第174話:持つ者と持たぬ者

 リマデス辺境伯は、そんな怒気なんてどうとも感じていないらしい。興の醒めた顔で、ボクを見下している。


「期待したよりも、つまらんセリフだったな。それなら俺も、そういう思料の足りない、考えてものをいうことをしない連中に使う、お決まりのセリフしか返せんな」


 本当に多少の期待はあったのだろう。落胆した溜め息のようなものを、鼻から吐き出した。

 それがいいことであろうとそうでなかろうと、こんな男の期待に答えたいとは全く思わないけれども。


「つまり、こうだ――お前に何ができる」


 何が? そりゃあボクに、取り得なんてあまりないけれど。今また奪い返されようとしてはいるけれど、フラウを取り返しはした。

 これからまたどうにかして、もう一度取り返すことも考える。


 そう考えているボクを、辺境伯は「イスタム、立たせろ」と命じた。

 最初にボクへ剣を向けていたほうの奴が、抜いていた細い刀身の剣を鞘に納めてボクの両脇に腕を入れる。

 脇が伸びてまた痛むが、堪える。

 顔を僅かにしかめてしまったけれど、声は出さなかった。


「ここまではうまくいっていたとか何とか、考えているんだろうがな。それはお前自身の手柄じゃないだろう」


 そう言いながら、辺境伯の剣先がボクの胸の前に突き出された。たぶん服にはもう当たっている。ほんの僅かの距離で、皮膚には当たっていない。


「この後また何かすることも考えているのかもしれんが、当然ながら俺がこの剣を突き出すだけで、お前は死ぬ。さあ、お前はここからどう生き残る?」


 言う通り。ボクの命は、辺境伯がこの剣をどうするかにかかっている。この剣やボクを抱えるイスタムをどうにかする術は、今のボクにはない。


「知っているか? この世に力というのは三つある。更にそれは、二種類に分けられる」

「――知らない」


 相手が教えてくれるって言ってるのに、それは知ってるなんて断っても得はないにゃ。


 団長がそう言っていたのを、明確に思い出したわけじゃない。でもいつのまにか、自然とそうするようになっていたんだろう。

 辺境伯が言おうとする内容にある程度の予測はついたけれど、全く分からないと言った。


「何、特に気の利いたことを言うわけじゃない。技能と知恵、それにかねだ。誰にでも思いつくものだろう」


 剣先はボクの服を引っかけたまま、上に向けられていく。ある程度のところまでずり上がって、今度は服がボクの背中に引っかかって止まる。

 それでも無理やりに剣先は上げられて、その緊張に負けた布地はざっくりと裂けた。


「技能は身に着けた能力。単純な筋力でも、毒を使うことでも、色気なんてものでもいい。知恵は多様だな。多くは口車に乗せることだろうが」


 辺境伯の視線は、ボクの体を見ていた。筋力やら何やら言っているので、そういう鍛え方をしているかでも見ているんだろうか。


「最後に金、財力だ。まあこれは相手によっては全く意味を持たないし、即効性もない。人を誘惑するだけの金銭を、いつも持ち歩いているとでも言うなら別だがな」

「なるほど、即効性があるかないか。あるほうの二つを持っていろと?」


 馬鹿にしていた視線に、ボクへの興味が少し戻った。舌なめずりをしているのが、とても嫌な気持ちにさせる。何を考えている?


「そういうことだ。お前には、どちらもない。ついでに財力もない」


 遥か遠くのほうで、人の声がした。何と言っているかは分からない。辺境伯の兵か、うちの団員か、それとも影の部隊なのか。それも分からなかった。


 突然、イスタムがボクを後ろに引き倒して、辺境伯に耳打ちをしに行った。

 何だ? まさかボクがやっと聞こえるくらいの声を、聞き分けたのか? ただのハンブルが?


「もう一つついでに、運もないようだ。味見をして具合が良ければ、しばらく玩具くらいには扱ってやろうと思っていたのに」

「味見?」


 仰向けに倒れたままでは情けない。上体を起こしながら、せめて睨むだけでもと辺境伯に目を合わせる。

 その視界に、さっきの剣が侵入した。それはボクの腹へとまっすぐ進み、そのまま地面まで突き通される。


 でももう、その感触はなかった。

 たぶんとても痛くて、よく言う熱いように感じるなんてこともあったんだろうけれど。既にあちこちが痛む疲れ切った体には、どれがそうなのか判別がつかなかった。


「ではな」


 立ち去ろうとする背中が見える。

 でもどうしたんだろう。急に眠くなった。まぶたも、とんでもない重さだ。辺境伯たちがどちらへ行くのか、見極めるまで開けていられる自身がない。


 景色がどんどん細く、暗くなっていった。

 その中で、動こうとしないフラウを引っ張ろうとする辺境伯。ボクを見て大きな口を開けて、叫ぶフラウの姿が見えた。


 ボクの耳に、その声は届いたのだろうか。この夜の森に、うるさいくらいの虫の声が響き渡っていた。

 だから何と言ったのか、聞き分けることは出来なかった。

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