第205話:双頭の獣

 ミリア隊長の倒れている辺りは、対決して勝ったのだからこちらの陣地だと言わんばかりに占領されている。

 あのままでは彼女が踏みつけられてしまいそうで、そのことに誰も気を払っている様子がないことに腹が立った。


 しかし立っていることの出来ないフラウを格子板にもたれさせているこの状況では、ボクもここを動くことができない。


「さあ誰からでもいいみゃ。何人でもいいみゃ」


 手を招いて、トンちゃんは挑発する。

 自分に引きつけてフラウの安全を図ろうとか――ではないだろう。それなら他に、もっといい方法があるはずだ。


 ミリア隊長の戦いを見て、尻込みしている兵は居ない。一対一で戦えと言われたら、それは勘弁してくれと言うのかもしれないけれど。

 戦場で多数を以て戦うのは当たり前。相手もそうしろと言っている。遠慮をする理由がない。


 それでも包囲がじりじりと狭まったのは、やはり遠慮だろうか。最初の一人が「えいやぁっ!」と切りかかるまで、多少の時間を必要とした。


 すぱんと気持ちのいい音がして、手の甲でその兵士は弾かれた。それからなだれ込むように、複数の兵士がトンちゃんに襲い掛かる。


 最初の兵士を弾いた拳をそのまま前に突き出して、またそれを折って肘を繰り出す。その間に死角を取った兵士には後ろ蹴りを、その隣の顎は下から拳を突き上げた。

 折り重なるように飛びかかってくる兵士たちには両手を揃えて掌底が打たれ、取り囲もうと輪になってきた兵士は回し蹴りで蹴散らされる。


 動きを短縮して見せられているような、常人離れした体捌き。あんなではすぐに体力が尽きるだろうと、冷静に分析しているらしい兵士も見える。

 しかし残念。トンちゃんはこの争乱で、まだまともに戦闘をしていない。純粋なキトルの体力は、ハンブルの想像の域には全く収まらない。


 メイさんはつまらなそうに、指をくわえて見ているだけだった。比喩ではなくて、本当にくわえている。

 たぶん数が多くなりすぎて手が届かなくなるまで、何もするなと言われているんだろう。

 団長ほどではないけれど、トンちゃんの言いつけもメイさんはよく守る。


「ええい、たった一人に何をしているのか。そんなことでは領地を守れんぞ!」


 ルキスル子爵が、いい加減に痺れを切らしたのだろう。温和な雰囲気は崩れ、苛つきを見せ始めた。

 もちろんそれを、部下がそのまま聞き流すことはできない。

 兜に鳥の羽を付けた兵士が、てんでに挑んでいた兵士たちを一度下がらせる。


「盾を構え! 一斉に、かかれっ!」


 抗う素振りを見せないボクは放っておかれているらしく、盾は全てトンちゃんに向けられている。

 きっとトンちゃんからは、並んだ盾だけが押し寄せてくるように見えているだろうその突撃を「メイ、遊んでやるみゃ」と押し付けた。


「良い子で待ってたみゅう!」


 にこやかに、歌うように、ぶんぶんと右腕を振り回して、メイさんは躍りかかる。

 横に並んだ盾を舐めとるように、横殴りに腕が振るわれた。

 薄紙の袋を破裂させたような乾いた音。音量はその何倍もあるけれど、その白々しい衝突音で兵士は飛び散る。

 先頭だけでなく、そのいくつか後ろの列までまとめて刈り取られた。


「なんだこいつらは、化け物か……!」


 呻くように言った、ユナン子爵の視線が泳ぐ。

 リマデス辺境伯に対抗するようワシツ将軍に説得されたものの、戦況は芳しくなかった。しかしそれが二転三転するうちに、自身を悩ませる証拠となる人物を消す好機が訪れた。

 しかも最後にそれを防ごうとするのは、数人の奇妙な兵士たちだけ。


 だのに、どうしてまたこうなった。


 そんな戸惑いが、その顔にありありと浮かんでいた。

 まとまってくる兵士たちは、メイさんが右腕一本でまとめて押し返す。そこから外れて少数でくる兵士たちは、トンちゃんが薙ぎ倒す。

 ただキトルだからといって、みんながこんな戦闘力を持っているわけじゃない。信じ難いのは当然だろう。

 知らずに出会ったのには、同情を禁じ得ない。


「くっ……!」


 メイさんとトンちゃんはまた陣地を奪い返して、ミリア隊長のところに辿り着いた。

 それを見たユナン子爵は、恨みがましい目でボクを睨む。

 いや、ボクの後ろに居るフラウを。


「ならば、この場で裁くのみ!」


 ユナン子爵は剣を抜いて、十数歩の距離をこちらへ突っ込んでくる。

 その身のこなしはなかなかに整っていて、貴族だからと訓練を怠っていた様子ではない。


 あの重そうな剣を、ナイフで正面から受けるのはきつい。

 そうだ、舶刀。ミリア対隊長から貸してもらった舶刀は……あるはずがない。敵からの逃走を装って、怪我人の応急措置をして――捕まった。

 どこだ。どこで、失くした!?


 ミリア隊長に怒られる、という暢気な心配と、目の前に迫った剣の刃と。強い光を突然に浴びせられたキトンのように、ボクはどうしていいのか分からなくなった。


 ボクが身を躱せば、フラウが切られる。振り下ろされる刃へのせめてもの抵抗に、ボクが目を閉じることは決してなかった。

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