第203話:ミリア隊長の誘導
後方の陣が薄くなったのを好機と見たのか、子爵たちの一部が突出してくる。
掲げられた旗は、ルキスル子爵家とユナン子爵家。その後ろにも続いているが、よく見えない。
今更お互いを味方とは思っていないだろうに、油断だろうか。
子爵たちの前にギールの姿は見えないし、子爵たちが突出した横合いはリマデス辺境伯の部隊に晒されている。
逃げる間もなく、逃げる先もなく、立ち尽くすしかなかったボクたちの前に、その先頭が止まった。
道をこじ開けてきた騎士と、その隣で旗を掲げてきた騎士との間から、如何にも貴族然とした男が二人歩み出る。
両者が鎖帷子のフード部分を外すと、下位の貴族を示す革でできた略式の額冠が見えた。
「貴様ら、何をしている」
フラウを後ろに守るボクに向けて、片方が剣を抜いて突き付けてきた。もう一方が老人なのに対して、その男は壮年の盛りという雰囲気だ。
しかし何をしていると聞かれても――何をしているんだろう。あたふたしているとか?
そんなことを言ったら、馬鹿にするなと怒られるだろうけれども。
「ここは戦場みゃ。まさかお前たちには、夕涼みでもしてるように見えるのかみゃ? だとしたらとんだお馬鹿さんみゃ」
「なっ――!」
いやあ、清々しいほどに辛辣だ。
そりゃあ戦場で、何をしているのかって聞くのがおかしい。でもそうとは言わないのが、暗黙の了解みたいなものがないだろうか。
実際のところボクたちも、この戦闘そのものには関わっていないのだし。
「そうみゅ。まだ晩ごはんには早いみゅ」
「…………分かった。お前たちにまともな話をする気はない、ということがな」
寛容とは程遠い性格なのだろう。眉間に皺が寄り、口元はわなわなと震え始めた。
これを隣の老人は「まあまあ」と宥める素振りを見せて、代わって言った。
「お前たちも気が立っているのは分かる。ユナン子爵には、儂から謝っておこう。しかしこれだけは、聞いてもらわねばならんのだ」
壮年がユナン子爵ということは、こちらの老人がルキスル子爵だろうか。
物分かりの良さそうな、人当たりの良い笑顔。何を言う気か知らないけれど、多少のことなら聞いても良いかと思わせる雰囲気を持っていた。
気に入らない。
こういうタイミングでこういう態度に出る人の申し出が、碌なものだった試しがない。
「その女性を、こちらに渡してもらえるかな」
ほらその通りだ。
柔らかい言い方ではあっても、こちらが否と答えるのを想定していない。自分の言うままになると考えている人間の喋り方だ。
「渡してどうするんです?」
「知れたことだ。その女性は辺境伯の側に居た。どういう素性か調べねばならんし、この争いを終える助けになるかもしらん」
ルキスル子爵はそこで小さく咳を払うと、残念そうな表情をこれみよがしに言う。
「場合によっては、罰さねばならんやもしれんがな」
白々しい。
この老人もフラウを介して、何らかの弱みを握られているに違いないのだ。
その生きた証拠であるフラウを害しようとしているのに、穏便に見せようとする腹が透けて腹立たしい。
しかし、そうだと指摘する材料がない。この二人の秘密が何なのか知らないし、フラウに聞こうにも意識がない。
聞いたところで、覚えてもいないだろうけど。
「ルキスル子爵閣下。何を仰っているのです? こちらは閣下もよくご存知の、エリアシアス男爵夫人ですよ。辺境伯閣下も、先ほど言っていたではありませんか」
「ん……」
ルキスル子爵の顔に、険が走った。それをすぐに消したのは、年の功と褒めるべきだろうか。
それにしてもそう誘ったのはミリア隊長だけれど、彼女は何を言い出したのだろう。わざわざ辺境伯に、閣下とつけて。
「ご長子殺害を依頼されたのではなかったですか? ご次子の思わぬ行動のおかげで、上手くいかなかったようですが」
「何を言い出すのだ! そのようなこと、この場で言い放つとは。辺境伯の統制もどうなっておるのか!」
──どこかで聞いた話だ。
実際、似たような話はいくつもあるのかもしれないが。しかし登場人物像は、ぴたりと合っている。
「おや、私の覚え違いでしたか。申し訳ありません、再度の確認を致しておきますのでご容赦を」
「間違いを指摘しているのではない! そのような事実を、どうしてお前のような一兵卒が知っておるのか。あまつさえ口に出すとは何ごとかと言っておるのだ!」
この隊長は、くそ度胸だけでなく、調査にも優秀であるらしい。
こんなどさくさで人の秘密を暴きたてようとは……ああ、やっぱり度胸が据わっているせいなのか。
「おやおや、これは小官としたことが。ではユナン子爵閣下の件も、口に出してはならぬのですね?」
「当たり前だ。このこと、故あれば辺境伯に問うからな。貴様の名を聞いておくぞ」
問うって。そんな機会があるんだろうか。
この争乱がどう治まっても、少なくとも彼らの立場はどこにもないと思うんだが。
「なるほど。やはりお二人とも、噂は本当でありましたか」
言質を取ったミリア隊長は、にんまりと笑う。人好きのする笑顔ではあるけれど、それがこの場で出るのは如何なものか。
事態の行方をにやにやと眺めるトンちゃんとも相まって、中々に凶悪だ。
「何──? どういうことだ」
「どうもこうも……ああ、名を聞かれておいででしたね。小官は、港湾隊が一番隊隊長。ミリア=エルダと申します」
すらと、舶刀が抜かれた。
カテワルトの治安を守る、港湾隊。管轄はそうだけれど、その他で取り締まってならない法もない。
素性を聞いた二人の貴族も、忌々しげに睨みつけながら言葉はない。
もはやこの場に、会話は不要だった。
「マイルズ! 来い!」
ユナン子爵の、斜め後ろ辺り。彼らの兵が指示を待つ中に向けて、ミリア隊長は声を突き通す。
同時に彼女の舶刀が、ユナン子爵の手元に切りつけられた。
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