第222話:その意図は如何に
「ええと、つまり――どう違うんです?」
謀られているとはどういうことか。ボクはまだ理解していなかった。
振り返るように言われて男爵はすぐに気付いたけれども、何に目を留めればいいのかさえボクには分からなかった。
いつまでも考えてばかりもいられないので、事情を共有したらしいマイルズさんに聞くとすぐに教えてくれはした。
「ですから。こちらが押しているのではなく、向こうが引いているのですよ」
「はあ――」
最初に聞いたのと、全く同じ答えだった。この意味が分からなかったから聞き返したのだけれど、マイルズさんもだいぶん疲れているらしい。
ああ、そうか。ボクも聞き方を変えていなかった。人のことなど言えたものじゃない。
「あの。振り返っても、何が問題なのか分からないんですが」
「それはですね。お互いの死体が倒れているでしょう」
「ええ、それは見えますけど。戦場なので、まあ」
戦場だから、死体はあって当たり前。なのだけれど、そうと言葉に出すのを躊躇った。まあこれを言わなくても通じるだろうし、通じなくても問題はない。ボクがまだ分かっていない、ということだけ伝わればいい。
「ああ――そうですね、説明になっていなかった。要は死体の数が減っているんです。しかも相手の死体が特に」
「死体の数、ですか」
そう言われて、まさか誰かが死体を持ち去っているのかと思った。遺品を剥ぐのはよく聞くけれども、死体そのものまでとは聞いたことがない。それもまだ戦っている最中に。
しかしそんなことが起こっていたとしても、死体に目印を付けているわけでもないのに気付くのは不可能だ。
ということは――。
「なるほど――おかしいですね。こちらが押しているのに、向こうの被害がより少なくなるなんて」
「そうです。逃げに徹しているならそれもあるでしょうが、そうではないのですから」
つまりは死ぬ兵士の数が、お互いに減っているという話だ。マイルズさんの言うように、向こうは目に見えて逃げているわけではない。押されつつも頑強に抵抗しているようにしか見えない。
正面からの押し合いなのだから、押されているほうの被害が多くなければおかしいし、すぐ後ろとその向こうでは死体が地面を覆う密度が違っていた。
「だから誘い込まれている、と」
「ええ。しかしこのまま押す以外に、手はありません。他にまとまった兵力でもない限りは」
「そうなりますね――」
カテワルトの西での戦いは、どうなったのだろう。辺境伯の軍勢と見せかけていた、ディアル侯とサマム伯の二万。迎撃する王軍は二万を超えていたはずだけれど、勘定に入れていた警備隊はこちらに来ている。
反乱する側に引いて機会をあらためる選択肢などないし、王軍はすぐ後ろに首都があるのだから敗北は許されない。
どちらかが決定的な勝利を掴むまで、徹底して戦うしかない。
一方が死に絶えるまで。
実際にはそうはならないだろうけれど、そんな光景を思い浮かべてしまって、胸が苦しくなった。
自然とサバンナさんの背に居るフラウに目が行って、見ていられなくて目を逸らしたくなる。
フラウはこれまでに犯してきた罪と、この戦争を引き起こす原因に加担した事実とを背負わなければならない。
それを彼女がどう捉えるのか、その価値観を理解出来ていないボクには想像もつかない。
或いは罪とも思わずに生きていけるのかもしれないけれど、それはそれで酷く悲しいことだ。そう出来てしまう人が、まともに生きていけるのかと思う。
どうであれ、ボクがフラウの傍に居る。このあとのことは、また考える。覚悟は揺るがなかったけれど、そこに課題が蓄積されていくのは自覚していた。
まずは辺境伯だと、居るであろう方向に視線を遠く投げた。その視界の中に、引っ掛かりを覚える。
「ん――?」
息を整えたマイルズさんは、もう戦列に戻ってしまった。今見たことを、聞いてほしかったのだけれど。
お互いが衝突する付近になるほど、両軍の兵士はそれぞれ間隔を狭めることになる。
それでも隊列をなるべく崩さずにいる訓練の行き届いた様は、粒の揃ったフルメントのようでもあった。甘くておいしいのだけれど、薄い皮が歯の間に挟まるのは何とかならないものだろうか。
――いや、フルメントのことはどうでもいい。
こちら側は粒が抜けてしまいそうな場合には、別の粒が間断なく入って隙を生じさせないようにしている。
対して向こう側。辺境伯の軍勢では、交戦している後ろに居る隊が不意に抜けていく。その前に居る隊は抜けた穴に下がり、それで生じた隙間は左右が詰める。
それは恐ろしく鍛えられた動きで、戦っている人たちでは気付くことが出来ないだろう。
ミリア隊長が喝破した通り、意図して交代しているのは歴然だった。
ボクが一人で気付いていても、サバンナさんに相談したとしても、兵士たちの指揮系統に関わらないボクたちではワシツ将軍とユーニア子爵に伝えることが出来ない。
うちの団員で対処してもらう方法も難しい。意識のないフラウを背負うサバンナさんとボクが、直近に抜けてきた相手だけを対処すればいいのは団員たちの立ち回りのおかげだ。
どうすれば……。
悩んでいるうちに、とうとうこちら側が前線を突破した。
辺境伯の兵士たちが、波の引くように左右に割れて後退した向こうに見えた景色。それは予想していたのと全く違っていた。
堂々と、王軍に向かって立つ辺境伯。
その対面に、額冠を頂いた二人の若い男。あれが王子だろうか。
互いに兵を従えてはいるけれど、一方は静かながらも猛り、一方は委縮しているように見える。
刃を向け合ってはいても、もうそこに戦闘は存在していなかった。
この戦いの決着は、既についていた。
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