第143話:体と心
どれくらいそこに居ただろう。
たぶんボクの気持ちが急いていただけで、そう大した時間ではなかったに違いない。
あ、いや――でも、どこでもすぐに眠ってしまう、メイさんや団長だけでなく、メルエム男爵たちまで仮眠に就いているところを見ると、そうでもないのか。
ともかく。
ボクたちの頭上を爆音が襲った。
とても大きな音という意味でももちろんあるが、文字通りの爆発音だった。しかもそれは、お互いに響き合って数えることが出来なかったけれど、少なくとも三つや四つではなかっただろう。
「みゅう……ケーキが破裂したみゅ」
男爵とペルセブルさん、港湾隊の隊員たちは跳ね起き、メイさんも寝ぼけながら目を覚ました。
団長は音がする前から起きていたとでもいうのか、既に入り口のほうに移動している。
爆発。火薬となると、思い浮かぶ面々が居る。
ここで奴らが出て来るとは、どれだけ面倒が重なれば良いのかと悪態も吐きたくなる。
が、周りのことは構わずに、フラウの容態を観察し続けてくれているコニーさんを前にしては、そんなことも出来なかった。
「くう――だめだねえ。さっきまでみたいに、痛みも無視して暴れるのだけは治まったけどお」
「そうですか……でも、それだけでも良かったです。ありがとうございます」
コニーさんは団員の中でも医療系に詳しい。ただどちらかというと、薬に詳しいということになるらしい。その方面に疎いボクには、どう違うのかよく分からないけれども。
そのコニーさんがそう言うのだから、今出来る最善は尽くしてくれたのだろう。
痛みも無視していたのだったら、自分で自分の体を痛め続けていたようなものなので、それがなくなっただけでもいいというのは本当のことだ。
「何て言うかねえ。薬にも色々種類があるんだけどお。大雑把に分けると、二つあるんだよお」
「二つ、ですか」
コニーさんは自分の腕を、反対の手の指でつまみ上げて見せる。やりたいことは分かるが、彼に脂肪はほとんどないので、あまり分かりやすくはない。
「一つはこのお肉。自分の肉体ってことだけどお。傷を治したり、腫れたのを鎮めたりする薬だねえ。その反対に傷つけるのを、毒とも言うけどねえ」
「はあ……」
分かる。
分かるが、それ以外の薬って何だ?
薬っていうのは、病気や傷を治すために使うものだ。その病気や傷は、肉体に異常が起きたものだ。それをどうにかする以外というのに、見当がつかない。
「ここだよお」
コニーさんの人差し指が、ボクの胸を軽く突いた。
そこは心臓。でも肉体の話でないとすると――。
「心をどうにかするための薬ってのもあってねえ。これを使われると、自分の気持ちが勝手に操作されちゃうんだよお。酔いたくなくても、お酒を飲むと酔っぱらうのと同じだねえ」
ああ、そういうことか。
そんな物が本当にあるのか知らないが、あればいいのにと冗談で話されることが多い代物。
惚れ薬。
フラウの様子は誰かに惚れているというのとは違うけれど、心に効くとはきっとそういうことだろう。
ボクが理解を進めているのとは関係なく、コニーさんは申しわけなさそうに言う。
「そっちはおいらの専門外なんだよお……」
「いえ――仕方ありません」
そう。仕方ない。誰でも何でもは出来ないのだから。
そう考えてそう答えながら、ボクはまた別のことを考えていた。
正直を言って――思いついてしまうと、今ボクがその薬を使いたかった。
フラウがどんな気持ちを植え付けられていたとしても、市井で無責任に存在を願われるような惚れ薬があれば、解決するのに。
ボクに惚れてもらって、それ以外の気持ちを全て決してしまえればいいのに。
…………。
……。
ボクは馬鹿か?
アビス。お前は馬鹿なのか?
お前はあそこで何を見たんだ。フラウの部屋と称された、あの部屋で。
お前は自分と同じものを見たんじゃないのか。
お前とはまた違った、自分をどこにも置いておけない過去を知ったんじゃないのか。
同類として傷を舐めあえるお前が、他の誰かと同じになってどうする。
フラウを押さえていた手を離し、拳で自分の頬を思い切り殴った。
痛いけれど、それほど痛くない。セルクムさんやウナムなんかに傷つけられたことを思えば、全くどうということもない。
ボクにはこれという力はない。腕力はもちろん、何につけても団員のみんなに勝るような特技はほとんどない。
だから考えろ。
得意なことの一つは覚えることだ。覚えて、吐き出すことが出来るなら、考えることだって出来るだろう。
――急に自分を殴りつけたボクに、コニーさんは驚いた表情を浮かべていた。
でもボクが何やら悩んでいるのを、察してくれたらしい。特に何も言わず、汗をかいたフラウの顔を拭いたりしてくれている。
「お酒も薬、ですか」
「ええ? うん、そうだよお。薬なんて言葉も人が勝手に分けてるだけで、例えばただの水だって薬と言えなくもないからねえ」
突然の訳の分からない質問に、コニーさんは丁寧に答えてくれた。
ふと思いついたのだ。コニーさんが言った、お酒の例えから。もしかするとそうじゃないかと。
「同じお酒だって、雰囲気がいいところで飲めば気持ち良くなるし、そうでなければ悪酔いしますよね」
「ああ、そういうことお。それはそうだよお。程度の差はあるけど、どんな薬だって同じだねえ」
やはり。
荒療治になるかもしれないが、それならばどうにか出来るかもしれない。光明を感じたボクに、コニーさんは「ただし」と付け加えた。
「お姫さまのこれは、二日酔いじゃなくて中毒になってるみたいだからねえ。酔いを醒ますだけじゃなくて、それもどうにかしないと駄目だろうねえ」
「中毒、ですか? すみません。具体的には――」
「たぶん、薬が残ってるんだよお。ちょっと前までは普通だったんでしょお? だったら最近になって、また薬を使われたんだろうねえ」
だから元々抱えていた症状が、酷く表に出ているのだろう。コニーさんの説明はとても分かりやすかった。
とても分かりやすく、すぐにはどうしようもないことが理解出来た。
「薬を中和するか、効果が切れるまで待つかだねえ。この感じからすると、お姫さまの体力が持つかどうか怪しいけどお」
また目の前に暗雲が立ち込める思いだった。
言葉を失ったボクの肩を、じっと見守ってくれていた男爵が優しく撫でてくれる。
ここまで、呼吸を忘れるくらいの勢いで考え続けていたから、それでひと息吐くと息が切れた。
男爵はまたボクの背中を優しくさすってくれて、そんなボクたちのところへ、外の様子を見に行っていた団長が戻ってくる。
その顔は不思議そうで、盛んに首を捻っていた。
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