第173話:気紛れの挑発

「ボクは盗賊です。ミーティアキトノ。聞いたことがあるかは知りませんが」

「ほう、君たちがそうなのか。もちろん名前は知っている。有名だからな」


 なるほどそうかという風に、リマデス辺境伯は頷く。興味などないが感心した振りくらいはしてやる、といった感じの嫌な態度だ。

 抜いた剣をボクに向けるでもなく、刃こぼれでも点検しているように弄んでいるのもわざとらしい。


「それで盗賊風情がフラウに何の用だ。随分とご執心のようだが」


 答えに迷った。

 答えるとするなら、その内容には迷わない。ボクはフラウが好きで、辺境伯なんかに渡さないようにしている。

 ただ――それを言えば、フラウにもボクにも余計な害が及ばないだろうかと考えた。


 純愛に燃えて、格好を付けたいだけならば思うところを言ってしまえばいい。

 でもボクは、格好をつけるために居るわけじゃない。フラウの安全を確保して、できればフラウにもボクを好きになってもらって、ずっと一緒に居たいからだ。


「いや……もう分かった。答えなくて結構だ。歳に見合って、考えも若いようだ。嫌いではない」


 ああ……顔に出てしまっていたのか。

 ボクは交渉事に向かないとはよく言われるけれど、こうなると随分と間抜けではある。

 どうせ察せられてしまうのなら「お前にフラウを渡すもんか」くらい言っておいたほうが良かったかもしれない。


「さて。ここで解放したとすると、君たちはどうするのかな?」

「もちろんフラウを連れて逃げます」


 フラウとボクを縛っている布は、既に切られた。彼女の体がボクの体から離れて、オセロトルの背からも降ろされたことが分かる。

 その間も、剣はボクに向けられたままだ。

 ボクの後ろに居る人は、腕が何本あるんだ――?


「なるほど。明快でいい答えだ」


 辺境伯の剣が、ボクの鼻先に突き付けられる。そちらへ意識を向けた瞬間、後ろから脇の辺りを強烈に打たれた。


「アビたん!」

「ぐうっ……」

「おや、怪我でもしていたか? それは悪かった、あとで注意しておこう」


 そんな皮肉に答えられるはずもなく、ボクは痛みに震えながら耐えた。

 地面に丸まって、腹や腰に力を入れたり緩めたり、一瞬ごとに新しい痛みが生まれるような感覚をどうにかごまかした。


 焦点の定まらない目をしたフラウが、辺境伯の隣に連れて来られる。それで初めてボクに刃を向けていた人物を見ることができた。


 フードを被っているので、顔は見えにくい。でも垣間見える感じでは、年齢も身長もボクよりも少し高いだろう。

 体格はボクよりも細い。いかにも手練れという雰囲気を存分に発していて、腕や脚も相当に鍛えられているのが服の上からでも分かる。


 同じく細身のシャムさんを連想させるけれど、全体的な雰囲気は柔らかくて、メルエム男爵に近いかもしれない。


「お前たち、アビたんに何てことするみゅ! 許さないみゅ!」

「悪いが今は、こちらの少年と話したい気分だ。静かにしていてもらおうか?」


 メイさんを押さえている奴は関節を極めているらしく、いまだにそれを解こうとしない。

 でも実はそれは彼らからすれば、正しい判断だ。メイさんを拘束するならば、かなり厳重な金属製の枷でも用意しないと無理だ。ロープなんて、すぐに引き千切ってしまう。


 ボクのほうに居たもう一人は「リリック」と声をかけられ、また文句を言おうとしたメイさんの口に太い木の枝を噛ませ、更に上から布で縛った。

 それでもメイさんは「あがががががが!」と唸っているが、辺境伯が話すのを邪魔するほどの音量にはならない。


「さて、フラウ」


 ふらふらしながら立っているフラウの顎をつまんで、囁くように言った。

 あの様子では返事なんて出来ないだろうにと思っていたら、十数秒ほどの間を空けて、答えがあった。


「……はい、ブラムさま」

「口づけを」


 手も足も震わせてよろめきながら、フラウは辺境伯のすぐ目の前に歩み寄った。まっすぐ立ったままの辺境伯の顔に両手を伸ばすと「お顔を――」と言って、自らも懸命に踵を上げて背を伸ばそうとする。


 ――やめろ。


 僅かに腰を屈めた辺境伯は、空いている左腕をフラウの腰に回すと、その体を抱え上げる。

 顔の高さを同じにされたフラウは、嬉しそうにさえ見える笑顔で辺境伯の唇と自分のそれとを重ね合わせた。


 ――やめろ。


 ボクが触れたことのない柔らかそうな桃色の唇は、辺境伯の口を吸って、また吸われもした。

 互いを飲み込もうとでもしているかのように吸い合ったかと思うと、絡み合う舌を覗かせるようにもして、糸を引く唾液をまた吸い込む。


「やめろ!!」


 きっとボクの声の聞こえていないフラウは、行為をやめようとしない。けれども辺境伯は視線をこちらに向けて、にやと笑う。


「もういい、フラウ」

「はい、ブラムさま」


 フラウを抱えたまま、辺境伯はボクの近くでしゃがみ込んだ。


「とまあ、こういうことだ。また誰か、いい女を見つけるといい」


 汚れた口元を、フラウが袖で拭きとっている。それをも見せつけて、ボクの嫉妬を買おうということだろう。

 馬鹿にするんじゃない。


「何か勘違いしてるんじゃないか?」

「勘違い? 決定的な証拠を見せてやれば、君も諦めが早いだろうと配慮したつもりなんだがな」


 面白そうに、顔を覗き込んでくる。

 盛りのついた子どもが、生意気に独占欲で何を言おうというのか。そんなことを考えているのだろう。


 ボクを精神的にいたぶることで、少しばかり表情が崩れている。他人の不幸が好きだと、その嘲笑う顔が訴え始めている。

 他の何だっていい。でもこの男は駄目だ。フラウを性の捌け口として、道具としてしか見ていない。


 この男にこれ以上、一瞬でもフラウを触らせていたくない。

 だから、吠えた。


「ボクはフラウが望むことなら、何をしてくれたっていい。でもお前は違う。ボクは、フラウの意思を捻じ曲げるのをやめろって言ったんだ!」

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