第159話:リマデス辺境伯の乱―開戦

「にゃああああぁおおおおううぅ」


 高く、高く、どこまでも高く。

 天まで突き抜けるような声で、団長が鳴いた。


 この声をボクは過去に一度だけ聞いたことがある。その時と同じように、まず一瞬だけ背筋が寒くなった。その次には体中が、かっと熱くなる。


 噂に聞く魔法使いのように、団長は不可思議な言葉を使ったりはしない。その代わりに、キトルの血に刻まれているキスニアの力をこの声で呼び起こす――のだそうだ。




 自分たちの存在を影と呼ぶウナムやクアトの頭領ヌラとの話を終えて、団長のその声を聞いて、ボクたちはガルダの森の西端に来た。

 元の西端はもっと西のほう。今居るのは樹々を焼かれた後、森としての体裁を保っている中での西端だ。


 ガルダの森の西、ロンジトゥードとエストトゥードの交わる場所。ボクたちの目の前に広がる平原にそれはあった。


 整然と隊列を整えたリマデス辺境伯の軍勢、それにその後ろに控えるディアル侯爵の軍勢。

 隊と隊の合間、兵と兵の合間を広く取っているために、広大なこの土地をも埋め尽くす光景は圧巻としか言いようがない。


「これは壮観ですね」

「お祭りなら良かったんだけどにゃ」

「みんな遊んでくれるみゅ?」

「うわ――邪魔くさいみゃ」


 そのおおよそ二万五千の兵を臨んだ、それぞれの第一声はそんなものだった。


 先方は雨に濡れた装備の点検も終えて、布陣していた位置からもかなり前進していた。あくまで悠々と進んでいるので、それほどの速度ではないのにだ。


「警備隊は、いつ来るにゃ?」

「間もなくです。それまでは私たちでお茶を濁しておきましょう。あなたがたはお茶でも飲んでいてください」


 まず一見しての印象は如何にも老人というヌラは、背筋をぴんと伸ばし、矍鑠とした動作と佇まいをしている。その口が言ったにも関わらず、自身はその場から動こうとしない。


 集まって相談をしていた時には確かにその場に居たクアトを始めとして、周囲にあったたくさんの気配も今は全くなくなっている。唯一人、オクティアさんだけは残っているが。


 ということはヌラはここから様子を見ているだけで、彼の部下たちが励むということだろう。

 だからといってヌラを見くびることはない。今は崩れ去った元のアジトで、シャムさんを寄せ付けなかった事実は偶然などではあり得ないからだ。


「始まりましたよ。屋台などは出ませんが、祭りと呼んで差し支えないはずです」

「そうかにゃ。それなら一応は、見物させていただくにゃ」


 辺境伯の軍勢の先頭は、一千人ほどの部隊だ。更にそれが四つに分かれて、菱形に配置している。

 足はかち。得物はほとんどが剣で、槍や斧も混じっている。菱形の後ろにある隊だけは、弓を主としているようだ。


「ん――? 霧でしょうか」


 その隊の居る辺りに、白いもやのようなものが薄くかかった。離れているここからでは気のせいかなという程度で、その場に居ても視界の妨げにさえなっていないだろう。


「まずは不思議な奇術の披露ですよ」


 タイミングを計ったように、ヌラが言ったすぐあとにウナムが姿を現した。その隣には、ウナムを超える巨漢の男。それにクアトが居る。

 辺りに身を隠すような場所は見当たらないが、燃え残った樹木の幹、積もった落ち葉、自然の凹凸といったものはいくらでもある。彼らならどうとでもするだろう。


 白い靄は南からの風に乗っているらしく、さきほどよりはもう少し濃くなっただろうか。それに範囲も広がっている。

 しかし南からということは、東へと進む辺境伯の軍勢が何かしているのではないだろうし、その前に立つウナムたちの仕業でもないのだろう。


「パン職人でも居るのかにゃ」

「おや、ご名答です」


 パン?

 何のことだろうと視線を団長の居る方向に向けたボクの耳を、爆音が切り裂こうとした。

 慌てて戻した視界には、大きく立つ火柱が十本ほど。更にウナムともう一人の巨漢が投げた丸い物体が着地すると、また十本ほどの火柱が立った。


「あの大男が投げているのは?」

「あの男はノーベンと言います。投げているのは、火薬の詰まった陶器の入れ物ですよ」

「派手だにゃ」


 火柱だけで言えば、見た目に美しいと言えるかもしれない。団長は拍手で歓迎した。

 しかしそれは軍勢には届かず、かなり手前で起きている。警戒して一旦は足を止めているが、当然ながら何の被害も受けていない。

 しかもあといくつあるのか知らないけれど、爆発の規模を確かめさせているようなものだ。もし飛んで来たとしても、どれだけ離れれば被害を受けないか見当をつけられるようになってしまった。


「ここまでは事前の段取りです。行きますよ」


 巨漢の男、ノーベンがまた火薬の入れ物を投げた。今度は先頭の部隊にしっかり届きそうだ。しかしそれはたった一つ。既にこの辺りだろうと当たりをつけて、その付近は場所を空けられている。


 ――ドン。

 ドドドドドドドドド……。


 お腹に響く最初の爆発音に続いて、部隊を飲み込むだけの火炎が猛烈な速さで広がった。それはほとんど一瞬で消え失せたが、そのあとに立っている兵はほとんど居ない。


「うまく焼けたようです。人肉入りのパンなど、どなたもお気に召さないでしょうが」

「ええ――?」


 何やら不気味な意味の分からないヌラの解説を、これもまた笑顔は笑顔でも挑戦的な表情となった団長が補足してくれた。


「だから――あれはパンにゃ。パンの材料の、トリートの粉にゃ」

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