 脅かす声に負けないくらいの声を上げてしまった。


「あはははは!」


 笑い転げるのは、少し前に見た花売りの女の子だ。

 フードがめくれて顔が見えているけれど、それ以前に誰なのかは察していた。


「もう、びっくりしましたよ。コニーさん!」

「本当だねえ。そこまで驚くとは思わなかったよお」


 また、けたけたと笑う。

 この人、こういう悪戯もするのか。次からは気をつけよう。

 まだ胸がどきどきと鳴っているけれど、悔しいので素知らぬ顔をして言った。


「メイさんにあげちゃって良かったんです?」

「うん。もう用は済んだって言ってたよお」

「王さまに食べさせるのが用だったんです? 何なんでしょうね」


 トイガーさんからクッキーを受け取ったコニーさんは、全部を食べてしまわないように言われていた。

 たぶんそれは「なくさないように持っておくですにゃ」だったと想像するのだけれど、随分と意訳されたものだ。


 ともかく国王に食べさせる分は無事に残っていて、目的は果たされた。でもその意味するところは、コニーさんも含めて誰も知らない。


「さあ何だろねえ。でも今言わないってことは、今は関係ないってことだと思うよお」

「それは分かりますけど、団長があのクッキーに何を思っているのか、気になるじゃないですか」

「食べちゃ駄目だったみゅ!?」


 団長を大好きなメイさんは、自分の食べたクッキーに何か意味があるらしいと聞いて、酷く慌てた。

 他のことではそんな風にならないのだけれど、「はわわわわ──だんちょおに嫌われるみゅう」と嘆き始める。


「メイ、大丈夫だよお。もう全部食べてもいいって、団長にちゃんと言われてるからねえ」

「ほんとみゅ!? 良かったみゅう」


 心底にほっとしたという顔。

 団長が云々じゃなく、そこまで人を好きになれて、人から好きになられて。

 たぶん羨ましいのだと思うけれど、眩しく感じた。


 でも不安にも思う。

 ボクがフラウを好きな気持ちは、こんなにもまっすぐに表せるだろうか。

 今は色々あって感情が高ぶっているけれど、普通に戻ったらどうなるだろう。


「メイさんは、本当に団長のことが好きですね」

「大好きみゅう」


 ふわふわとした頬が緩んで、とろけそうな笑顔が生まれた。


 なんて顔をするんだと、見慣れていてもそう思う。


「何を言ってるのお」


 コニーさんから、疑問が呈された。

 いやメイさんが団長を好きなのは自他ともに認める事実で、海の水が塩からいというよりも当たり前のことだと思うのだけれど。


「メイはアビたんのことだって大好きだよお」

「みゅみゅっ! 言っちゃ駄目みゅっ!」


 何だ何だ。さっきとは違った感じで、またメイさんが慌てている。

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