第223話:狂気の舞台

 カテワルトの東側は南に海を臨んで、概ね平原と呼んで差し支えない。

 北に目を向ければデクトマ山脈の南端がそこにあるし、その裾には森が広がっている。しかしそれは北に向かって広がっていくので、東に目を戻すとやはり広大な平地が果てしなく続く。

 まばらに畑もあるけれども、それ以外はワカンやカプンを放牧する姿もよく見られる草原だ。


 圧迫する何物もなくて、風が自由に舞うこの風景をボクは割と好きだ。

 しかし今は累々と倒れる死人に塗れて、鉄と死の臭いが漂っている。そこには暴力で意思を通そうとする人間しか居ないように思えて、その緊張感や威圧感で身も心も圧し潰されそうにさえ感じた。


 ただその暴力で意思を通そうとする人間というのは、他ならぬボクたちもその類外でない。それだけは、忘れてはいけなかった。


「さあ観客も到着したようだ。舞台の開演といこうじゃないか」


 ギールの半包囲する中に、辺境伯は居る。包囲は内にでなく、外に向かって。つまりはボクたちの居る側に、武器を向けている。

 辺境伯の向く対面には隊列などなくしてしまった王軍があって、その先頭に立つ二人が王子と見えた。

 王軍の兵士たちは武器を携えてはいるものの、そこには何の意思も通じていなかった。だらりと提げている刃を上げて、何人かがただ前に出れば辺境伯を討ち取れるだろうに。そんなつもりは全くないようだった。


「――化け物め! 我らをどうしたいのか。どうさせたいのか!」

「ああ? 何度も言っているだろう。俺はお前たちに、恥を晒してほしいのだよ」

「わっ、我らが恥を晒し、身を朽ちさせたとしても、ち父上がおまっお前を誅するぞ!」


 ぜえぜえと切らせた息を整えながらも、ミリア隊長が教えてくれた。化け物と罵ったのがヴィリス王子で、たどたどしく喋ったのがリンゼ王子だと。


「ああ立派な覚悟だ。さすがは一国の王子だ。ただそれが獣の国では、敬意を払おうなどとも思えんがな」


 皮肉を言うのだから嘲笑の一つも浮かべるのかと思えば、辺境伯の表情にはおよそ笑みと分類されるものはなかった。

 斜め後ろから見るボクにでさえ、その視線は恐ろしくて恐ろしくて、恐ろしかった。


 視線で射殺すとか、焼き殺すとか、そこに宿った意思を例える言葉は多々あるだろう。

 それと同じように辺境伯の目を表すならば、肉を叩くための槌だろうか。


 誰しも一度くらい、気のすむまで相手を殴り飛ばしたいと思うものだそうだ。

 今の辺境伯もきっとそうなのだろうと思うけれど、そんな生易しい気持ちでないだろうとも同時に思う。


 殴って、潰して。泣き叫ぼうと、それをもスパイスとして練り込んでいく。

 冷たさと硬さの共存した目が、ボクにそんな光景を想像させた。


「まあ──お前たちをいたぶって楽しもうというのじゃない。それではお前たちと同じになってしまうしな。本題を言おう」


 王子たちは答えない。ぐっと緊張した面持ちで、続きを待っている。

 それはここまでにユヴァ王女の件だと告げられているし、気楽に待てるものでもないだろう。

 そこから予想できる要求も、こうだと言われておいそれと出来ることだとも考え難い。


「お前たちがユヴァにしたことを、洗いざらい話してもらおう。何をどうして、どう思って、どうなったのか。何もかも、一切の隠しだてなくな」


 うん? と、意味を捉えかねたのはボクだけではないだろう。他ならぬ王子たちも、胡乱な表情で「何を言っているんだ?」と顔に書いてあるように見える。


 それはそうだ。それはつまりユヴァ王女に行った悪辣な行為をこと細かく話して聞かせろと言っているのであって、辺境伯への嫌がらせにはなっても王子たちにダメージはない。

 まあ自分たちの悪事を言わされるというのもストレスではあるだろうけれど、どちらに被害が大きいかと言えばそれは自明だ。


「どうした、ここは舞台だと言っただろう? 開演もしたと。早く始めろ。身振り手振りもちゃんと加えてな」


 こんな状況でなくとも、そう言われてささと出来るものでもないだろう。王子二人は互いに顔を見合わせて、どうするかの目配せを繰り返すだけだった。

 すぐに――それでも十秒ほどは待っただろうか。辺境伯の怒声が飛ぶ。


「ぐずぐずするなっ! 早くしろと言っている!」


 今までどこに居たのか、イスタムが辺境伯の傍に寄る。さすがに何を話しているのかは聞こえない。しかしイスタムの言ったことに、辺境伯が頷いたのだけは分かった。


「そうか、こちらの準備が済んでいないのを忘れていた。すまなかったな」


 怒鳴ったがために、怒りを隠せなくなったのだろう。まだ少し震えた声で辺境伯言い、右の腕を上げた。

 そのまま手首だけを捻って合図を送ると、王子たちの後ろで悲鳴が上がった。


 ぎゃあとも、ひいとも、なかなか再現の難しい声音であって、しかもそれがいくつも重なっていた。

 いくつ重なっていたのか数えることは易しかった。黙って耐えた人が居たのでなければ、十人だ。


 個人差も激しいけれど、ギールはハンブルより背が高いことが多い。普通でも頭一つは差があるだろう。その中でも巨漢と言っていい、兵士たちの渦中で半身を飛び出させたギールが十人。それぞれが王軍の兵士を一人ずつ宙吊りにしていた。


 その方法もなかなかに豪快で、兵士の頭頂付近を左手でわし掴みに持ち上げている。兵士が暴れたところでギールの顔や胴体はおろか、掴んでいる腕にさえ届かなかった。

 しかしそれも拷問のお膳立てに過ぎない。それだけであれば、さっきの悲鳴が起きるはずもない。


 吊られた兵士たちは、手の先から血を流していた。

 その血は治療なしで止まることはないだろう。どくどくと鼓動を見せつけるかのように、波打ちながら滑り落ちていた。

 十人の兵士は、それぞれの手の指の何れかを一本、切り落とされていた。


 それをなしたのは、ギールの手にある鋏――いや爪切りだ。

 ギール用に作られた物だろう。湾曲した刃先も厚く、鉄板さえも切り落とせそうな代物だった。

 普通に使えば平和な光景を生み出すそれが、今は凶悪な拷問の道具となっていた。


「さあ。お前たちが演技を終えるのと、全ての指がなくなるのはどちらが早い?」


 また怒りを抑え込み、平坦になった辺境伯の言葉が冷たく鳴り響いた。

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