第180話:今やるべきこと

 それにしても。ボクだって普通のハンブルに比べれば、相当に鼻が利く方だ。だから臭いを辿って物や人を探すなんてことも、多少は出来る。

 でもその感覚を以てして、この広大な森やその周囲から、数千人も居るといっても隠れ潜んでいる人たちを見つけられるものだろうか。


「いきなり将軍の臭いを嗅ぎ分けるのは、無理だよお」


 聞いてみると、あっさりそう言われた。

 ではどうするのかというと、街中では街中の、平原では平原の、戦場では戦場の臭いがそれぞれあるのだそうだ。

 街中で言えば食品を扱う店の多い辺りと、倉庫街だったり職人の多い付近の臭いは違う。そしてそれは、戦場にもあるらしい。


「例えばオクティアさんたちの居るところと、辺境伯の軍のところは全然違うでしょお?」

「え、ええ?」


 同意を求められても――。

 たぶん影たちとリマデス辺境伯の軍勢をそれぞれ狭い部屋に閉じ込めてでもおいて、そこの臭いを比べれば分かるかもしれない。

 でも屋外では無理だ。


「そういうのとも違うんだよお」

「え。じゃあ全然分かりません」


 ボクが鼻で感じる世界とは、まるで違うのだろうということは分かった。






 それからしばらく、ただコニーさんについていった。居場所を探し当てることについては、手伝いようがなかった。


 まずガルダの森を出て、ロンジトゥードを越えた。その向こうは平原だけれど、小さな森や林はいくらでもある。

 そのどれかに潜んでいるのかと思っていたら、コニーさんはまだまだ進む様子だった。


 どうも行きたいのは、元居た場所からまっすぐに西の方向らしい。時折コニーさんが方向を確かめるために、風の臭いを嗅いでいるのを見て分かった。


 でもそれではいずれかの兵と鉢合わせてしまうので、大きく北に迂回したようだ。


 遠くに騒然とした声や音は始まっていて、その激しさは昨日を遥かに超えていた。メルエム男爵の身の安全が心配だ。


「ちょっと意外だねえ」


 先行するコニーさんが、振り返らずに言う。


「ん、何がです?」

「お姫さまはどうしてるだろうって、もっと取り乱すかと思ってたよお」

「ああ……」


 確かに、取り乱してはいない。

 それが錯乱したような様子を指すのであれば、だが。


「とっ散らかってはいますよ。当面どうすればいいのか、皆目です」

「じゃあどうして、こんなことを気にしたのお?」


 こんなこと。ワシツ将軍に尋ねようとしている、ボクの疑念。

 それはフラウのことを第一に考えるなら、直接の関係はない。そんなことを考えている余裕があるのか、と思われるだろう。


「ボクはこれからずっと、フラウと一緒に居たいんです。その障害になるかもしれないことを放っておけません」

「それは分かるけどお。その前に、お姫さまを取り返せるかも確実じゃないんだよお?」


 コニーさんは、妙にごまかすようなことをしない。

 それは性分なのか、のんびりした話し方とは似つかわしくない。


「もちろんそうです。でも今それを、ボクがどうこう出来ませんから」

「だから出来ることをやっておこうってことお? やっぱり落ち着いてるんだねえ」


 見えている後頭部からでは、コニーさんがどんな顔をして言っているのか分からない。

 ボクをおだてて得があるはずもないのにどうしたんだろうと思っても、その答えの予測も出来ない。


 意味はなくても、コニーさんに注意を向けると後頭部か背中しか見えない。

 それを見ているうちに、はっと気付いた。


 ボクはここまで、この背中をほとんど見ていなかった。服の背に大きく花の刺繍があることも、今知った。

 視線は空に地面に、遠くに近くに、およそ落ち着いていたとは言い難い。


 まず、ちゃんと前を見てろ、ってことか……。


「落ち着いてなんかいません。何かしていないと、やっていられないだけです。だからまずは、背中の花が何なのかでも考えてみます」

「そお、それがいいかもねえ。つまづいて転ぶと痛いしねえ」


 理由もなく──いや、理由があって高鳴っていた胸の鼓動が、少し治まった。


 その後、間もなくしてコニーさんが足を止めた。


「ここみたいだよお」


 辺境伯はおろか、ディアル侯爵の兵よりも後方。エストトゥードに近い森だった。


 将軍の家の臭いがここからするということらしいけれど、やはりボクには感じない。

 しかし森の中からこちらを伺う、厳しい気配だけは感じる気がした。

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