第149話:侵略する炎
その洞窟は、ボクたちが潜んでいた場所から東にある。カテワルトに戻る方向だ。つまりフルーメン領方向である西に陣取っている、辺境伯の軍勢が来るのとは反対になる。
だから往路は何ごともなく、あの妙な岩の凹凸から穴に入って、山賊たちがフラウから奪った小袋を見つけることが出来た。
「それだろ?」
「分かりませんけど――たぶん」
その小袋はフラウから存在を聞いていただけで、ボクは見ていない。
でも中を見ると、手の平にいくつも載せられるほどの小さな袋に小分けされた粉末や、丁寧に茎を取り除いた葉なんかがたくさん入っていた。
こんな物を山賊がどう使うということもないだろうから、きっとこれだ。
くんと臭いを嗅いでみたけれど、薬草類の強い臭いと、洞窟の中の少し湿った空気に染められていて、フラウの痕跡は感じられなかった。
「臭いって、随分と。ああ――熱狂的だな」
「やめてください。勘違いです。ボクは鼻もそれなりにいいんです」
偏執的な感情を持っていると、勘違いされた……。
まあ確かにフラウはすごくいい匂いがして、ずっと嗅いでいたいと思わせるようなところもあるけれど。
……少なくとも今は違う。
取っ手が付いて、黒い羽毛で飾られて、いかにも女性の持ち物という雰囲気のある小袋。見ていると徐々にそれがフラウ自身のように思えてきて、ぎゅっと抱きしめたくなった。
またセルクムさんに何か言われるだろうから、やらないが。
「アビたん。頬ずりするのはあとにして、今は戻るにゃ」
「しませんよ――」
やらなくても言われるのか。
洞窟に入って、セルクムさんが「この辺りのはずだが」と探していたのは大した時間ではなかった。
しかしいざ洞窟を出ると、元来た方向が赤く染まっていた。
「こりゃあ……戻るのか?」
セルクムさんが怖気づいているとかではない。
カプンの白い乳と泥とを混ぜてかき回したような、ねばつくように動く煙。その下には暗い闇を抱えたような赤い炎が、獲物を得た喜びに踊り狂う。
透き通った青色の広がるはずの空を、そんなものが食い荒らしている。
その位置は、この森の西側。ここからだと、まだまだ遠い辺りではある。
けれどもあれだけ育った炎が、足を止める理由は見当たらない。それこそ突然に嵐でも来ない限り、止まることはないだろう。
その速度だってまだまだ加速していくことを考えれば、そう考えるのが当然だ。戻るのかと確認するのが正常なのであって、好きこのんで近付くほうがおかしいのだ。
しかしボクには、その選択肢はない。
「当然です」
「だそうにゃ」
「へいへい」
炎による侵略はどこまでかと、案じながら戻った。
進むに連れて段々と香ばしい臭いが増し、次には煙たいと感じるようになっていった。
この森にそれほど大きな動物は居ないと聞いていたが、ススとかウルスとか大型の野獣を筆頭に、たくさんの動物たちとすれ違った。
気の立った彼らを刺激しないためにも、また木の上に登る。
やがて風に乗って、熱気さえも感じるようになった。
「いよいよ、やばいんじゃないかねえ」
「やばいですね。でも戻らないと」
そう言い切ってから、ふと気付いた。
「セルクムさん、あなたは無理に戻る必要はないですよ。カテワルトに行ってもらっても──」
「ああ? ここまで来させておいて、それを言うか?」
途中でボクの言葉を遮って、セルクムさんが苛とした気持ちを露わにする。どうやらボクは、随分と無粋なことを言ったらしい。
反射的に「すみません」と謝りはしたものの、どうも違和感を拭えなかった。
やがて元の洞窟が近くなると、酷い有り様だった。
それは見た目に、死屍累々ということもあった。
草木と土の焼ける臭いと、おびただしい死体が発する血と死肉の臭い。そしてそれが焼ける臭いもある。
逃げ遅れたらしい人と野獣の、生きながら焼かれる悲鳴の狂騒。焼かれた木々たちの、静かな悲鳴。
目に、鼻に、耳に、絶望的な死がこの先を被っていると感じ取った。
勝手に動きを止めたがる自分の脚を、睨みつけて、拳を叩いて叱咤する。
ボクはフラウを助けるんだと、必死に痩せ我慢をした。
しかしそれでも、とうとう足を止めることになった。
やりたくないことや会いたくない相手には、出会ってしまうのが世の常というものだ。
「おやおやあ? こんなところで会うとは、奇遇だねえ」
辺りを包む負の空気を、歓喜しているかのような顔。
その手で何人を殺めたのか、顔や腕を返り血に染めたクアトがそこに居た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます