第169話:作戦変更

「あたしの可愛い仲間たち、後ろは任せるにゃ!」


 団長は、爛々と輝く目を見張って言った。普通に考えれば絶体絶命のこの場にあって、嬉しそうに楽しそうに指示を下す。


「アビたんは、フロちを守るにゃ。メイは、その護衛を頼むにゃ。トンちゃんはあれを頼むにゃ」

「みゅうっ!」

「了解みゃ」


 メイさんは右手を上げて元気に答え、トンちゃんはまだ包囲の完成していない方向を見定めたらしく、その輪の外へと駆けていった。

 当然のようにトンちゃんへと矢が降り注ぐけれど、それは全て彼女が過ぎ去ってしばらく経った地面へと突き刺さる。


 団長は腰に提げていた、一対のナイフを抜く。生まれてすぐと、消える間際の月みたいだと団長は前に言っていた。その通り細い刃が弧を描くシルエットは、とても儚そうで美しい。


「さあ今度は間違えずに盗んであげるにゃ」

「ええ――まだ盗み出そうと思ってるんです!?」

「当たり前にゃ。あたしたちは盗賊にゃ。どんな物も、盗んでからにゃ」


 いや。普通に買い物なんかも、結構していると思うのだけれど……。


 クアトやオクティアさんも加わって、全員がそれぞれの方向を向いた。既に一人を逃がしてしまった包囲の列は、その範囲を慎重に、速やかに縮め始める。


 その最中。ボクにもたれかかっていたフラウの様子が、いよいよおかしい。


「あ、ああ――」


 最初はぷるぷると小さく震えていた彼女の体が、がくがく大きな震えに変わっていく。

 何か伝えようとしているのか、体が動くことで勝手に声が漏れているのか、判別し難い声も続く。


 と――


「わあああああああ!」


 頭を掻きむしり、頬を引っ掻いてフラウは叫んだ。

 何か恐ろしいものから逃げるように、後ずさりしていく。


「フラウ!」


 きっと何か見えているのだろう。振り返って身を竦ませ、また別の方向に逃げようとしてまた怯む。

 フラウは今ある状況とまた別に、何かに取り囲まれているらしい。ボクには見えない何かに。

 終いには倒れてしまって、絶叫と共に体のあちこちを掻きむしり始めた。


「フラウ! フラウ!」


 倒れたフラウの上に覆い被さって、全身で彼女の体を押さえ込む。

 正気を失った人の力はもの凄いと聞くけれど、本当にそうだった。何が起こったのかと問う気持ちはあっても、それ以上のことが考えられない。

 全力で押さえていなければ、すぐに振り解かれそうだった。


「それはちょっとまずいにゃ」


 防衛対象であるフラウが碌に動けない状態で、それでもあえてこの場に居ること。その直接の護衛をしているボクが、へなちょこであまり役に立たないこと。

 それを踏まえている団長も、フラウがまたここまでの状況に陥ることは計算に入っていなかったようだ。


 振り返った格好のままで少し考えると、おもむろに手拭いを取り出した。


「どうするんです?」

「アビたんはそっちにゃ」


 フラウを押さえるのはメイさんと代わって、繋がっていたロープも解かれた。仕方なく、団長の指さしたオセロトルの脇に立つ。するとすぐに「乗って待ってるにゃ」と言われたので、慌ててその通りにした。


 フラウ……。


 薬を中和してもらったはずの彼女が、どうしてまたこんな風になるのか。そうか中和してくれた人なら何か分かるかもしれない。

 それは安直な考えではあっただろうけれど、間違っていなかった。


「ううん……ここまでになるほど薬が残ってるはずはないんですよう。たぶん後は、フラウちゃんの気持ちの問題ですねえ」


 悩んでいるという現れだろうか。頭を左右に傾けながら、オクティアさんは言った。

 そんな感じでほんわか言われたので聞き流しそうになった――けれど、気持ちの問題?


 それじゃあ本人以外が何かしても、意味がないということか。

 ボクはまた、見ているだけなのか。


「アビたん」


 考え込んでいたらしい。目の前に団長の顔があった。


「フロちを守るって気持ちに変わりはないにゃ?」

「もちろんです」


 即答した。自分に幻滅することと、それとは別の話だ。

 団長は頷いて、フラウをボクの後ろに跨らせた。でもそれだけじゃなく、ボクがフラウをおんぶする格好であちこちを縛り付けられる。最後に、薄い布も被せられた。


「絶対に落ちたら駄目にゃ」

「――分かりました」


 南側。辺境伯の軍勢は、もう団員たちと刃を交えているらしい。その音が聞こえ始めた。

 舌を噛まないよう口に布を噛まされたフラウが、また何ごとか呻いているのも聞こえる。


「――」


 団長がオセロトルに話しかけた。何と言ったかは聞こえなかった。

 そのまま団長はすくと立って、クアトとオクティアさん、コニーさんとサバンナさん。それにあと数人の団員、もう一頭のオセロトルとも並んで、辺境伯の居る方向へと歩き出した。

 それはまるで、一列に並んで庭の草刈りでもしましょうという風な。陽気もいいし楽しくやりましょう、という空気にしか見えなかった。


「よし、ボクたちも行こう」


 オセロトルに言った。団長と同じようにではなくとも、ボクの言っていることは伝わっているはずだ。

 しかしオセロトルは動かなかった。寄り添って立つ、つがいのもう一頭と並んで、団長の背中をじっと見ていた。


「見てるだけじゃ駄目だよ。ついていかなきゃ」


 首の後ろに手をかけて揺すっても、オセロトルは動こうとしない。きっと団長が言っていたのは、こうしろということだ。


 ふいに、ボクの乗っていないほうのオセロトルが歩き出した。愛する妻ともう一度だけ鼻先を絡め合って、団長たちのあとを追う。


 君にも置いていかれるのか──。


 護衛に残ってくれているメイさんに聞いたところで意味はないだろう。彼女は団長の言ったことなら、何だってやる。そこに理由なんて必要ないのだ。


 またか。ここでもそうなのか。

 与えられた役目に従って、じっとしているだけなのか。ボクにはそれだけしか出来ないのか……。

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