第224話:血の晩餐(※注:残酷な表現があります)
王子たちも、王軍としてそこに居る他の誰も、何も言わなかった。
そのつもりはあるのだろう。言いたいこともないではないのだろう。幾人かの表情はわなわなと震えて、それが怒りなのか恐怖なのかはともかく、思いがうまく言葉として出てこない様子だった。
「ふん。煮え切らん奴らだ」
それでもいくらかの時間を待って、沸騰した蒸気を出すかのように太い息が吐きだされた。「イスタム」と呼ぶ声にも、何やら落胆のような気持ちが伺える。
もう少し悪足掻きくらいはすると思ったとか、そんなところだろうか。
もしもそうだとするなら、それはなかなかに評価が辛い。
確かにまだ王軍にはいくばくかの兵士が残っている。ざっと見たところで王子たちを取り巻いているのは、千人よりも多いだろう。
しかしその両側面には数倍の軍勢が睨みを利かせ、部隊の合間にはギールがたくさん入り込んでいる。
人気の芝居が混雑して事故を起こしそうになったときに港湾隊が入ったことがあるけれど、きっとこんな状態だったのだろう。
制圧という状況にも幅があるけれど、今は縛られていないだけましというに過ぎない。
もちろん自滅覚悟で一矢を報いるという考えもあるだろうけれど、それもそこに至るまでの勢いあってのものだ。ここから「それやってみろ」と出来ることでは到底ないと思う。
イスタムは口に指を挟むと、強く高い音色を発した。三回ほど少しずつ違う音程でそれを繰り返すと、辺境伯に向き直って頷きを示す。
「踏ん切りをつけるのも、どうやら難しいらしい。そこで手伝ってやろうと思う」
「……どういう意味だ」
ずっと黙ったままでは格好がつかないと思ったのだろう。ヴィリス王子が声を絞り出す。
「すぐに分かる」
表情を凍らせたまま、辺境伯は鼻で笑った。
子どもじみている――いや、子どもそのものだと馬鹿にしているのだろう。ボクも、ああいう表情はよく向けられたものだ。
――風が荒れてきた。
強くなってきているなとは思っていたけれど、吹き抜ける風が震えるような声を上げていく。
あちこちに立つ旗も激しく揺れて支えるのが大変そうだ。
「……どうにかならないですよね」
「分かってるなら聞くんじゃないみゃ。ウチらだけならどうとでもするけど、あれは無理みゃ」
「痛っ!」
鼻を指で弾かれた。ツンとした痛みで、勝手に涙がこぼれ落ちる。
王軍の窮地を救う方法。仮にここへ大軍が降って湧いたとしても、それは難しい注文だろう。その大軍が辺境伯を討ち、兵士をことごとく滅ぼしたとしても、その前に王子や主だった人たちは殺されてしまう。
そうでない可能性なら、一つは考えられる。
ボクたち――といってもボクでは駄目なので、トンちゃんを始めとしたうちの団員だちが、要人を盗み出すことだ。
兵士がどうなるかは分からないけれど、これなら少なくとも辺境伯の希望は叶わなくなる。
でも問題は、ミーティアキトノとしてそこまでする理由がない。
例えば陰謀に嵌まってしまったのを助けるというなら、それが王族だろうが平民だろうが、それを実行する可能性は多分にあるだろう。
でも今起こっているのは、辺境伯の不利な状況から発生した戦闘の結果だ。そもそもを言えば陰謀によって陥れられたのは辺境伯の側でもある。
それをどうにかしてあげたいと考える団員は、きっとうちには居ない。
もしそれでもと強引にやってしまったとして、どうにかなったとして、今度はそもそもの目的であるフラウを救うことが果たせなくなる。
全部分かっていて、聞いた。
どうにもならなくて、申しわけないと思う気持ちに一人で耐えることが出来なくて、トンちゃんを共犯にしてしまった。
それも察していて、軽い罰で許してくれたトンちゃんに感謝した。
「客が到着した。歓迎してやってくれ」
ものの数分で、イスタムの指笛が何を意味していたのかは判明した。
客とは、ディンドル。オセロトルと同じくらいの巨体を持つ魔獣だ。オセロトルがキトンの一種であるのに対して、ディンドルはギルンと近しい。もちろん肉食で、ハンブルなどひと呑みにされてしまう。
イスタムも獣を呼び寄せることが出来るらしい。やってきたのは一頭だけれど、そこに居るだけで並の兵士は尻込みしてしまう。
「聞くところによると、地獄の入り口には巨大なギルンが居るそうだ」
顎で示されたイスタムは、手で合図をする。同時に方向も示していたのに従って、ディンドルは王子たちのほうにまっすぐ向かっていった。
「何をっ──!」
目の前で巨大な口をがばと開けたディンドルに、王子たちは顔を腕で覆いながら抵抗を示した。
けれどもそんなことを、ディンドルが構うはずがない。二人の間に鼻先を突き入れて、その奥に居た兵士の脚をくわえて引きずり出す。
「ふっ! ひ、ひいっ! 勘弁してくれっ!」
裏返った悲鳴。隠しようのない恐怖。兵士の手は地面を掴み、動くまいとする。しかしそれは全くの無意味だ。
屋根裏を駆け回る小さなラトが、人間に抵抗するのと同じことだ。
掴んだ土ごと、掴んだ草の根ごと、兵士は辺境伯の前まで引きずられた。
「それがお前の好みか」
好み、などと不吉な言い回し。でもそれは誰にも予想の範囲だっただろう。
わざわざディンドルを呼び寄せて、勿体をつけたこの場でどんな催しをしたいのか。それが想像出来たからこそ、兵士も必死に抗ったのだと思う。
「これに」
一人のギールがどこからか、短く切った丸太を持ってきて置いた。平たい面を上にして、あれが椅子かと誰もが理解する。
案の定、兵士は丸太に座るように言われた。それで縛るのかと思えば、辺境伯は剣を抜いて、刃の腹を兵士の首に当てただけだった。
「何を……?」
泣きべそをかき始めた兵士も、予想が違っているのかもしれないと思ったらしい。僅かな可能性を求めて、これが何かを尋ねた。
情けないとか、往生際が悪いとか、もしかするとそんなことを思う人がこの場にも居るんだろうか。
いや──これを目の当たりにして、それは想像力がないとか以前の問題だろう。
あの兵士の立場であったらと、ボク自身が慄いているのをそうやってごまかした。
「始めろ」
おもむろに、辺境伯は言った。
それに頷いて、イスタムが短くギルンの鳴き声を発する。
ディンドルは喜んで口を開いた。
その向かう先は、兵士の右足。彼が口を離して水気の多い咀嚼音が聞こえたかと思うと、膝から下を失った兵士は声にならない悲鳴で顔面をいっぱいにする。
ディンドルの咀嚼はほんの数回で終わった。彼からすれば、味見程度なのだろう。次はまだかと待っているのが顔に露わだ。
「よし」
また辺境伯が言って、イスタムが合図した。
次に食われたのは腹だった。それも表を薄くめくるように。流れ出す血を美味そうに舐めとり、それが落ち着くと臓物を啜った。
麺料理のように口元に垂れ下がった臓物を、酒呑みがするのと同じにちゅるんと食う。
王軍の兵士の何人かが、堪えきれずに反吐を吐いた。
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