第229話:辺境伯の仕打ち

「ぐ……う……」


 ヴィリス王子は、辛そうであっても苦しそうではなかった。首を掴んでいるように見えるけれど、きっと顎の骨を持っているのだろう。


「どう――した。締め――殺すのではな――いのか」


 それでも圧迫されているせいで、掠れたような声が途切れ途切れにしか聞こえなかった。


「脱げ」

「――は?」


 脱げ、と聞こえた。それはもちろん、装備や衣服のことだろうけれど。辺境伯はどうして急にそんなことを言い出したのか、見当もつかない。

 だから何か他の言葉と聞き違えたかと思ったのは、ボクだけではないようだ。


「――何と?」

「脱げ。全裸になれ」

「ふざ――けるな」


 ヴィリス王子は、からかわれていると考えたのだろう。顔は天を仰いだまま、視線だけで辺境伯を睨みつけようとする。

 しかしその言葉にも視線にも、辺境伯は何ら感慨を持ったように見えない。感情の定まらない、ただまっすぐな視線を向け続ける。


 それからどれくらい――いや実際には大した時間ではないと思うけれど、長い時間が経ったような心持ちだった。

 ヴィリス王子の手が重そうに、震えながら動いて、辺境伯の腕に触れる。


「い、い――い加減に――」

「辛いか。ならば脱げ。そうすれば下ろしてやる」


 珍妙な命令──ではなかったとしても、洒落てはいないだろう。

 究極の緊張感が続く戦場で、服を脱いで裸になる。それは想像するだけでも、事実として無防備になるという以上の、場違いというか違和感を当人にも周囲にも感じさせる。


「王族が──そのような」

「それならそれで構わん。服を脱ぐというだけの圧力に、命を懸けて抗する王子。素晴らしい英雄譚になりそうだな」

「く……」


 王子が不特定大勢の前で、他人に命令されて全裸になる。それは確かに恥ずかしいだろうし、王族ともなればその意味も計り知れない。

 けれどもそれが、王子に課せられた責任をそこで投げ打つだけの意味を持つのか。

 王族でないボクにも。いや王族でないからこそかもしれないけれど、裸になるくらいは引き換えにするほどの重さを持つとは思えなかった。


「ぐ……う……うう……」


 葛藤によるのか、体勢が辛いのか、両軍の騎士や兵士が見守る中を呻き声だけが続いた。

 服を脱ぐべきなのか、そうしないべきなのか、助言くらいしてあげればいいと思うのだけれど誰も言わない。

 ワシツ将軍とメルエム男爵に目で訴えかけても、二人とも黙って首を横に振るだけだった。


「一騎討ちの最中だからというのもありますが、この決断を人に頼っていたのでは、やはり王子としてのお立場がなくなるのですよ」

「はあ……厳しいですね」


 そんなことを言われたら、ボクなんかはどうすればいいんだ。何をするのも判断を仰いで、どんなことも誰かに手伝ってもらっているのに。

 そんな風に考えていると、ミリア隊長がそう教えてくれたことさえ引け目に感じてくる。


「分かっ――た」

「遅い。早くしろ」


 ヴィリス王子は決断した。その判断が遅いと辺境伯は言っているけれど、それにしてはゆっくり待っていたような。

 ああ。判断が遅くなればなるほど恥、というのもあるのか……。


 王子はもう答えない。喋るのも辛いので勘弁しろ、という状態だろうけれども。 もう震えるというか、高い音を響かせる薄い金属板のように振動する手で、王子は自分の身に着けている物を解きにかかった。


 千切れて意味のないマントが落ち、肩当てが外れ、胸当ても地面で重い音をさせる。鉄環鎧の下からは綿入れと、仕立てのいいシャツが見えた。

 着ている人物の財力を示す大きなボタンは、今の王子でも外しやすいだろう。そういう意味合いで使われているのでないとは思うが。


 上半身を終えて、王子は躊躇わずにズボンの紐も緩めた。でも汗やら何やらで濡れた布は、脚に貼りついてしまってずり落ちない。

 手が届く範囲で下ろそうとしても、ようやく尻が見える程度だ。


「手が――と、届かない」

「早くしろと言っている」


 手伝う気はないらしい。

 王子も繰り返さず、なんとか手で下ろせないかやっているけれども、どうにもならない。

 そのうちに、一方の足の指で反対の裾を摘むことを思いついた。それで脱ぐことが出来そうだけれど、不格好なのは否めない。


 無様だった。

 馬鹿にして言っているのではなくて、ボクがその立場でも羞恥に耐えられるだろうかと同情してしまう。

 それを一国の王子がしなければならないとは、どれほどのことに感じるのか。


「いっ、言わ──れた──げはっ! 言われた通り──全裸になった!」


 もうやけくそなのか、これまでで一番の大声で叫ぶ。

 でも辺境伯が、これで満足するとは思えない。これでは本当にただの嫌がらせで、酒場で酔っ払いたちがやっているのと大差ない。


 と思ったのだけれど、辺境伯は王子から手を離した。


 突然だったし、血が下がってしまってうまく手足が動かせなかったのだろう。王子はざざと砂の音を立てて、地面にひしゃげるように落ちた。


「くう……」


 痛みを堪えながら、薄目で辺境伯の顔を窺う。これで終わりか? と、期待を隠した視線が哀れだ。


「よく出来た。早速、次の課題だ」

「次──?」

「おい、それをこっちに持ってこい」


 辺境伯の指したそれとは、先ほど少しの距離を離されたリンゼ王子だ。

 兵士たちによって血止めなどの応急措置をされているが、人相は戻っていない。


「弟に何をする」

「俺じゃない。するのはお前だ」


 王子に恥を晒させる拷問は、ここからが本番だった。

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