第221話:執事のお仕事ー13

 捜索に出る前に、何もせず待っていてほしいと主人に願い出ていた。

 しかし主人は、応と答えなかった。


「重要な局面を前に、昂ぶるなどとはない。しかし部下を頼るばかりで、時間と機会を無駄にしたとなっては困る」


 その仰りようは、もっともだった。

 しかし執事には今回の全てを無駄にしても、主人が無事でさえあれば機会はまたあると思っている。

 時間をかけたこの機会を逃すようでは、後に何をやったところで意味はないと考えているらしい主人と見解の相違があった。


 確かに辺境伯の行動は予想を越えていて、今はカテワルトの東で戦闘中などとは忙しいにもほどがある。

 例の連絡施設に目当ての物がなかった場合、また別の場所を捜索するのに手を取られれば間に合わなかった可能性は高い。


 それを避けるために、主人が直々に他の場所を捜索していた。

 あの建物に比べれば安全な場所ばかりだったが、首都から迎撃に出た王軍と、実はそれこそがディアル侯爵とサマム伯爵の手勢だった軍勢との戦っている付近が多かった。


 少数で動ける斥候も必要であったから、そちらはクアトとオクティアを充てた。

 となれば主人の傍に残るのは、三人になる。多人数との戦いも得意だから、王軍の兵士と出くわすような事態には最適だが──ウナムとノーベンは搦手に弱い。


 結果として、もしもの備えの部分は全て不発に終わった。

 これをめでたしと思えば良いのか、主人を無用な危険に晒しただけだったと反省せねばならないのか、執事には判断しかねる。

 しかしそこの検討をやっている時間はなかった。その結果がどうであれ、今という結果を書き換えることは出来ない。

 それにあれは、こちらがただ持っていてもあまり意味はない。こちらにあるぞと、この戦いの間に辺境伯へ示さねばならない。


 戦場が既に大詰めを迎えつつあることは、すぐに分かった。

 王子を抱えた王軍と、ワシツ将軍やメルエム男爵が苦戦しているのはおあつらえ向きだ。


 このタイミングで主人が帰参し、戦闘に勝ち、辺境伯に再起不能の致命傷を与える。

 最高の筋書きを与えてくれた将軍と男爵に、賛辞を贈りたいくらいだった。


 戦場に居る兵士たちと合流する前に、見てくれをどうにかする必要はあった。影としての黒装束が最も戦いやすいのだが、これを衆目に晒しては色々まずい。

 事前に伏せておいた補給の人員を呼び寄せ、岩盤回廊の入り口に至る前には装いをあらためた。こうしておけば、あの部隊は見たことがないぞとか、怪しげだという話にはなっても、全てをあらためさせろとはなるまい。


 前後に敵を迎えて、なお余裕綽々といった辺境伯の軍勢を横目に、警備隊の兵士たちのところへ急ぐ。両軍共に手がいっぱいで、こちらが直接的な行動をしなければ手を割くまいと予想していた通りだった。

 おあつらえ向きに把握していたよりも更に、ワシツ将軍たちは追い込まれている。ここで窮地を救う英雄の登場と相成るわけだ。


 ユーニア子爵家の旗を立てさせ、メルエム男爵に指揮権の返還を求めると、これもすぐに応答があった。

 尋常であれば「ここまでやってきたのに」とごねることもあるだろうに、彼の御仁はそういった拘りには縁がないらしい。むしろ兵を損なっていることを丁寧に謝罪されたほどだった。


「影が表に出るとどうなるものやら、それは興味深く拝見させていただきます」


 港湾隊を抱える海軍の幹部らしく、そちらへの牽制はあった。

 尊敬には値するが、あれではなかなか長く生きさせてはもらえぬだろうにと、執事は老婆心ながらの心配さえ覚える。


「さあ行きましょう。ウナムとノーベンは前に。他は二番手に」


 番号付きの影たちに指示を出すと、主人に合図を送る。全体の采配は主人の物だ。

 首都に住む主人が大きな戦闘に加わったのは、今回が初めてとなる。警備隊のほぼ全てを一度に動員するのも、訓練以外では初めてだ。

 だからこれから放たれる一言が、主人にとって初めての指揮となる。

 傾注した。


「意を果たすは我らにあり! 全体――粛然と、前へ!」

「オオオオオッ!」


 海軍の若き指揮官の巧妙な指揮の下、これまでも敢然と戦っていたはずの隊員たちから雄々しい叫びが轟いた。

 あるべきものはあるべき場所へ、ということだろうか。いかに巧妙であろうと、正しい主君の言葉とは違うということだろうか。


 さもありなん。さもありなん。


 執事の心は震えていた。

 我が主人が、ここまで温めてきた覇道の一歩を、正に現実として歩み始めた、そうだ現実なのだ、まだ数千規模とはいえ、軍勢を動かしている。


「ヌ――此度はどちらで?」

「シャナルと」

「御意。シャナルさま、ご指示を」

「最前列に。あなたが血路を開きなさい」

「はっ」


 執事の前に一人残っていた全身鎧が、細くも凛々しい声で問い、答えた。見目も麗しい女性にあのような鎧を纏わせるなど、執事とて本意ではない。


 しかしあれが彼女の仕事です。


 仕事。各々の役目。そう割り切らねば、納得のしどころなど、他にそうそうあるものではない。

 前列に向かいながら、様々な景色と思惑が執事の頭を巡り、消えていく。


 土と血の臭い。温く肌を舐める風。そう、戦場とはこういうものでした。久しぶりで柄にもなく、武者震いなどしてしまいそうですね。


 確かに感じていた思いとは全く関係のない高揚を思考の前面に出して、執事は感情を統一させた。余計な気持ちは自身の足手纏いになる。

 全ては生きて戻ってから。執事は全身鎧のすぐ後ろに追いつき、屍の道を踏みしめていった。

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