第215話:虐殺

 ボクたちの周りに、ギールは見えなくなっていた。

 子爵たちの連合部隊が寝返ったことで、それに対していたギールたちがワシツ将軍やメルエム男爵のほうに移ったからだろう。


 いわば後方となる中間を抜けて、王軍と戦っているほうへ。

 見咎めて襲ってくる兵士たちは、申しわけないけれども倒させてもらった。いやそれはボクではなく、他の団員たちだけれど。


 通してくださいと言ったところで通るはずはなく、迂回することも出来ないし、そこへ向かわないという選択肢もない。

 ここが戦場である以上は、相手を打ち倒して進むしかなかった。


「やることがないですね」


 独り言だったのだろうけれど、ミリア隊長の声が聞こえた。

 目的地に向かって駆け続けている以上、倒さなければならない相手は前方にしかなく、そんな台詞が出ることにもなる。


「後ろにも団員は居るから、前に行ってもいいんだに?」

「任せきりになっているように思えたので、そう言ったまでです。別に小官たちは、戦闘狂ではないので」


 顔を知らなかったボクとは違って、サバンナさんやトンちゃんに対してミリア隊長の態度は少し硬い。


「ギールもキトルも、耳が良すぎて困りますね──」


 サバンナさんは冗談で言ったと思うけれど、ミリア隊長は突っぱねて、また独り言を言った。

 さっきよりも声を小さくしているけれど、それでも聞こえているのは教えてあげたほうがいいんだろうか?


 そんなやりとりは、やがて出来なくなった。そんな雰囲気では、空気では、心持ちではなくなった。


「これは…………」


 多くの兵士が倒れている。

 それはもちろんほとんどが絶命していて、その事実だけを言えば、戦線の移動したあととして相応しい。


 しかしその死体は一つ一つを取っても、尋常とはとても言えない。相応しいかどうかで言えば、この世の現実として相応しくない。


 頭を砕かれ。

 腕を磨り潰され。

 人が通れるかというほどの穴が、腹に空く。

 そんな惨殺の跡が、どの死体にも必ず一つはある。


「もうこれは虐殺ですね──」


 王子たちの居る王軍にも、十分な数の兵士が居た。

 しかしそれは東の国境辺りでの厳しい戦闘を終え、なんとか生き残った兵士たちだ。

 満足に休息する暇もなく、反乱が起きたと知らせを受けて戻ってきたのだろう。士気は最悪と言っていいくらいだったに違いない。

 そこへギールを切り札とした軍勢との戦闘では、勝ち目など最初からないのだろう。


 でも、これはない。

 これはミリア隊長の言う通り、虐殺以外の何でもない。


 土と草の上には、隙間もないほどに血が落ちている。既にどす黒く変色して、かろうじて赤と呼んでいい範疇には残っているだろうか。


 踏んだ足の裏からは、にぢりにぢりと気色の悪い、粘ついた音がした。

 それはそのまま纏わりついて、その下の土と一緒にどこまでも着いてこようとする。

 どこかでこそげ落としたくとも、辺り一面がそうだった。


 その光景にでなく、これを人間がしたという事実に吐き気が込み上げる。


「何をのろのろ歩いてるみゃ」

「これ、酷いですよ……」

「ああ酷いみゃ。お前が何かしてやるのかみゃ?」


 ボクには何も出来ない。

 生き返らせることなんてもちろん無理だし、死後の祝福を祈る神官でもない。


 その何も出来ないことが嫌なのだ。

 既に死んだ人に、敵うはずもない相手と戦う人に、どうしていいか分からない悲しみを振りまく人に。

 ボクは何一つ、してあげられることがない。


「分かったら走るみゃ。お前がしんどいのは今だけのことみゃ。でもそんなことをしてたら、今度はお前の大事なお姫さまがそうなるみゃ」


 返事が出来なかったのを、了解と取ったのだろう。トンちゃんは言い捨てて、また走り出した。

 彼女のことだ。また同じことを言わせるようなら「もう好きにするみゃ」とどこかに行ってしまうだろう。


「分かった──分かりましたよ!」


 分かっている。あれもこれもと考えていたのでは、何が大切なのか、今しなければならない唯一つのことは何なのか見失ってしまう。

 分かっていてもそれが悲しいんだと、そう思うことさえ余計だと分かっている。


「アビたん。ここはメイも、あんまり楽しくないみゅ。でもアビたんがフロちを助けたいから、メイも頑張るみゅ。だから走るみゅ」


 メイさんにまでこんなことを言わせて、意地とか拘りとかに縁のないボクにも何か感じるところはあった。

 ぶると体が震えて、吐き気も急に失せてしまった。


「ええ、もうすぐそこです。頑張ります。走ります」


 そうだ、もうありありと見えている。だから走った。

 走る間にも次の犠牲者が高々と掲げられて、地面に打ちつけられる。また掲げられて、打ちつけられる。

 兵士を槌として、杭でも打っているような。信じられない光景。


 日が沈むにはまだ間があるというのに、ボクにがそこが闇に包まれているように見えた。

 その闇は広く触手を伸ばして、フラウにも達している。

 これも分かっている。これはボクの勝手な妄想だ。

 でもその触手を断ち切ることが、ボクのやるべきことで間違いない。


 惨状を見るまでもなく、王軍と辺境伯との戦いは決しているようだった。

 まだまだ数を残している王軍はひと塊になって包囲され、形だけは相手に向けられている武器にも戦う意思が見えない。


 こうなればもう、将軍や男爵が残りを全滅させたとしても意味はない。この戦場の勝者は決まってしまった。


 勝者は敗者に何をすることだって出来る。

 もちろん倫理は存在するけれども、今の辺境伯にそれを期待しては阿呆と言われてしまうだろう。


 ボクも止める気はない。そんな力もない。

 今はフラウの心を解放するために、リマデス辺境伯の身柄を拘束し、どこかへ連れ去ることを考えればいい。


「ブラム・マルム・アル=リマデス!!」


 あらん限りの力で、声を振り絞った。こんな大きな声を出したのは、生まれて初めてだ。


 数百のギールと、数千のハンブルが一斉にボクを振り返った。

 最後にその向こうに居る、リマデス辺境伯もこちらへ視線を向けた。闇の中心にあって、それでもなお黒い怒りを炎として燃え上がらせた男がそこに居た。

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