第228話:未熟な人

「甘ったれるなと言いながら、リンゼには甘いもてなしだったな」

「戯言を聞く耳は持たん」


 ぴしゃりと言われて、ヴィリス王子は顔を歪めた。

 しかしそれ以上には何も言わず、剣を構える。リンゼ王子の落とした盾を拾って、剣術試合でよく見る、攻防一体の構えだ。


「言っていた以上に自信があるんでしょうか」

「いや、逆であろうな」

「逆、です?」

「それまで適当にあしらわれていたリンゼ王子殿下は、諦めると言った途端にあの仕打ちだった。だから逆に挑戦的にしていれば、手心を加えてもらえる……と考えられたかどうかは儂には分からんが」


 ワシツ将軍も二人の王子が褒められた人格でないことは、認めているようだ。もちろんその立場で、公言することも出来ないだろうけれど。


「宜しければ……始めっ!」


 双方の表情に確認を求めた、ベラドル子爵の合図がされた。


 相変わらず辺境伯は、無造作に剣を提げて動かない。ヴィリス王子は盾を突き出すようにしながら、慎重に前へと出る。


 最初の距離は二十歩より、もう少し遠かった。それを王子はゆっくりと、機嫌を窺ってでもいるかのように、辺境伯の表情を見つめながら詰める。


 一歩。また一歩。辺境伯が僅かに体重を移動させたのを見て、立ち止まる。それからまた半歩。

 この調子では終わるのが明日になってしまうと考えたのは、ボクだけではないと思う。


 手練同士が争えばお互いに動きが取れないこともままあるけれど、これはそうじゃない。

 まだ見ていない、王子の剣捌きがどうかは別にしても、足の運びが素人だ。


 自分自身の体幹を完全な支配下に置くことを理想とする、戦士の動きではない。

 かといって、例え姿を晒していても自分の足がどちらを向いているのか悟らせないようにする、盗賊のものとも程遠い。


 実は熟練しているのに、演技としてあれをやっているのだと考えるのも不可能なほどにお粗末だ。

 戦闘に関して素人に近いボクでさえ断言出来る。


 ヴィリス王子は訓練なんか全くしていない。本当にリンゼ王子との訓練を気紛れにでもやることがあるのだとすれば、余程うまく手加減してもらっているのだろう。


「ヴィリス王子が、お兄さんでしたっけ」

「そうです。現在のところ、王位継承権は一位ですね」

「それは、何とも……」


 必ずしも王が武芸に秀でている必要はないだろうけれど、それをごまかすような人格はいただけない。

 それを支える軍人であるところのミリア隊長にそんなことははっきり言えないけれど、そうと察しはしたようだった。


「歴代の王も、色々と個性がお在りです」


 メルエム男爵に聞かれてはいないかと気にしながら、ミリア隊長は肩を竦めて正直な感想を口にした。

 良いとも悪いとも評価するような言葉は含まれていなかったけれど、今のが褒めていないことはあからさまだ。


 ヴィリス王子と辺境伯の間合いは、およそ十歩の距離を残していた。

 一歩も動かず、少し揺れる程度の体重移動しかしていない辺境伯。

 緊張のあまりにたったそれだけを移動するのにも息を上げて、汗をかいているヴィリス王子。

 そこで大きく一つ、息を吐いて吸った王子は、覚悟を決めたか体重を前に傾けた。


 全力で走り出す予備動作だと分かった時には、もう王子はその場に居なかった。


 王子が神速とも言えるような足運びを見せた──のではない。

 辺境伯が熟練の動きで、ほぼ直立の状態から間を縮めたのだ。


 加速しながらの一歩目で距離の半分を消し、既に最高速となった二歩目で体勢を作り、目の前に達した三歩目で王子を打った。


 それが剣の柄だったのか、拳だったのか、或いは他の部位なのかまでは見えなかった。


「ええと──」

「手の平だね。ただ、押しただけだよ」


 メルエム男爵はボクの疑問を簡潔に解決すると、唾をごくりと飲み込んだ。


「く……う……何だ今のは」

「早く立て」


 王子にそれほどのダメージはなさそうだ。ぐいと押されただけなのなら、当たり前だけれども。

 どうして転がされたのか理解してもいなさそうで、痛みなんかがないことを理由に侮った笑みを浮かべる。


「こんなものでリンゼは音を上げたのか」

「こんなもの? ならば続けてやろう」


 今度は辺境伯が動いた。

 もう完全に間合いの中に居るから、一歩で距離を全くのゼロにして押す。

 立ち上がるのを待って、またすぐに押す。

 また押す。何度も押す。


 五回だったか六回だったかで、ヴィリス王子は膝をがくがくと震わせた。

 ただ転んで起きただけでなく、転がされまいと踏ん張っているのを、力づくで押し倒されているからだ。


「素早いのは──認めるが──こんな──ことでは──」


 参ったとは言わせられない、と言いたかったのだろう。それだけ息も絶え絶えになっていれば、言おうが言うまいが同じだと思うけれど。

 ともかく王子が、それを言うことは出来なかった。


「その思い上がりだけは一人前だ」

「が……ぐぎ……」


 ヴィリス王子も鎧を含めた軍装を、身につけている。鎧はたぶん胸当てだけが金属製で、あとは鉄環鎧リングメイルだろう。全身鎧などとは比べるべくもないとしても、相当の重さのはずだ。


 それを辺境伯は、王子の首に右手をかけて、その腕一本で吊り上げていた。

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