第189話:尽きていく命
また脇腹が熱を持ち始めた。団長が治癒してくれたのは、あくまで応急措置程度だったそうだから無理もない。
ボクを乗せてくれていたオセロトルも、さすがにずっと連れまわすのも酷なので今朝の時点で自由にしてもらった。だから自分の脚で駆けている。
「大丈夫かなあ?」
「ええ、まだ全然ですよ」
怪我を庇いながらの全力に、コニーさんはスキップ程度の足運びで並走する。
顔には「本当かなあ?」という表情があるけれど、嘘です助けてくださいと言ったところでどうにもしようがない。
まさかコニーさんに、おんぶしてもらうわけにもいかないし。
南北に延びるロンジトゥードの東と西で、エストトゥードの周囲は様相が異なる。
東へ少し行くと街道を挟むガルダの森が迫ってきて、エコリアの幅で四両分ほどになってしまう。徒歩やエコリアの通行には全く問題ないけれど、軍隊が戦闘しながら進むには手狭だろう。
それに比べて西は広々としている。やはり南北に多少の森や林は見えるけれど、それほど押し迫ってはいないし、その樹影は薄い。
平原と呼んで差し支えないその土地を、ワシツ将軍は堂々と駆けていった。
その先にはディアル侯爵の軍勢が待機しているはずで、更に先ではリマデス辺境伯の軍勢と王軍とが交戦しているはずだ。
そこに関わっても大丈夫なのかと心配になって、どのみちボクたちもそちら方向へは行かないといけなくて、あとを追う形になった。
結論を言うと、杞憂だった。
まず侯爵の軍勢は、そこに居なかった。夜明け直前までは居たはずなので、ボクたちがこちらへ向かっている時にどこかへ移動したのだろう。
その先では辺境伯の軍勢が王軍をかなり押し込んでいて、そもそもが広々としている街道の交差する付近なので、見えるかどうかのところを将軍は北に逸れたものと思える。
「考えてみると、将軍に使い走りのようなことをさせてしまってますね」
「それも含めて、豪胆って言われたんだと思うよお。でも将軍にしか出来ないだろうし、いいんじゃないのお」
「それならいいんですが……」
数万と数万のぶつかりあう戦場を見るのは、初めてだ。
もちろん遠巻きに見つからないように移動しているのだけれど、それでも迫力がすごい。
打ち合わされる武器の音、嘶くエコ、飛び交う怒声。それらは重なり合って、音の大砲のようにボクの耳へと飛び込んでくる。
あんなのを何度も経験して生き残っている将軍は、どんな精神の持ち主なのか。尊敬を通り越して、畏怖を覚えそうにもなる。
「団長はもう、あの中に居るんでしょうか」
「どうだろおねえ」
他人ごとのように言うコニーさんだけれど、決して冷たいわけではない。
分かるはずがないだろうという質問に、そう言い切れない優しさが逆にそんな言葉になっているのだ。
「そんなことより、男爵のところに行くんでしょお? 急がないと」
「ええ。そうですね――そうです」
そう言っている間にも、双方の兵士が一人、また一人、天から吊られた糸を切られて倒れていく。
遠くから見るそれは、本当に人形のお芝居を見ているようで、現実味はなかった。
でもその糸は、二度と繋がれることはない。
燃え尽きた命の炎が、もう一度点くことはない。
メルエム男爵だけでなく、将軍やウィルムさん、団長を始めとした団員のみんな――影たちも。
せめてボクの知っている人たちだけは、そうならないでほしいと身勝手に願っている自分が居た。
フラウの顔は、浮かぶ度に振り払った。そんなことを、想像もしたくなかった。
街道とそのすぐ脇の平たい土地を残して、ガルダの森が急激に狭めている辺り。そう形容できる場所は森が焼かれたために、二日前よりもかなり東に移動している。
そこに男爵の率いる隊が居た。
本隊から分かれた辺境伯の軍勢の一部は広いところから狭いほうへなだれ込もうとして、それを男爵の隊が押し留めている格好だ。
恐らくこれは自然とそうなったのでなく、男爵がそうしているのだろう。
数で劣っている男爵の側は、一度に戦える人数の限られる狭いところに居たほうが有利になる。
男爵は部隊をいくつかに分けて、先頭を順番に交代しているらしい。少し後方に男爵本人の姿を見つけて、木の上から一気に近付いた。
「メルエム男爵、ご無事でしたか!」
「……やあ、君たちか。ご覧の通りさ」
ご覧の通り――?
ボクたちを認めると、振り乱されていた長い髪を手早く束ねた。
衣服や防具には汚れと擦過がかなり目立って、男爵自身は呼吸をかなり乱している。その顔も汗やら血やら、拭く暇もないのかと心配になるほど汚れている。
乗っていたはずのエコの姿はどこにも見当たらなくて、どこかに置いてきたのか放したのか、それとも殺されたのか。
それでも生きている以上は、無事か。
むしろそんな場面に現れたボクたちに対して、疲労を見せながらも明るく答えてくれたのは、やはりすごいことなのかもしれない。
「彼らをあまり驚かせないでやってくれ」
苦笑されて周囲を見ると、見覚えのない顔ばかりが周りに居た。
むしろボクたちが知っている兵士なんてほとんど居ないのだけれど、それは向こうにとっても同じことだろう。
向けられていた剣や槍の刃先が、男爵の手振りで下ろされる。
「驚かせてすみません、でも急いでいて。手短に聞いてもらえますか」
「あまり余裕はないのだけれどね、構わないよ」
いつも爽やかな男爵も、さすがに汗と疲労の臭いが強い。
いやもちろんそんなことを殊更に気にしたわけではないし、口にもしないけれども。
将軍と話した内容を掻い摘んで、今お願いしていることをそのまま話した。
「将軍はもう実行していると言ったかな?」
「はい」
「よくもまあ、そんな無茶を――」
頭痛を抑えるように額に指を当てて、男爵はため息を吐いた。
難しげな顔と厳しい視線がこちらを向いて、そんなことが出来るものかと罵られるのを覚悟した。
「私がやらないと言ったら、どうするつもりだったんだい?」
「……やっていただけるんですね」
「どう見たって、そんなことは考えていなかったって顔をしているよ」
呆れる男爵の予想は、当然に正解だ。
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