第190話:ここで死ね

「よく信用してもらえたものですね」

「ええ? やらせておいて言うのお?」


 そう言われるとその通りでしかなくて何も言えなくなるのだけれど、本当にそう思った。

 まず今で手一杯なのに、何を馬鹿げたことをと言われて当然だ。

 そもそも戦闘に関して門外漢のボクが兵を動かすことに口を出すなんて、ペルセブルさんが傍に居たら殴り飛ばされていたかもしれない。


 敵が目の前に居て、正に交戦しているのを置いて逃げ出せ――なんて。


「何、戦闘そのものは隊を五つに分けて交代していたんだ。楽なものさ」

「あ――聞こえていましたか」


 そう言う割にはようやく息を整えたばかりのメルエム男爵は、傍に居た兵士に誰かを呼びに行かせていた。


「私も港湾隊が先頭に立つ時には、前面に出ていたからね。ちょうどその順番が終わったところだったんだよ」

「ええと――心を読めでもするんです?」

「あはは。海ではもの凄い音の中で操船やら戦闘やらをすることが多いし、酷くなると身振り手振りで意思疎通しないといけない場合だって多い。そういうのを聞き分ける耳と、見極める目は鍛えられているかな」


 言葉の上では「そういうものですか」と、ただ感心した素振りで返事をした。

 でもこの人の前では迂闊なことを考えることさえできないなと、心に刻んでおいた。


 それから間もなく、ペルセブルさんとミリア隊長がやってきた。


「二人には悪いんだけれど、死んでくれないか」

「はあ?」

「はあ――」


 何を言っているのかという調子で、語尾の上がったのがペルセブルさん。当惑して語尾の下がったのがミリア隊長だ。

 突然にそんなことを言われれば、そのどちらかにはなるよなと思う。

 どうしてその言葉を選び出したのかと、ボクも当惑している部分もあるし。


「いやまあこれは、冗談ではないんだが」

「冗談とは思っておりません。しかしご説明は頂戴したい」


 ああ――馬鹿げていると考えたのでなくて、順序良く話せと考えていただけなのか。

 ミリア隊長も同じらしく、うんうんと頷いている。


 この人たちは、普段は普通の市民として生きていられているのか?


「港湾隊だけを残して、他の兵は撤退させる。私もそちらに同行する。指揮は君に預けるから、撤退が完了したあとは自由にしてくれ」

「了解しました。実行はいつに?」

「これからすぐにだ」


 先に指示を受けたペルセブルさんは、休憩に入ったばかりの兵士に指示を始めた。

 中身を聞けば本当に、他の兵士を逃がすために死ねと言われているのに。

 男爵の部下である港湾隊でなく、ユーニア子爵の配下にある警備隊のためなのに。

 いともあっさり、だ。


 どうしてそんなことが出来るんだ?

 ボクが団長に同じことを言われたとして、同じようにできるのか?


 きっと団長は、そんなことを言わない。

 それでももし、仮にと考えてみても、その時になってみないと分からないと思った。

 でもふっと思ったのは、そんなことを言われたら恐ろしくて逃げだしてしまいそうだということだった。


「ミリアくん。君には最重要任務をやってもらいたい」

「は、何なりと」


 海軍本部に行った時と同様に、ミリア隊長は粛然とした態度で言葉を待っている。

 恐らく普段はアッシさんの店で出会った時のような会話をしているだろうに、彼女の内にも、リマデス辺境伯の軍勢を相手に吼えた時のような熱が隠されているのに。

 いい意味で、らしくないなと思った。


「君と、あと数人を連れて彼を守ってもらいたい。私の友人であると共に、この戦いを勝つ最終兵器だ」

「畏まりました。彼らではなく、彼、でよろしいのですね。アビスくん個人を守れば良いと」

「その通りだよ。この戦いが終わるまで、それが唯一、君の仕事だ」

「畏まりました。ミリア=エルダ。この一身を賭して、任務を達成致します」


 それは何だか厳かで、神殿の儀式か何かのようにも見えた。

 そんなだから言い出せなかった。「思いつきを言っただけなので、そんなに持ち上げられても困る」と。


 物事ってこんなにてきぱき進むものだったっけと、奇術でも見せられているような段取りの良さで準備は進んだ。


 戦闘不能になった人たちを連れ出す用意もされて、ボクとコニーさんの周りにはミリア隊長と五人の港湾隊の兵士が集まる。


「全体──前へ!」


 ペルセブルさんの号令に従って、とぐろを巻いたような楽器であるニズが吹き鳴らされた。

 高音から低音。二つの音が響き渡る。


 これまで戦っていた隊の後ろが薄く剥がれるように下がっていって、空いたスペースに最前列の兵士が下がる。

 それでまた空いたところは港湾隊が埋めて、見事に交代が完了した。


「全体──後退!」


 その「全体」には、港湾隊が入っていない。

 港湾隊の存在などもう忘れてしまったかのように、男爵は指示した。

 そうと決めたら「悪いなあ」などと気を遣うようなこともできない。それで当たり前だと分かってはいるけれど、目の当たりにしてすぐに割り切れるものでもなかった。


 ボクの提案は、彼らを犠牲にするものだと実感していた。


「人は大切な物を一つ守れれば御の字だと、副長は常々仰っています。前を向きましょう。大事な人を取り返さなくてはいけないんでしょう?」

「……ええ」


 隣を歩きながら、ミリア隊長が言った。

 どうにもやりにくい。ボクの心を、読まないでほしい。

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