第157話:アビスの告白
「策とは?」
「それをここで話してもいいんだけどねえ。調整することもあるだろうさ。だからあたいの上司のところに来てもらえるかい? 怖いなら、こっちに呼んでもいいけどねえ」
ペルセブルさんはきっと「そんな話に乗れるものか」と考えているのだろう。
きっ、と睨みつけた表情がそう言っている。
しかし男爵は、すぐに返事をしない。「ううん」と声を上げて言外に、考えているからちょっと待てと時間を稼いでいた。
「あたしたちは構わないにゃ。あんたたちの上司に会ってもみたいにゃ」
「話が早いねえ。それでそっちの、アムさんはどうするんだい?」
「――そうだね。怖いのは否定しないけれど、彼女らが行くなら行くとしようか」
困ったことだねという表情の男爵に、ペルセブルさんは黙って頭を垂れた。そうと言わなくとも、それが命令ならと何も言わずに飲み込む姿に、感動すら覚える。
「まああんたたちは、そもそもあたいたちと組むってことになってたからねえ。あまり言うことを聞いてはくれなかったようだけど?」
「誰がそんな約束をしたみゃ」
自身の背中側から聞こえた声に、クアトは驚いた様子もなく「おや、お帰りかい」と首だけで振り返った。
「誰がって、そのあんただろうよ」
「ウチがかみゃ? ウチは何と言ったかみゃ」
「そっちの言い分は了解したみゃ。好きにするといいみゃ。だったかねえ」
小馬鹿にしたように――そもそもクアトはいつもそんな感じだけれど、トンちゃんの声真似をする。
しかしトンちゃんは全く意に介さない。どちらかというとそういうことをする人を、嫌うタイプだと思うのに。
「確かに言ったみゃ。そっちはそっちで好きにするといいって、そう言ったみゃ」
「ああ――そういうことかい。気紛れなキトンの言うことをまともに聞いた、あたいが馬鹿だったということだねえ」
クアトは額を思い切り平手で打って、あっはっはと大きく笑った。真意が読めないという点ではこの人もそうなのだけれど、今は本当に愉快そうだ。
「まあいいさ、ことはここに至ったことだしねえ。あたいは今、大好きな掃除がたくさんたくさん出来て、楽しくてたまらないんだよ。大抵のことは笑ってあげられるねえ」
実際に込み上げてくる笑いを堪えながら喋るので、何とかそう言ったのを聞きとった。
やれやれ、笑うか喋るかどちらかにしてくれればいいのにと考えたと同時。それはもちろん偶然に過ぎないけれど、クアトの笑いがぴたりと止まった。
「あんたはその外だ。今はお互い、やることがあるからねえ。全部終わったら、覚えておくんだよ」
「みゅ? また遊んでくれるみゅ?」
先に上司に報告をしておくと、クアトは洞窟を出て行った。
トンちゃんが団長に報告したところによれば、辺境伯の軍勢はゆったりと昼食を取っているらしく、それならばこちらも良いように態勢を整えようということになった。
それにセルクムさんも居なくなった。「こうなると俺に出来ることなんかないからな」と、あっさりしたものだった。
洞窟に居る全員が出発の準備を整えて、ペルセブルさんが言った。
「これより我らは死地に向かう。この中の何人かでも生きて帰れるなどと、それは甘い妄想だ。残念ながらここに思い人など居はしないだろうが、思うところがあれば吐き出しておけ。それだけでも違うものだ」
港湾隊の面々は、引き締まった表情でそれを聞いた。その次には、思い思いに話し合ったり、一杯の酒を酌み交わしたり、お互いに一発ずつ殴り合ってから握手したりと、最後の時を過ごそうとしていた。
それほどに時間はないだろうけれど、ボクも置かれている立場は同じなわけで、何かをしたり言ったりはしておいたほうがいいんだろうかと思った。
団長たちはと見ると、いつものように和気あいあいと和やかに過ごしていて、そういう重々しい雰囲気ではない。
ボクはどちらに加わるべきかなと考えて、最後にボクの腕を取って立っているフラウの顔に視線が行き着いた。
「どうしたの?」
「フラウ。みんなを真似るようで悪いけど、ボクも君に言っておいてもいいかな」
「これから死ぬとしてもってこと? ううん、その覚悟は悲しいけど、何を言ってくれるのかには興味があるわ」
ボクの腕を離すと、フラウは少しよろめいた。手を差し出そうとしたけれど、彼女は「大丈夫よ」と手を揃え、ボクの目を正面から見据えた。
ああ――何て綺麗なんだろう。服も体も薄汚れて、女性としてはきっと恥ずかしくて堪らない格好だろうに。
どうしてボクは、今までで一番に君を眩しいと思うんだろう。
「フラウ。君は酷い人だ。悲しい人だ。君は嘘吐きで、ボクはどれほど悩まされたか分からない。男爵だって、ワシツ夫人だって、ボクが知っている人だけでも、困らされた人はたくさん居る」
「そうね。その罵倒が言いたいことなんだったら、私は悲しみで死んでしまうかもしれないわね」
フラウの顔が苦笑で崩れる。それでもボクとフラウは向き合って、視線を外すことはない。
「ボクは君の部屋に行ったんだ」
「――そう」
フラウはそこで、ほんの数秒だけ瞼を閉じた。彼女の中の思いなのか、気持ちなのか、何かそういう複雑なものを咀嚼して、受け入れようとしているのが分かる。
「どう思った?」
「あの部屋の感想ということだったら、何とも答えられないよ。言葉で言い表せるほど、君のこれまでは分かり易くない」
「……そう思ったのね」
微笑んでいたフラウの口元が、きゅっと締まった。それがどういう感情を表すのか、今更考えたって意味がない。ボクは構わず、続きを言った。
「そう思ったというか、そう入ってきた――って感じかな。あの部屋を見て、今君を前に思っていること。なら、あるけどね」
「何かしら」
フラウの表情は一層、引き締まった。これよりあと、ボクは彼女の笑顔を見ることは出来ないんだろうか。そんな焦りが俄かに湧きあがる。
「それを言う前に、お願いがあるんだけど。ボクのために笑ってほしいと言ったら、君はどんな顔を見せてくれるんだろう」
突然に何を言い出すのかと思ったのかもしれない。フラウは怪訝そうにボクを見てから、鼻から息を小さく出して言った。
「笑えないわ。このままよ」
「そう……」
笑えない、と。
一見には冷たいその言葉が、ボクにとってどれだけ嬉しかっただろう。これまで見てきた彼女の笑顔のほとんどが、作り物だったと知って。今はそうしてくれと頼んでも、出来ないと断られた意味。
それはボクにとって、何よりの回答だった。
「ボクはね、ずっと考えてたんだ。君は何者だろうって」
「答えは出たはずだけど?」
「そうじゃないんだ。いや、そういうことなんだけど。でもそうじゃないんだ」
言葉にすると、何と言えば良いか分からない。伝えたいことは、はっきりしているのに。
「ええと?」
「君がこれまでどうしてきたのか、そんなことばかり考えていたんだけれど、そうじゃないと気付いたんだ。
ボクが知りたかったのは、ボクにとって君はどういう人なのかってことだったんだ」
「そう――それで?」
溜まってしまった唾をごくりと飲み込んで、息を大きく吸って、ボクは叫ぶように言った。
「君は酷く他人を惑わせる、困った人だ。君を理解することは、とても難しい。でもボクは、思ったんだ。
そんな嘘ばかりの君を、ボクは守ると決めたんだ」
周りはいつしか、しんとなって。ボクの息を切らした、はあはあという音だけが耳にうるさかった。
その中でフラウは、感情を忙しく顔に表していた。
しかめ面から、何やら渋い顔になって、目をぱちぱちと驚いた表情に変わった。それから両手が頬を挟んで、口がぱくぱくと声にならない声を発する。
最後にフラウは、わっと顔を両手に隠して、静かに泣き始めた。
隠れる直前に笑顔だったことは、見逃さなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます