第155話:首都を思う
「何者だ」
短剣の柄に手をかけて、ペルセブルさんは静かに聞いた。低く、抑揚はなく、強い圧を感じる声だった。
「おや。そういえば、ノックをしていなかったねえ。今からでも間に合うかねえ」
クアトは近くの壁に折り曲げた指先を当てる素振りをして、自分の舌でコンコンとノックのような音を立てた。
明らかにペルセブルさんを茶化している。
「ふざけるな。何者かと聞いたのだ」
「おいおい、そう急くものじゃないよ。まあ別に、勿体をつける気もないんだけどねえ」
勿体をつける気はないと勿体をつけるクアトに、ペルセブルさんは短剣を抜きかけた。
それをいつの間に近寄ったものか、後ろからペルセブルさんを抱きしめるように、オクティアさんが止める。
「おやおや、その子のいい人かい? それじゃあ挨拶しておかないとねえ。あたいは見ての通りの、ハウスメイドさあ」
「仲間か」
「そうですよう」
オクティアさんが柄を押さえる手には、ほとんど力が入っていないように見える。それで止められているのだから、ペルセブルさんもまだ本気で抜く気はないのだろう。
仕掛けを見破られた奇術師のような境遇のペルセブルさんは、さも気にいらないという視線をクアトに向けて、柄から手を放した。
「何の用かな? 私の立場では本来、君たちと仲良くするわけにもいかないんだが」
「そうだねえ、本来はそうだろうさ。でもじゃああんた、何してたんだい?」
「えへへえ。ちょっと副収入をもらおうとしてたんですよう」
言葉の選択肢が狭まってしまったペルセブルさんに代わって、メルエム男爵が問うことになった。
しかしその答えは、少しばかり思わぬ方向へと逸れていた。
「副収入?」
「そうですよう。オクティアさんはとても疲れてしまったので、見返りくらいあってもいいんじゃないでしょうかあ」
「──だそうだよ?」
クアトが現れるまで、オクティアさんにそんなつもりはなかっただろう。せいぜいが食べ物とか飲み物とか、そんな物を一つ渡せばそれで良かったはずだ。
「周到なことですね──」
「お褒めいただきましてえ」
オクティアさんにしてもクアトにしても、適当であったり怠惰な風をしている。たぶん事実としても、少なからずそうなのだろう。
でも何やら知れない目的のためにこんな危険な場所を平気でうろついて、ボクたちのようなイレギュラーも利用する。
状況が変われば、極めて柔軟に応じる。
呆れるような、恐れ入るような、きっとその真ん中の気持ちは、男爵も同じなのだろう。複雑な表情を浮かべて、クアトを洞窟の奥に招き入れた。
「一つ断っておこう。私の名はアムで、そっちはニッグ。他の者は、私の友人や知人だ」
「ああ、そうかい。理解したよ」
「うみゅ? さっきはだんしゃ──もぎゅもぎゅ」
状況を読むなんて全くしないメイさんの口には、とっておきの砂糖干しの果物を突っ込んだ。
そのままおいしそうに頬張る姿を、この場に居るほとんどの人がほっこり眺めた。
「……さて。首都の状況だが」
自分で言おうとする男爵を制して、ペルセブルさんが話し始めた。
まず首都にあるまとまった兵力は、近衛騎士隊と騎士隊。正規兵である第五軍があるだけだという。
それも騎士隊は、ラシャ帝国に抗するために東へ。第五軍はガルイア王国への警戒と威嚇のために西へ。それぞれ半数以上を割いているらしい。
「その他に強いて言えば警備隊が居るが、動かせるのは二千かそこらだろう」
「近くの貴族の、私有兵力もあるにゃ?」
「もちろんあるが……最低限の守りをそれぞれに残さねばならないからな。全て合わせても、一万を少し超えるくらいだろう」
騎士隊も含めた正規兵が、一万くらい。貴族の私有兵力が一万ちょっと。合計すれば二万を超えるなら、不利ではあっても戦えない数じゃない。それに今はまた身を隠してしまった、ワシツ将軍の隊も居る。
「六軍からも二千か三千が出るとすれば、二万五千以上の兵力にはなるな」
「残念ながら六軍は、軍団長と副軍団長が不在にしているけれどね」
真面目な顔で言う男爵の顔を、ペルセブルさんは横目で見てからため息を吐いた。
「それが全部、動かせるのかにゃ?」
「問題はそこだ。六軍はともかく、他の部隊を全て動かすとなれば、首都が空になる。警備隊が残っていても、打って出る兵力がなくなるからな」
「でももう目の前に来ているとなれば、そんなことを言っている場合ではないんじゃないです?」
ずっと気になっていたことを聞いてみた。首都からではまだ燃やされた森の煙は見えなかったかもしれないが、煙にしろ軍勢の位置にしろ、そういうものを偵察に来る役割があるものではないのだろうか。
「目の前に来ていると知れればな。恐らくまだ首都は、辺境伯の軍勢はサマム領に居ると考えている」
「ええ!? そういうことを見に行ったり、知らせたりする人は居ないんです?」
「そりゃあ居るが……」
「来ていただろう?」
困ったなという感じで、ペルセブルさんは頭を掻いた。ボクの質問にではなく、たぶん頭の中に何かそういう情景があるんだろう。
それが何かを察せないボクに、男爵はヒントをくれた。けれども分からない。そんな人に会っただろうか。
「こそこそと隠密していたりはしないよ。堂々と数千人が、列を成していたじゃないか」
「え、ああ――あの人たちですか」
確かに居た。近郊の子爵ばかりを集めた連合部隊。それはもちろん僅かな人数を偵察に出して帰ってくるだろうかと心配するよりも、数千人から元気な人を安全に帰すほうがいいに決まっている。
その数千人が、ごっそり裏切るなんて予想をするはずもない。
「二十人からの子爵が全員一度になど……あの場に誰が居たのかが分かれば、また考えられることもあるのだがな」
「へえ――二十人も居たんですね。誰が居たのか、知りたいんです?」
そんなことならと、ボクは気軽に申し出た。
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