第237話:伯爵の正体

「ではそろそろ、余もいただこうかの」


 国王が言って、手をメルエム男爵に差し出した。男爵は「畏まりました」と一つのクッキーを二つに割って、一方を国王に、一方をプレクトス伯爵に渡す。


「ああ、一つ言い忘れていました。これには異国の甘味料が使われているので、人によっては最初に目眩のような違和感を感じることもあるそうです」

「ふむ、異国の。毒ではないのだな」

「ええ、慣れない味だからというだけだそうです」

「ならば問題ない」


 国王が答えるのと同時に、プレクトス伯爵は半分の欠片を口に入れて噛み砕いた。

 それを見た国王も、躊躇なく口に入れる。

 すると国王もおいしかったらしい。満足げに頷いてすぐに飲み込んでしまった。


「どうです、おいしいでしょう?」

「うむ、うまいな。本当に怪しい物でないなら、もういくつか食べても良い」

「本当に怪しい物ではないですよ」


 伯爵はさっきの不敵な笑みはどこへやら、また温和な顔でおかわりを勧めた。

 ある物が怪しいか怪しくないかとは必ず誰かの主観であって、その物の正体を知っている人間にとってはどんな物だって怪しくない。

 だから伯爵が何をどれだけ言ったところで、何の保証にもならない。


 国王もそんなことは百も承知だろう。それでも二つ目を寄越せと手を出した。


 もしかするとそれは、武を以て鳴る王の見せたささやかな威勢だったのかもしれない。貴族や騎士を前に、暗殺などに恐れる素振りを見せるわけにはいかないと。


 本当にそうなのか、全くの見当違いなのか、国王の面子に関わることだけに誰に聞いても答えはないだろう。

 しかしプロキス侯爵もメルエム男爵も、現実として王のそれを止めなかった。

 三つ目、四つ目までを、もちろんプレクトス伯爵と半分ずつに口へ入れた。


「ん……」

「陛下、ご気分が?」

「いや、大事ない。これが違和感というものであろう。もう治った」


 国王がほんの一瞬、あらぬ方向へ意識を飛ばしたのが見て取れた。軽い立ちくらみ程度のものだろう。


「毒ではなくとも、食べつけぬ物となれば腹を下されることもありましょう。もうその辺りにされたほうが」

「それもそうであるな」


 侯爵は従者を近くに呼んで、国王に水を飲ませた。ふっくらとしたクッキーだったけれど、それは水分くらい欲しくもなる。


「して、これを食べることに何の意味があったのかな。先ほども言ったが、なかなかうまかった」

「いえ。陛下の反応を見たかっただけで、それほど深い意味はありません」


 そんなはずがあるものか、と。言いたかっただろうとは思う。明るく微笑む伯爵の表情が、何とも白々しい。


 しかしこれだけあからさまにとぼけている相手に、そんなことを言っても無為な問答が繰り返されるだけなのは目に見えている。

 ましてや今は辺境伯を待たせていれば、軍議もしていない。そろそろ時間も限界というところだろう。


「──左様か。では、今度はそなたの番だ」

「もちろん」


 伯爵は片目を閉じてウインクをして見せ、ひと声「にゃお」と鳴いた。

 見る間に――という時間さえもなく、丈夫の姿は消え去って、琥珀色の髪を靡かせた美しい女性が現れる。

 その女性は声の通りにキトルで、ボクにとってはとても馴染み深い。


「団長!?」

「お待たせにゃん」


 団長が何をしにどこへ行ったのか、ボクは聞かされていなかった。

 でもまずは、最初に辺境伯の軍勢だと思われていたほうに潜入するようなことを言っていた気がするのだけれど、どこをどう巡ってここへ来たのか。それも国王と一緒に来るなんて。


 ボクが驚いたのと同様かそれ以上に、周囲の人々も驚いていた。

 国王や侯爵、近衛騎士たちは「誰だ!?」となっていたし、幻術を使えると知っている男爵やミリア隊長たちも「城からずっと!?」と、あんぐり口を開けた。


「聞かれる前に答えるにゃ。あたしはショコラ。盗賊団、ミーティアキトノの団長にゃ」

「…………と、盗賊が何をしているか」

「大したことじゃないにゃ。うちの団員のアビたんが、好きな女の子を盗むお手伝いにゃ。リマっちをどうにかしないと、それが叶わないにゃ」


 リマっちがリマデス辺境伯を指すとは、王と側近たちにはなかなか思い至らなかった。首を捻っているところにメルエム男爵が「リマデス辺境伯のことにて」と注釈を入れ、ようやく伝わった。


「男爵はこの者と知己なのか」

「は――そもそもは、カテワルトにて有名な者たちです。私に直接の関わりはありませんでしたが、港湾隊の宿敵として聞き及んではおりました」


 プロキス侯爵の問いは当然だろう。盗賊を名乗る人間と貴族が知り合いというのは、少々以上によろしくない。


「今は言動にも心当たりがあるようだが?」

「話せば長くなります。それはのちに説明させていただくとして、目的はともかく辺境伯の反乱を察知することと、その阻止を共に動いてくれました」


 重ね重ね、時間がない。その話せば長くなるところが重要であろうに、と侯爵は言いたそうだ。

 しかし国王に伺いを立てようと顔を向けた途端に頷かれては、話を前に進めるしかなかったようだ。


「ではショコラ。貴様はプレクトス伯に化けて、何の狙いだ。決定されたのはもちろん国王陛下だが、その御身をここへ運ぶよう進言したのは貴様であったな」

「だから言ってるにゃ。あたしはアビたんのお手伝いにゃ。アビたんの作戦が面白そうだったから、王さまも参加してもらおうと思ったにゃん」

「面白かっ……」


 国王の面前だからか、それまで穏便に話していた侯爵もさすがに怒りを顕わにした。声を詰まらせて頬をひくつかせ、怒鳴ってしまうのを何とか堪えているらしい。


「良い」


 おもむろに国王は言った。

 良い。つまりは本来、団長のやったことは国王を欺き、戦場に連れ出す策謀を働いたということだ。暗殺を企てたにも等しい。それを許す、と。


「陛下!?」

「良いのだ。男爵の言う通り、目的はともかく国のために働いてくれたのであろう。余を始めとして、王族に非のある話だ。何を咎められようはずもない」

「物分かりが良くて助かるにゃん」


 耳の辺りの髪を撫でつけながら、団長は軽快に言った。これにまた侯爵が反応しかけたけれども、今のは間違いなくからかったのだろう。

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