第171話:静かな森
「……たん――アビたん!」
ここはボクの家――じゃない。でも薄暗くて、メイさんの声?
景色が急に開けて、戸惑った。それまでに見ていたのと同じように、少し影の差した色合いだったからますますだ。
「アビたん! 聞いてるかみゅ!?」
「あ、ああ――メイさん」
メイさん?
ああ……これが現実か。どうしてこんな時にあんなものを見たんだろう。
大抵は機嫌良くにこにこしているメイさんだけれど、今は何だか真面目な顔をしている。でも、どうやら白昼夢でも見ていたらしいボクが返事をしたので、笑顔に戻った。
「やっとお返事したみゅ。フロちと一緒に隠れるみゅ」
「隠れる? 囲まれてるのにどうやって――」
茂みの合間から見える中には、どこの兵士の姿も見えなかった。遠くにまだ争う声や物音は聞こえてくるから、消えてなくなったというのでもないらしい。
「だんちょおがフロちになって、逃げてるみゅ」
「団長が? ――幻術ですね。なるほど、それで辺境伯を誘い出そうってことですか」
カテワルトで港湾隊に囲まれているなという時、団長やトンちゃんがわざと姿を見せて逃げ回るということがある。
それは団員でも逃げ足に自信のないメンバーも居て――特にボクだけれども――、隠れている港湾隊の位置をはっきりさせるために釣り役をしているのだ。そうすれば少なくとも、思いもよらない場所で出くわすということはなくなるから。
今の場合はリマデス辺境伯の所在と、それについてくる追手の数を特定しようということだ。
「そうするなら、そうと言っても問題はないでしょうにね」
「それは知らないみゅ」
それほど非難をしたつもりはない。軽く「そうだね」などと相槌があれば良い程度の雑談だったのだけれど、相手がメイさんではそれさえもあるはずがなかった。
別にそれで団長を馬鹿にされたと怒るようなこともないので、いいけれども。
「今のうちに隠れるみゅ」
「分かりました」
さっきは薄暗いと感じた景色が、もうすぐ真っ暗と言って良いくらいになりそうだった。店の灯りや街頭の松明なんかで照らされる街中とは違って、日の暮れていくのが速い。
撤収の鐘の音も聞こえた。どうやらメルエム男爵は、辺境伯の軍勢を進ませないことに成功したようだ。
地形の利もあったのかもしれないけれど、あの戦力差ですごいな。
「また洞窟に入ります?」
「暗いから大丈夫みゅ」
再びガルダの森の中へ慎重に進みながら聞くと、あっさり否定された。まあ確かにこの暗い中では、視覚的にこちらが圧倒的有利だとは思うが。
聞けば団長も、サバンナさんの乗ったオセロトルの後ろに乗って、ガルダの森の中に逃げ込んだらしい。洞窟に潜んで、辺境伯だけを引き摺りこもうという作戦だろう。
戦闘が終わって、森もその周りも急に静かになったと感じた。
暴れる体力なんて残っていないフラウが、それでもまだ「う……うぅ」と声を出すのが胸を締め付ける。
こんな苦しそうな声を出させたくないのに。辺境伯をどうにかすれば、そうなるのか? 本当に?
苦しみを直接にはどうこうしてあげられない罪悪感と、不安とが入り混じった。
「団長たちはどこまで行ったんでしょうね」
「ううん──近くには居ないみゅ」
鼻をひくひくさせたメイさんは、目も耳も厳戒態勢だ。
敵が居てもメイさんが先に気付くに決まっているのに、そこまで警戒していなくてもとは正直思う。
「あまり奥に行くのはまずいですから、この辺にしましょう」
「みゅみゅ」
ボクの目や耳に、この場に居る三人以外の出す気配は届いていない。あれだけの騒ぎがあったあとだから、鳥や獣の声もない。風か何かで木の葉の揺れる音が時に聞こえるくらいだ。
つまり誰かが隠れ潜んでいる可能性は別にして、団長が姿を変えたフラウを捜索するために音を立てるような連中は居ないということだ。
想定外もあったとはいえ、団長が狙った通りに動いている。これを邪魔してはいけない。
土の露出した小さな崖面を見つけて、そこに身を隠すことにした。周りには適当な茂みもあって、離れた場所から直視されることはない。ということはこちらも周りが見えないのだけれど、メイさんの索敵能力があれば問題にはならないだろう。
――黙って息を潜めていると、耳の奥から段々に、きんと張り詰めたような音が聞こえてくる。それがうるさいくらいになるので、意識的に呼吸音を聞くようにしたり、小さな声で話したりしなければならないほどだった。
「みゅうう。それにしても臭いみゅ」
「臭いって、燃えた臭いです?」
「それと火薬みゅ。変な臭いみゅ」
どうにも鼻が気持ち悪いみたいだったので、水を含ませた手拭いを渡してあげた。メイさんはそれを使って、ぐじゅぐじゅと鼻を何度も拭う。
この辺りに燃えた木々は見えないけれど、ボクにも多少は臭うのでメイさんの鼻にはまだ相当だろう。火薬は全然分からないが、独特の臭いがあるのは分かる。
そう言われるとボクもまだ鼻の奥にその臭いを感じるような気にさえなった。
そのまま、何も出来ない時間を過ごした。一時間か、二時間か、もう少し経ったかもしれない。
森の奥。首都のある方向から、激しい地響きのような足音が迫ってきた。
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