第208話:忍耐と矜持

「君は刃の質よりも、反りに注視した。ナイフそのものよりも、出来のいい鞘に合う物を必要とした。素早い抜きを必要とする、暗殺者アサシンか何かだと言っているようなものですよ」

「言っているようなものって、見抜かれたのは初めてですよ」


 盗賊らしい特技を身に着けたいと言ったら、入団して初日に団長が教えてくれたことだ。

 変に凝ったことをやったところで、それが得意な人は既に誰か居る。ならば地道に続ける必要のあることをやったほうが良いと、あのナイフをくれたのだ。


 毎日、毎日。暇さえあれば抜き差しをしていた。

 しばらく経って、団長に聞かれた。どうしてそんなことをしているのか、と。どうも、からかうつもりで提案したらしかった。

 ナイフも、たまたま造りのいい物が余っていたからくれただけらしい。


 それでもボクは、やめなかった。その時点で、ある程度の手応えを掴んでいたからだ。

 それはちょっと後ろ向きな話で、団員にナイフを使う人は多くても、それを唯一の武器とする人は居ない。キトルならば、自分の肉体を使ったほうが強力な場合が多い。


 だから訓練していれば、本当に団員で一番と言える肩書きにはなる。そういうものが一つでもあれば、仲間として溶け込めるのではないかと考えていた。

 だからそれを、実戦の役に立てようとは思っていなかった。


「ええ。副長も気付いていませんでした。ですが、思っていた以上です。その速度だけで言えば、一流の暗殺者になれますよ。それとももう、そうなのかもしれませんが」

「いえいえ。ボクは臆病な、下っ端団員ですよ」

「そうでしょうね。あとで見た時も、本当に果物を切ったくらいにしか見えませんでした」


 マイルズさん以下、港湾隊の五人はボクとフラウに向かって来る兵士を食い止めてくれている。

 それをかいくぐってきた兵士は、ミリア隊長が相手を。隙を見て、ボクも後ろや横からナイフを繰り出す。


 そもそもはそれでどうにかなる数ではないけれど、メイさんとトンちゃんが適当に暴れて数を減らしてくれていた。


「閣下。このままでは、進むも退くも叶わぬこととなります!」


 グラビス卿が、ユナン子爵を引き戻していた。

 二人の子爵の兵は、おそらく最初の時点でもそれぞれ四、五百人程度だっただろう。それが今は、ボクたちの前方を囲むだけになっている。

 これではもう、この戦場でまとまった兵力として動くことは出来ない。


 貴族としての責務でなく、私情だけで動いて、その結果に兵も失った。仮にその目撃者であるボクたちを始末したとしても、リマデス辺境伯を見逃したという不名誉は消えない。

 あとは辺境伯が王権を奪取するくらいしか望みはないけれど、その手助けをする兵力を失ってしまっている。


「こちらも捕縛しておく手数がありませんので、この場は逃走をお勧め致します。命あれば、あとでお迎えに上がることも可能です」


 腰を折って、礼を示しながらも辛辣な言葉。

 直接にそれを向けられたユナン子爵も、それを離れて見ていたルキスル子爵も、歯噛みするばかりで言葉は出てこない。


「生意気なことをとお叱りを被るかもしれませんが、あなたはまだ王国に必要な人材とお見受け致します。使命を果たされましたら、ご帰還をお待ちしております」

「はっ。腹立たしくもあるが、恥を忍んでそうさせていただこう。帰還出来るかは約束しかねるが」


 挑戦的な笑みに、グラビス卿は失笑で答えた。

 矜持を重んずる騎士は、仕える主を引き摺って。もう一人の貴族も追い立てるようにして、戦場から姿を消した。


「さて、舶刀の件は保留するとして。隊長どの、次の指示を」

「忘れてないんですね――色々」


 フラウを取り戻すという目的は果たした。意識が朦朧として一人で立ってもいられない様子だけれど、それを今ここでどうこうするわけにもいかない。

 かといってグラビス卿ではないけれども、ここから逃げるのも容易ではない。周りは辺境伯の兵士だらけで、そのすぐ向こうは子爵たちがまだ残っている。

 フラウを背負って移動などしていたら、危ないどころではない。


「そんな泣きそうな顔をしなくても、そろそろ来ると思うみゃ」

「来る?」


 悩むボクに、あくび混じりのトンちゃんが言った。昼寝をしていないので、眠いらしい。


「忘れたかみゃ。自分で呼んでたみゃ? 情けない声でみゃ」

「あ――」


 覚えたことは忘れないボクだけれど、自分がしたあれこれはうっかり忘れてしまうことが結構ある。

 忘れないように意識していれば自分のしたことでも忘れないし、それ以外も軽く考えてはいないつもりなのだけれど、何が違うのだろう。


 ともかく今は、同軍の装備を着けてはいてもどうやら敵らしいと周囲の兵士に気付かれている。

 これをしばらくやりすごせば、頼れる仲間がここまで迎えに来てくれるだろう。


 これでどうにかなる。

 ボクはフラウの顔を横目に見ながら、ナイフをしっかりと握り直した。

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