第156話:フラウの告白
「知りたいかって、それは知りたいけれども。誰の紋があったのか、覚えているのかい?」
「いいえ? 家紋にはあまり興味がないので、どれがどなたの紋なのかはほとんど知りません」
「ではどうして、誰が居たのか分かると言うんだ?」
メルエム男爵とペルセブルさんが揃って首を傾げる中、コニーさんは自分の鞄から大きな薄紙を一枚と、手ごろな大きさの炭の欠片を渡してくれた。
「……これは。あの場で見た家紋を、全て描きだそうというのかい?」
「私たちよりも長く見てはいたのだろうが、それにしたところで――」
「まあ、見ていてください」
炭の先を地面で細く削って、なるべく繊細に描いていく。絵心にしてもその正確さにしても、カストラ砦でしたことと同じだ。
「それはユナン子爵家の紋だね」
「確かに――」
最初の紋は半分ほども描かないうちに、どこの物だか判明したらしい。
「全部描かなくても分かるんです?」
「うん、区別しづらい物もあるにはあるけれどね。大抵はそれだけ描いてもらえれば、判別がつくよ」
なるほど似たような図案が多くとも、特徴的な何カ所かが分かれば全てを見る必要はないのか。まあボクにはそれが分からないので、端から順に描いていくしかないのだけれど。
それからボクが描くものを、男爵とペルセブルさんだけでなく港湾隊の隊員たちも加えて、早く正解を言い当てるゲームのようになっていった。
そんな調子だから正解までの時間はどんどん早まっていったし、ボクが紋を描くのにも特徴が分かりさえすればいいので、とても短い時間でリストが作成されていった。
「……ああ。それはルキスル子爵家だね」
最後の一つを言い当てた男爵は、何だか暗い表情だった気がする。
まず声が沈んでいたと思ったので顔を見たのだけれど、その表情は一瞬でかき消えて普段の表情へと戻った。
「分かってはいたことですが、副団長には敵いませんな」
「職分の違いだよ。自慢にはならない」
そもそもが記録係か何かなのだろう。港湾隊の一人が画板で書き留めたリストを男爵に差し出した。
「よくもこれだけ覚えられたものですな」
「すごいね。六軍の参謀に欲しいくらいだ」
「あげないにゃ」
おやつを食べつつ頭を撫でられてご満悦のメイさんを優しく見守りながら、団長はきっぱり言った。
おやこれは意外とこういう時に、冗談でも「どうぞどうぞ」とは言わないんだな。本気でそう言われるとも思っていないけれど、こうまではっきり占有意識を表明されるのも照れてしまう。
「うちの内情を知るのに都合がいいとか言うにゃ? そんなの駄目にゃ」
「ははっ。お見通しだね」
なんだ、そういうことか……。
どんなことも、種が割れれば大したことなどないものだ。世の中に、期待してそれ以上のものなどそうそうありはしない。
「ご歓談のところ、申しわけないけどねえ。そろそろ実のところって奴を教えてくれないかねえ?」
「もちろんだ。君に教えたいわけではないが、これだけ揃えば出来ることは決まってくる」
毅然とクアトに言って、男爵はボクのほうに体を向けた。もちろん視線もまっすぐに。
いや。きっとその視線はボクにでなく、ボクの後ろに隠れているフラウに向いているのだろう。ボクの服をぎゅっと握っていた彼女の手が離れて、体の半分だけ姿を見せる。
その手が離れた瞬間は、また彼女の心がどこかへ行ってしまうのではないかと考えもした。
しかし、それはない。
またどこかへ行きそうになったら、連れ去られそうになったら、ボクが今度は離さない。
「エリアシアス男爵夫人、お答えいただきたい。先ほど名の上がった貴族たちは……全てあなたが篭絡した者たちだ。違うだろうか」
篭絡と発する前に、一瞬以上の間が空いた。
フラウの友人として、好く者として、認めたくない事実であると痛いほど分かった。
その言葉は、同時にボクの胸をも少なからず切り裂いた。
「いいえ、違いません」
「彼らは皆、知られれば自身の進退に関わる秘密をあなたに握られた。違うだろうか」
「いいえ、違いません」
ため息のような、深呼吸のような、深い息が男爵の口と鼻から漏れた。それがはっきり聞こえるほど、誰も何も音を発しなかった。
「それは……どのような?」
「――申しわけありません。私は物覚えが悪くて、どなたにどんなことをしたのか覚えていないのです。いえ。どなたにというほうは、名を出していただいたのでそれは間違いないですけれど」
ペルセブルさんに問われた答えは――嘘だ。
覚えていないというのはそうなのだろうけれど、物覚えが悪いからではない。フラウはそんなことに興味がないのだ。
今のボクには分かる。彼女は自身の悪意に頓着がない。
誰に何をしたところで、すっきりしたとか、酷いことをしてしまったとか、感想がなければ覚えているはずもない。
「どうも、こうなるのではないかと思っていたけれど……これはまずいね」
「ふむ――副団長、察しが悪く面目ないですが、それは一体」
良くない事態というのは分かるけれど、ボクもそれ以上のことは察せていない。団長はその辺りをどう見ているのか、メイさんに出発の準備をさせているのでこれも分からなかった。
「首都に集まった貴族たちの軍勢と、辺境伯の軍勢とをどうあっても戦わせるわけにはいかなくなった、ということだよ。近くにさえ居れば、どういう状況でもこの手は生きてくる」
「それは……そんな単純かつ重要なことに気付けぬとは。私は港湾隊隊長の任を、降りるべきかもしれませんな」
自嘲気味に笑う二人とは対照的に、朗らかな声がかけられた。
「じゃあ、あんたたちも全面攻勢ってことでいいのかねえ? それなら乗ってほしい策があるんだけど、どうだろうねえ」
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