第236話:毒見
「それは何か」
「だから食べ物ですよ。なかなかおいしいです」
自分は怪しいと認めたような人物の勧める物を、食べるとでも思っているんだろうか。しかもいつ暗殺されるかと警戒している立場の国王が。
いやむしろ怪しいと言ったうえなのだから、怪しくないのか?
「貴様、どうもおかしい。プレクトス伯爵でさえないな!」
「その通り」
にやっと笑う伯爵――ではないが――は、その不敵な顔を周囲の全員に向けた。ぐるりと見回して、さあ誰がこの正体を暴くのかと挑発しているようだった。
「取り押さえよ!」
プロキス侯爵の指示で、近くに居た近衛騎士が十人ほども前に出る。
それも一度に飛びかかるような愚は犯さない。三人が素早く直近まで移動して伯爵を包囲し、更にその周りを残りの騎士たちが包囲する。
伯爵はこの様子を、棒立ちで見るだけだった。いや腕を組んだところと表情からすると、「やれやれまだまだ」と包囲の甘さを嘆いているのかもしれない。
「かかれっ!」
外側の包囲に居た、上位なのだろう騎士が号令をかけた。内側の三人は呼吸を合わせて前に出る。
ぎん、と。三つの刃の打ち合う音だけが響いた。交差する三本の先にも下にも、伯爵の姿はない。
――となると。
「上だっ!」
三人の騎士が見上げた時には、伯爵が視線の高さまで落ちてきていた。しかも未だ空中にあるその姿勢で、踵からの回し蹴りを放つ。
揃って顔面を弾かれた三人は「がっ!」と呻いてよろめき、膝を突く。
しかしこれに見蕩れている近衛騎士ではなかった。外側の騎士たちは三人を押しのけて前に出ると、上下交互に刃を突き出す。
が、伯爵は一人の槍の柄を握って払うと、突進する勢いの全てを肘に乗せ、相手の額を打って包囲の外に逃れていた。
「ほう……」
感嘆の声を、国王はごまかすこともなく漏らした。それはこんな人間離れした体術を見せられれば、素人でも驚くし感心する。
「大したものだ。出来れば名を聞いておきたいものだが。無論、本名をな」
「これを食べてくれれば、言いましょう? そうでないなら、ここで私は帰らせてもらう」
続いて取り押さえようとした近衛騎士を、プロキス侯爵とメルエム男爵が押し留めた。如何なる時でも、国王の会話を邪魔することは出来ないらしい。
「陛下。そのような戯言に耳を貸してはなりませぬ」
侯爵の直言だったけれど、国王はあまり気にしている様子はない。ちらと目を向けて、小さく頷いただけだ。
「良かろう、食おう」
「陛下!」
絶叫する侯爵に「まあ待て」と国王は諭す。
「この者、城内からここに至るまで、構造をよく知っておった。此度の件にも、何かと知っておるようだしな。このまま誰とも知れずに放置しておくのもまずかろう」
「それは――」
国王の言い分が正論だった。
ここで捕らえなかったとしても、あとあと何かあった時に「あの時のあいつだ」と見当の付けられるほうがいいに決まっている。
今のままでは、あいつは結局誰なんだとしかならない。
「食うのは良いが、毒殺のおそれがないようにはしてもらうぞ? そうでなければ余は良くとも、周りの者が許してくれんでな」
「構いませんよ。一つを半分に割って、一方を私が食べましょう。それで駄目なら、この袋の中にあるだけ何人に食べてもらってからでもいい」
「うむ、そうしよう。ああそれから、茸だけは食えんでな」
伯爵は、ふっと笑って頷いた。国王の肝が太いことを気に入ったのだろうか。
無作為に取り出すのだから、それだけして国王にだけ毒を飲ませるのは無理だろう。もちろん取り出したり割ったりするのも、王軍の誰かになるだろうけれど。
侯爵も、異論を唱えなかった。言いたいことはあるようだったけれど、国王の言い分と毒殺を防ぐ方法も提示されて、それでもとはいかなかったみたいだ。
「メルエム男爵。あなたにこの袋を預けよう」
「私に?」
突然に指名されて、男爵は少し驚きつつも素直に袋を受け取った。すぐに中を見て、何個かを手に取って示す。
「クッキーです」
「おお、甘味か。それは良い」
「先にどなたか毒見をしますか? 三つ、四つほども残してもらえれば、あとは存分に」
自分の上官の顔をしているのに、それは当人でないとはどういう気分なのだろう。言った伯爵の顔をじっと見て、男爵は持っていたうちの一つを、ぽいと口に入れた。
「ああっ! 男爵、何をしておる! 兵士の誰かにさせれば良いものを!」
また侯爵が叫ぶ中、男爵はぽりぽり音を立ててクッキーを味わう。
毒を確かめているのか味を楽しんでいるのか、しばらく口の中で破片を転がしたりしていたみたいだけれど、やがてごくりと飲み込んだ。
「おいしゅうございます」
「……毒は」
心配そうに、おろおろといった様子で侯爵は尋ねる。
しかしすぐに分かるはずもなく、男爵は「少々お待ちを」と答えて、自分の頬や腕、腿の辺りを叩いてみたり揉んでみたりと変化がないか確かめていた。
手足をぷらぷらと動かしてみても、特におかしなことにはなっていないように見える。
「ふむ――私も毒の味は多少なりと学んでおりますが、入っていないようですね。入っていたとしても、一つ二つを食べたところでどうということもない量でしょう」
船では食べ物や飲み物が限られるので、毒殺がやりやすい。状況によっては腐っていると分かっている物でも、食べないといけなくなるくらいだからだ。
だからこそ優秀な船乗りは、食べたら絶対に死ぬ物とそうでない物を判別出来るようにすると聞いたことがある。
「他に食べてみたい者は?」
国王が問うても、手は上がらなかった。
平民である兵士や士爵や準爵である騎士たちでは、男爵が大丈夫と言った物に疑いを唱えられない。ミリア隊長が、こっそり教えてくれた。
「男爵を疑うわけではない。しかし万が一にも陛下に何ごとかあった時、私が何もしなかったということがあってはならぬのだ。念を入れさせてもらう」
「ご立派です」
男爵は褒めたけれども、二番手なので強がりという風には見えてしまう。それでも確かに、それはそうする必要があるのだろう。侯爵は指を震わせながら、男爵の手にあるクッキーを取って食べた。
「――うむ。多少風味は落ちているが、うまい。作りたては、さぞうまかったのだろう」
侯爵は、意外と味にうるさいらしかった。
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