第210話:執事のお仕事ー12

 王家直轄の領地から、サマム領に入ってすぐ。街道から外れた場所に、その建物はあった。

 サマム伯爵家が交換用のエコを置いたり、常駐の伝令が居たりする連絡施設だ。


 あくまで人畜の駐留用であるので、戦術的にどうこうという代物ではない。しかしサマム家の財力を示すかのように、豪奢な石造りではあった。


 まだ、ここと確定したわけではない。しかし考えられる範囲を偵察させて、可能性が最も残るのはここだった。

 人間大とそれなりに大きく、誰にでも触らせて良いものでもなく、土中に埋めるなどするわけにもいかない。


 その辺りとリマデス辺境伯の行軍状況とを比較すると、ここだった。


「申しわけありません。断られました」

「いえ、そうなって当然です。いきなり押し込むのも失礼だろうと思っただけですから、構いませんよ」


 交渉人クラークのトリバが恐縮するのを、執事はすまして返した。逆にご丁寧にも中を案内されたりしても面倒臭いので、強硬手段に訴えたほうが良いのだ。

 単に、警告はしましたよという振りに過ぎない。


「さて、では行きましょうか?」


 今ここに影として番号を振っている人員は、ドゥオとクイン、それに先ほどのトリバしか居ない。

 あとは主人から、員数外サープラスと呼ばれている者たちばかり。

 影として動けている時点で相当に優れてはいるのだが、この施設に押し入るには不安の残る態勢だった。


 何せここには、十人前後のギールが居ることが事前の偵察で判明している。もしかすると、それ以上に居る可能性もある。


 何人が生きて出られることやら……。

 そんな懸念を執事が抱いていると、優秀な部下たちは察しているだろう。執事もまた、部下たちについてそう察していた。


 しかし一つ集団の頭領が、そんなことを口にしていては何も出来なくなってしまう。

 ここはあえて軽薄に、可愛い部下たちの一人を見習って言った。


「気楽に行こうじゃありませんか。楽しいお掃除を致しましょう」






 執事がその二人を組ませた記憶は少なかった。しかし意外にも、調理場の二人は戦闘でも相性が良いらしい。


ドゥルセ甘い――ドゥルセ――デレクトうまい! ドゥルセ!」


 首席調理師ヘッドシェフのドゥオは、断ち切り包丁ナイフ玉杓子レードルの短いリーチを活かして縦横無尽に相手の陰に回る。


「やれやれ、もっと捏ねて柔らかくしないと扱いにくいよね。パン職人だからね」


 パン焼き職人ベイカーのクインは、生地を伸ばすための棍棒を二つ。両手に構えて、向かって来る相手を全て受け止め、隙あらば骨を砕いている。

 どこにそんな物があったのか、彼の棍棒は鉄よりも重い。


 執事が采配に手を取られる間には、トリバがこれを守る。

 大きな計算尺を右手に持っているが、これを武器として使うことはない。本命は左手に隠し持った、小さなペン。

 ペンの形をしているだけで、実際には金属製の刺突針ピックであるそれに毒を塗り、自分がどうして死ぬのか相手に悟らせぬままに殺す。


「ヌラさま。ギールの数が想定よりも多く、被害が過大です」

「ええ、そのようですね。ハンブルを専門に当たらせなさい」


 員数外サープラスには二人組を組ませ、ギールと対した時には二組以上で対抗するようにと指示してあった。

 しかし、それでも足りなかった。


 ハンブルの雑兵相手ならば一人も十人も変わらないで戦えるドゥオたちでさえ、ギールが二人も居れば――いや中に紛れている腕の立つ者であれば一対一でも、軽微ながら手傷を負わされている。


 勘定は合うと思ったのですが、甘かったようですね。


 自身の失態を恥じたものの、ギールについて知らなかったものを知れたのだ、収穫ではあった。

 それにもう一つ、間違いないと確信も出来た。


 この施設は民家と比べれば格段に広いが、場所と目的を考えれば戦闘員は十人から二十人が精々だろう。

 けれども実際には、ギールを含めて五十人以上が居る。


「こんな場所にこれだけの警備を置くなど――間違いなくここにあります。探しなさい!」





 執事にしては珍しく、時間の感覚が薄れていた。

 三十分ほどだったろうかと懐中時計を取り出して、その二倍以上も経過していることに驚いた。


「いやはや、これは。私としたことが、のめり込んでしまったようですね」


 下手な前進基地よりも充実した戦力を置いていたにも関わらず、そんな短時間で潰されたサマム伯は不本意だろうが、執事がそれを慮る理由はない。

 まだまだ精進の余地は多いと、自分を戒めるだけだった。


「それはともかく――」


 探して来いと、主人に言われた物は見つかった。

 戦場にその主人を残し、連れて来た部下たちのほとんどが倒れ、返り血に染まったドゥオとクインが入れ物である箱を持ち上げている。

 これが執事とその部下たちに課せられた使命ではある。しかしもっと上手く出来なかったのか。


 主力の一部を分散させて、主人への危険を増大させたこと。普通の兵士と比べれば、相当に優れた人材を多く失ったこと。今回はトリバだけで済んだが、番号持ちの人員に負荷をかけすぎていること。

 執事がやるべきことは、まだまだ数限りなくあるようだった。


「トリバ、あなたは屋敷に戻っていなさい」

「……ヌラさま、こんな良いところで私を外すのですか。これからが見どころではありませんか」

「戦いの場で負傷していることは言いわけになりませんし、それ相応の使い方になりますよ」


 トリバは涙を堪えているようだった。痛みにではなく、ここで影の部隊と別れなければならないことにだろう。

 彼の右手には、もう計算尺はない。

 いやさ、右手――右腕そのものがない。


 体躯に優れなかった彼の戦い方で、隻腕になってしまえば選択肢が減る。

 相手を惑わしてどう戦うのかを見極めさせないのが主であるのに、それは致命傷と言っていい。

 少なくとも、もう番号持ちでは居られない。


「構いませんとも。私の口は、まだまだ達者ですから」


 傷口を薬で焼いて塞がれたトリバは失神し、回収した品と共に台車に乗せて運ばれていった。

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