第207話:最速の刃
やばい。ともかくこれは、どうすればいいんだ。
泳ぐ視線を、この場に居る二人の仲間に向けてみる。メイさんはトンちゃんをばしばし叩いて慌てているし、トンちゃんは「さて困った」という風に頭を掻いている。
油断しきっていて、止められなかったのだろう。
ああもう、役に立たない。
……違う。それはよほどボクのことだし、人のせいにしてどうする──ってそんなことを考えている場合でさえない。
どうする。どうする。
焦りばかりが募って、考えがまとまらない。
「どうすると仰られましても──逆に質問とはなってしまいますが、どうしろということか教えていただいても?」
「この期に及んで、まだとぼけるか。堂に入っておるな」
実際にとぼけた態度のミリア隊長に、こちらは余裕を見せようとするルキスル子爵。舌戦で敗北したユナン子爵は、頬をひきつらせて睨んでいる。
ボクの首にかかった腕は、ボクの腕力でとてもどうにかなるものではない。さっきまでのように縛られているのでもないのに、よほど今のほうが手も足も出ない。
と、ミリア隊長は突然に何かを探し始めた。
ボクたちや子爵たちのことなど、一瞬で忘れてしまったかのように。時間の有り余る日にふと思い立って、だらだらと探し物をする時のように。
「貴公は一体、何をしているのか」
「ああ、いえ。先ほど蹴飛ばされた時に、剣をどこかにやってしまいまして。あれはなかなかの業物で気に入っているのですよ――と。あった、あった」
まだまだ顔をしかめつつも、ミリア隊長は舶刀を拾い上げてほっと笑った。知識が深いだけでなく、物そのものへの執着も強いようだ。
「折角の物を寿命ならばまだしも、失くしてしまうなどあり得ません。もしも他人にそのようなことをされたなら、その恨みを一生忘れることはないくらいです」
「ふん。それは勝手だが、命も同じように考えたほうがいい。遅きに失する助言ではあるがね」
「痛み入ります」
ええと……。
一生をかけて恨まれるらしい。この場はもちろん窮地だけれど、それを脱してもまた別の恨みを抱えてしまうのか。
ボクの立てた計画でも、そんな個人の恨みごとまではどうにも出来ないのだけれど。どうしよう――。
ボクの悩みが複雑化することなど関係なく、ミリア隊長は刃の腹を何度か撫でると、流麗な動作で鞘に納めた。
その次に彼女が意識を向けたのは、ボクだ。
ボクの両手をじっと見て、続いて目と目を合わせ、にこりと笑う。
「さてアビスくん。小官は君に問わねばならない」
「な、何でしょう?」
「小官の貸した舶刀は、どこへやったのだろうか。その手にはないようだが、どこかへ大切にしまってくれているのだろうか」
今ですか。今それを聞きますか。
関係ないどころか、意識は正にそこへ向いていたらしい。
敵に囲まれた中で不敵に笑っていながら、更にその中には静かな怒りが見える。いやきっとそれは、ボクにだけ分かるのだろう。
彼女の体は、怒りで全身を燃え上がらせているようにしか見えなかった。
「いっ、いやあ? ちょっと――置いてきてしまっていますね。あ、あとで取りに行きますよ」
「ほう? ではどこにあるのか、きちんと把握していると。港湾隊の小官に、よもや嘘など吐きませんね?」
「……すみません、失くしました」
すうっ、と。空気が冷えた気がした。
ミリア隊長の体を包んでいた炎――は、ボクのイメージに過ぎないけれども。それが一瞬でかき消えて、今度は周りに氷雪が轟々と吹き荒んでいるかのようだ。
「おい、何をわけの分からんことを――」
「取り込み中です。あとにしていただきましょう」
ユナン子爵が割って入ろうとしたのを、彼女は首だけで振り返って制した。
特に腕を振り上げたわけでもない。ただその顔に不気味な笑みを、にやあっと浮かべただけだ。
あの笑みがボクへの怨嗟から練り出されたものだと思うと、震えが止まらない。
ボクは一体、どうなってしまうのか。
「アビスくん。君とはそれほど、長い付き合いではない。しかし今、それを終わらせるきっかけは出来てしまったようです」
「いや、そんなことはないと思いますよ」
「思えばあれは偶然の出会いでした。覚えていますか? 初めて出会った時のことを」
うわあ、無視だ。もうボクのごまかしを聞く耳など持っていない。それに納めたばかりの舶刀の柄へ、右手が静かに添えられた、
子爵の二人は苦笑いのような顔を合わせて、矛先が向いているのはボクのようだし、見届けるのも一興だというようなことを言っている。
「互いに買い物に立ち寄った店でした。その時、小官は君の特殊な拘りを面白いと思いました。それが君という人物を知る手掛かりにもなったので、いい思い出と言っていいでしょう」
「ああ……そんなことがありましたね」
なるほど。これは覚悟を決めねばならないのだろう。
過去を語り出してしまったミリア隊長。その意図は明白で、もうそれと決めたのを変えることは出来ないらしい。
ならばボクも、それに従おう。
「ああ、貴方。動かないようにしてください。手元が狂います」
「おう、任せろ」
鋭い視線が、ボクを拘束している兵士に向けられた。全く有難くない協調の返事が、すぐに返る。
落ち着け。
何も怖いことなんてない。これは自然の流れで、当たり前のことなんだ。
自分にそう言い聞かせなければ、目を瞑って震えているだけになりそうだった。自身の勇気を、ボクは必死に呼び起こした。
「覚悟はいいですか?」
抜かれた舶刀の剣先が、ボクの鼻先に突き付けられる。大きく息を吸って、吐いて。もう一度それを繰り返した。
「いつでも」
「いい度胸です。行きますよ」
彼女が剣を引く。横薙ぎの構えだ。ボクは乱れそうになる息を整えて、その時を待つ。
「抜きなさい!」
「ええやっ!!」
銀の色の糸が、二つ走った。
その一つ。ミリア隊長の舶刀は、ボクを捕らえていた男の腕を。もう一つ。自由になったボクのナイフは、フラウを捕らえていた男の腕を。
「……? あ――ああっ! 腕っ、腕があっ!」
「うあああああ!」
ミリア隊長からすると初めてボクと出会ったのは、アッシさんの店。よくもあの時のことだけで見抜いたものだ。
ミーティアキトノで最も速くナイフを抜けるのが、ボクだということを。
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