第220話:勇ましき乙女の慕情

「うん――?」


 後ろを見てほしいと、ミリア隊長は言った。もちろん拒否することなどなく、メルエム男爵は従う。


「随分と歩きやすくなっているではありませんか」

「……ああ、なるほど。実に見事な力加減だ。気付かなかったよ」


 僅かな捕捉を聞いて、男爵も何か察したらしい。でもかなり焦っているミリア隊長と違って、少しの驚き以上の表情は見えなかった。


「どうも暢気な風に見えますが――これは自軍を脆弱に見せて、陣の奥に誘い込む手法では?」

「そう見えるね。でも、そうじゃないかもしれない。どのみち何かあるとしても、もう押し続けるしかないんだ。悩んでも仕方がない」

「――なるほど。了解しました」


 悔しそうに、ミリア隊長は唇を噛む。

 折角、隠れた意図を見つけたのに、悩んでも仕方がないと言われてしまったことにだろうか。

 いや、たぶん違うだろう。

 彼女は自分が無駄なことをしてしまったとしても、笑い飛ばせる人だと思う。きっとそうではなく、男爵にそう言わせるような事態にまんまと陥ってしまったこと。或いはそうさせた辺境伯に対する思い。そんなところだろうと思う。


 まんまとはまってしまったのは、ボクのせいだと思うけれども。

 それを今言ったところで、誰も得をしない。ボクが自己嫌悪に陥っていればいいだけだ。


「ただ、そうだと知っておくに越したことはない。僭越であってもワシツ将軍とユーニア子爵には、お伝えしておいたほうがいいかもしれないね」

「では小官が! ――行くことは出来ませんでした」

「そうだね。ユーニア子爵のところには私が行くよ。ワシツ将軍のところに、誰か頼めないかな?」


 慌てて失言したミリア隊長には、苦笑で済ませた男爵。うちの団員を、伝令に借りられないかと聞いている。


「構いませんよね?」

「構わんに」


 男爵から投げられた視線を、サバンナさんに繋ぐ。彼女は考える時間を僅かも挟まずに答えて「誰か、頼めるかに?」と誰にとは決めずに声を発した。


「姐さん、俺が!」

「いや俺が!」

「ここは僕が!」

「そこであたしだみょ!」

「意外性で私だにょ!」


 さっきよりは余裕があるとはいえ、切り替えの早い人たちだ。一斉に上がった手に怯むことなく、サバンナさんは一番早く手を挙げた団員を指さす。


「じゃあ頼むに」

「うひゃあ! 任された!」


 何を伝えるのか男爵からあらためて説明を受けると、すぐにその団員は姿を消した。将軍がどの辺りに居るのか、分かっているんだろうか?


「では私も行ってくるよ。ああ、使い走りをさせられたなどと、恨みには思わないから気にしないようにね」

「ぐっ……お人の悪い。こんな時にまでそんなことを」

「ははっ。深刻な時にこそ、そういうことも必要だと教えてもらったのさ。愉快なキトルたちにね」

「左様ですか。では道中、お忘れ物などなさいませんよう」


 これは冗談だと、明らかに分かる笑顔。男爵のそれに対して、ミリア隊長は硬さが取れない。

 まあ貴族から冗談でもあんなことを言われれば、下級幹部の軍人としては生きた心地がしないのかもしれない。

 それでも咄嗟に冗談で返せる辺りは、頭の回転が速い人だと感心もする。


「分かった、気をつけよう」


 男爵は言って、戦場を横断にかかった。サバンナさんは目配せで、その後ろに二人の団員を付ける。


「ありがとうございます」

「気にしないに」


 男爵の背中を追うミリア隊長の目は、ここまで見てきた港湾隊一番隊隊長の勇ましい目とは違っていた。

 憂いを帯びて、もう一つ何かを言いたそうな気持ちを堪えていて、辛そうだった。


 まさか――そうなのか、と。

 ボクにしてはそういうことに気付くこともあるのだなと、我ながら意外に思った。

 けれどそれは同時に、男爵の気持ちを思い出すことにもなった。

 つい先日のことなのに、もうかなり前のことのようにも思える。でも男爵は確かに言った。「私はきっと、彼女に恋をしているんだ」と。


 彼女とはフラウのことで、ボクはその気持ちを知っていながらも、ボクがフラウを守ると言って実際にそうしようとしている。

 ――いや、それも周りに助けてもらってばかりなのは置くとして。

 男爵はそれを認めてくれているようだけれど、だからといってそこまで言ったものをすぐになかったことになど出来るはずがない。


 男爵に対して申しわけないなと思う気持ちと、そうと知らないミリア隊長に何を言えばいいのかという困惑。

 その二つが、何か言わなければとボクを慌てさせた。


「心配、ですよね」

「え? ええ、それはまあ」


 言っておいて何だけれど、肯定されるとは思わなかった。「小官は別に何も」などと、はぐらかされると思っていた。

 おや? と思いはしたけれど、ここで話を急に変えるわけにもいかない。


「男爵はお強いし、大丈夫ですよ」

「ええと――ああ、はい。そうですね、そこはそれほど」


 ボクの問いに戸惑いを増した彼女だったけれど、すぐに苦笑と共に察した風に言った。

 あれ……何か間違っただろうか。


「仰る通り、副長が多少の相手に後れを取ることはありませんし、敵わなければ逃げるでしょうしね」

「ああ――そうですよね。でも、なんだかすごく心配そうに見えましたけど」


 問い直すと、ミリア隊長はまた男爵の行った方向に目を向けた。

 もちろんもう男爵の姿が見えるはずはなく、傷ついた両軍の兵士たちや、戦っている姿が視界のあちこちに映るだけだ。


「心配はしています。でもそういうことじゃなく、なんだか……」

「なんだか?」

「……分かりません、嫌な予感というやつです。気にしてもどうしようもないのですけれどね」


 ミリア隊長はそう言い放つと、無理やりに視線を切った。それからにかっと笑って、ボクの鼻先に指を突きつける。


「アビスくんこそ、小官の心配をしてくださってありがとうございます。でもあなた、小官が副長に恋をしているとか考えませんでしたか?」

「え!? い、いやあ。そんなことは」

「そうですか? それならいいのですけれども。そもそもそんなことはあり得ませんしね」


 かっかっと笑って、彼女はまた部下たちの応援に戻っていった。

 どうして分かったんだろう。気持ちを察したつもりでいたのが、言葉や態度に出ていたんだろうか。

 それにしても綺麗に否定されてしまって、恥ずかしくて堪らない。

 ――ああ、いや。恥ずかしいから否定するということもあるか。


 何が正解かは、考えても分かり得ない。

 ここまで、激しい戦闘とはうらはらに、この戦場の風は穏やかだった。しかし夕刻を前に、強い陣風が舞い始めていた。

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