第204話:地に伏すミリア

 二人の子爵の意識は、各々の後ろに逸れていた。腕を切り落とそうかという勢いの、舶刀を避ける術はない。


 ぎん、と金属が金属を打って擦れあう音が鈍く響いた。

 刃をすくい上げられたミリア隊長は、二歩を下がって「チッ」と舌を鳴らす。


「閣下、腕はご無事で?」

「ああ、グラビス。問題ない」


 ここまでの道を先頭に立って切り開いてきた騎士が、ユナン子爵の身を案じる。兜に面はなく、痩身ではあっても油断ならないという雰囲気を持った人だった。


「グラビス卿、話はお聞きになったでしょう。ユナン子爵も罪を抱える身です」

「ああ、聞いた。しかし戦いの最中に守るべき方を見限ったのでは、騎士としての名折れ。それは終わったあとのこととする」

「――それはご立派です」


 この人の力量ならば、それなりの信頼を得ているという自負もあっただろう。ユナン子爵も、そんな様子ではあった。

 けれども何も聞いていない。

 国家への反乱に加わるかどうか、家を左右する問題であるのに、この人の耳には入っていない。

 それを置いてこんなことが言えるとは、どれほど固い信念で動いているのだろう。


 グラビス卿は広刃の剣を肩の高さに構えて、ミリア隊長を威圧する。ボクよりも頭二つほども高い身長では、恐ろしいほどの効果が伺えた。


「何をしている。一斉に取り押さえよ」

「閣下、相手は少数でこちらの不義を問うています。これを数で抑えてしまっては、以後の我らに立ち行く場所はありません」


 面倒臭いことを言う人だ――でも、それは正しい。

 貴族だろうと市民だろうと、周囲との信頼がなければ生きていくのに立場がない。それをどうでもいいと言えるのは、法を無視できる人間だけだ。

 法を犯したことよりも、無視する現場を見られるほうが社会的な被害は大きいのかもしれない。


「その風体で、港湾隊を名乗られてもな。火事場泥棒かと考えることを否定できん。お互いにこの場で潔白を証明できないならば、打ち倒していくしかない」

「それが戦場の倣いでしょうね」


 ああ……そうだ。ボクたちは今、リマデス辺境伯の軍勢が着けている揃いの装備だった。

 これでは、戦場から金目の物を奪っていく野盗だと思った、と言われても否定できない。

 怪しい者は動けなくしておいて、事後に生きていれば調べる。確かに戦闘の混乱の中では、それくらいしかできないのかもしれない。


「いや、ウチらはいいけどみゃ」

「メイも遊んでほしいみゅ」

「余計なことを言っちゃ、駄目ですよ!」


 茶々を入れる二人に注目した人は居なかった。

 一歩一歩、地面を踏みしめて間合いを計るグラビス卿。甲板を滑るように、摺り足で隙を窺うミリア隊長。


 一方は天を衝くように高く、一方は這うように低く、その極端な差が互いの動きを封じていた。

 一たび相手を打とうとすれば、それ以外は無防備になる。振り下ろしきった時と突き上げた時では、次の動作にどちらが有利だろう。


 固唾を飲んで見守る時間は、急に終わった。

 広刃の剣が地面を砕くと、舶刀が喉元を外れて肩当てに弾かれる。

 弾かれた勢いさえも利用して、舶刀は横薙ぎに足元を刈ろうと振り抜かれた。これを広刃の剣の主は思い切りよく後ろに跳んで逃れる。

 と、そこで間が生まれるかと思いきや、跳んだ足はまた地面を蹴って舞い戻った。

 戦いの最初に戻ったかのように、また広刃の剣が振り下ろされて、舶刀が突き上げられる。


「あぃっ!」


 ぜえぜえと、グラビス卿が息を切らしている。ほんの短い戦いだったのに、それほどに集中したのだろう。

 その二歩先の地面に、ミリア隊長は腹の辺りを抱えて倒れ込んでいた。ぷるぷると震えて、呼吸もうまく出来ないらしい。


 グラビス卿の剣は、最初と同じく当たらなかった。しかし地面の凹みは一撃目の比ではなく、とても浅いものだった。

 刃を囮にして、最初から蹴りを狙っていたのだ。

 騎士の履く重いブーツが、ミリア隊長の腹を捉えていた。あれは多少の切り傷よりも、よほど重傷と言っていいだろう。


 ざっ、と土を割く音がした。

 見ればグラビス卿は剣を地面に刺して、右腕を震わせている。左手で抑えている辺りからは、赤い血がどくどくと流れているのも見えた。


「恐ろしい女性だ……」


 呟いた卿は従者らしき人から包帯を受け取り、自分で傷口をぐるぐる巻きに手当てする。


「ご苦労。腕は動くか?」

「申しわけありませんでした。問題ありません」


 いやいやいやいや。その出血量は、問題あるだろう。動かすのに支障はなくても、剣を振るったりしていればいつまでも血が止まらないと思うけれども。


「とりあえず、お前が居なくとも大丈夫だ。下がっていろ」

「は――」


 親心なのか、ユナン子爵はそう言った。

 実際のところ剣を持っていられずに、咄嗟に地面へ刺したくらいだ。軽傷のはずはない。

 巻いた包帯がもう真っ赤になって、血が滴り始めている。


「さて」


 こちらは一つ見せ場を作ったぞと言わんばかりに、ユナン子爵はルキスル子爵をちらと見た。

 これに動じた様子を表面上は見せず、ルキスル子爵は温和そうな笑顔で頷いた。


「ではもう一度だけ、機会を与えようか。その女性をこちらへ渡しなさい。さもないと、大勢で君たちを取り押さえなければならなくなる」

「だから、それでいいって言ってるみゃ。さっさとかかってくるみゃ」

「メイも遊びたいみゅう!」


 やれやれ、この二人は――。

 ここはこちらが「逆らってすみませんでした」と恐れおののく場面だと向こうは期待しているのに、何てことを言うんだ。


 まあボクも話の中身がフラウのことだけに、言うことを聞く気はさらさらないけれどね!

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