第234話:疑惑と困惑

 細くしなやかな指がさしたのは、国王の脇に立っていた人物。プロキス侯爵とは反対に立って、国王が歩くのを助けていた。

 王の補助はプロキス侯爵に任せて、今は一歩下がった位置へ静かに佇んでいる。

 さっきの檄には、どんな顔を浮かべたのだろう。

 メルエム男爵の問いに若干の戸惑いのようなものが見えるだけで、怪しい雰囲気はない。


「男爵。プレクトスは、王城から余と共にここまで来たのだ。それをどうしたのか」


 その名前には、聞き覚えがあった。いやもちろんさっきの国王の言葉の中にもあったのだけれど、そうではなく。


 洞窟の中で潜んでいる時に、ミリア隊長から聞いたのだったか。王軍の第六軍はいわゆる海軍で、強力な大砲を積んだ大型帆船から河川を走れる快速艇まで、水上の全てを請け負う。

 港湾隊もその一部で、世界最大の港を抱えるカテワルトの町を守るのが任務だ。


 彼女が先日言っていたように、海には荒くれ者が多い。陸に居ないのかと言われると、そんなこともないのだけれども。

 ともかくミリア隊長のような恐れ知らずや、メルエム男爵を筆頭とした切れ者をもまとめあげる軍団長が居るのだと。


 その名が、プレクトス伯爵と言った。


 国王が城からここまで来るのをずっとサポートしてきたと、国王自身が言っている。それを怪しい人物と言ってしまうと、国王も怪しいということになってしまわないだろうか。


「男爵。何かそのような確証でも?」

「もちろんです、プロキス侯爵。陛下が本日最初にご覧になった時点で、既に伯は本人ではありません」


 男爵は断言する。

 国王の発言は絶対だから、王城から一緒だったという根拠のほうが間違っているのだと言った。

 決して王の発言に逆らっているのではないと。

 それでも王が根拠と考えたことを否定したのだから、これが「間違いでした」ではすまない。


「男爵はここまで言っておるが……」


 国王もメルエム男爵のことは、高く評価しているのだろう。最初から疑っていないし、今も「馬鹿なことを言うな」などと頭ごなしに否定する素振りはなかった。


 そもそもプレクトス伯爵という人物を知らないボクには、当然に怪しいかどうかも分からない。

 ここまで行動を共にしてきた男爵のことだから何かあるのだろうとは思うけれど、援護も何も出来ることがない。


「我が副長殿は、何を言っているのか。何者かと問われても、貴公の上官というくらいしか答えることがない。貴公に限って、顔を見忘れたなどともあり得んしな」


 苦笑めいた顔で、プレクトス伯爵は弁明した。弁明というには内容が足りないようでもあるけれど、むしろそれが自然な反応とも思える。


「陛下の御前ではあるが、これ以上に悪ふざけを続けるなら実力を以て暴くことになる」


 男爵の右手が、舶刀の柄に触れた。間合いは三歩と少ししかなく、男爵ならば一息にどこでも切りつけられるだろう。


 男爵にとってこれはもう、悪ふざけではすまない。王の前で柄に触れるなど、抜いたのと変わらないのだと聞いたことがある。

 抜くに足るだけの理由があれば良し。でもそうでなければ、男爵が王を害しようとしていると誹謗されても仕方がないとなるらしい。


 そうだミリア隊長なら、何か分かるかもしれない。

 期待を込めて顔を向けると、彼女の顔にも当惑しかなかった。


「──どうなんです?」

「いやあ……さっぱり」


 あらら、そうなのか。

 見守るしかないボクたちをよそに、緊張は高まっていった。


「──待て。怪しいという話であれば、メルエム男爵。貴公こそ、どうしてここに居る。報告では、しばらくジェリスに駐留するとなっていたはずだが」

「……左様でございます」


 そのプロキス侯爵の問いが、男爵の立場を一気に悪くした。

 そうだ、男爵は海上要塞への駐留を命じられたのに、それを放棄してここへ来ている。それを言われれば、他人を怪しいと言っているどころではない。


「プロキス侯爵は、王軍の全てを統率しています。称号として元帥と呼ばれていますね」


 どうして侯爵が海軍のことに通じているのか、ミリア隊長に聞いた答えはこうだった。


 なるほど軍事の一番偉い人なのか……って、じゃあ男爵の上官でもあるわけだ。

 それはきちんと申し開きが出来ないと、立場が悪いどころじゃすまないじゃないか。


「プロキス侯爵の仰った通りではあります。が、しかしそれが私の怪しんでいる根拠でもあります」

「どういうことか」

「私は自身の任務を、プレクトス伯爵に押し付けました。その咎めは後のこととさせていただくとして、伯こそがたった今ジェリスにお出でのはずなのです」


 男爵の説明は具体的で、内容は褒められなくとも説得力はあった。猜疑の目が、今度はプレクトス伯爵に注がれる。


 けれども伯も「何のことやら」という雰囲気を存分に示す。こうなっては、この両者の意見を聞くだけでは解決が見えない。


「陛下、御前を失礼申し上げます。勝手に発言する無礼をご容赦いただきたい」


 ここでまた、ややこしい人が入ってきた。全身鎧の騎士と、ヌラを従えたユーニア子爵だ。

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