第141話:フラウを呼ぶ声

「メイさん! 今までどこに――」

「みゅうう。お腹減ったみゅう」


 おかしい。追手の背中を見送ったメイさんは、肩で息をしている。あのメイさんがこのくらいで息を上げるとは、考えられないことだった。

 お腹が減ったというのも嘘ではないだろうけれど、まだ体調が完全ではないのだろうか。


 へたり込んでしまったメイさんに、団長が色々と食べ物を渡した。でもそれを食べる勢いには、以前のメイさんの面影もない。


 そういえば、服や体も薄汚れてる。行方不明になってから、ずっと彷徨ってたのかな――。


「メイ、怪我は治ったにゃ?」

「もぐ――全部治っもぐ! もぐもぐ、腕が痛いだけもぐ!」

「――治ってはいないみたいにゃ」


 無理もない。あれから日数が経ったとはいえ、メイさんのダメージは素人目にも相当だった。

 逆にあれが完治しているとなったら、いよいよメイさんは人外の何かになってしまう。


「大丈夫みゅ。だんちょおが居れば、メイは何だって出来るみゅ」

「うんうん、可愛い奴にゃ」


 そう言いながらも、団長は横に首を振る。

 さっきの様子を見れば咄嗟の対応くらいは出来そうだが、ボクたちがここに来るまでのように、あれこれと継続して行動することは難しいだろう。


 食べる速度はかなり遅いけれど、食欲はあるようなので食べ物を渡しておこう。


「メイさん、これもどうぞ」

「お弁当みゅ! ありがとみゅ!」


 携帯食を小袋に入れておいたのを、そのまま投げて渡した。いつもならお弁当と言いながらすぐに食べてしまって「おいおい」となるのに、今日はそれを本当にお弁当にするらしい。


「でも本当に、メイさんはどうしてこんなところに……」

「それを知ってる人が居るみたいにゃ」


 そう言うと団長は、足元の手頃な石を拾い上げた。それを手の上でぽんぽんと弄んだかと思うと、次の瞬間にはおおよそ頭上に投げつけられた。

 投げる動作など、目にも止まらなかった。気が付いた時には、枝が何本もまとめて落ちてきたくらいの勢いだった。


「次は当てるにゃ」

「誰が――」


 落ちてきた枝は、ボクの腕よりもまだ太かった。そんな枝をまとめて折ってしまうような礫を受けたら、ただではすまない。

 頭上の誰かもそう思ったのだろう。慌てて「待ってくれよ」と声がした。


 この声は――。


 僅かに草を踏む音をさせて、少し離れた場所に人影が降りてきた。

 声にも聞き覚えがあったが、顔を見れば間違いない。あの山賊たちの仲間のセルクムさんだ。


 この人も行方が分からないみたいなことを聞いていたけど、どうしたんだろう。


「久しいじゃないか、どうにも取り込み中みたいだが」

「お前がメイを匿ってくれてたのかにゃ?」

「まあそうだ。安全なところに寝かせて、食べ物を与えていただけだけどね」


 何と。ボクの勝手なイメージでは、この人が絶対にやらないようなことをしてくれていたらしい。団長はどう思っているのか、メイさんについて感謝すると言っている。


「それでお前は何してるにゃ?」

「見ての通り。そのお嬢さんがあんたの匂いを嗅ぎつけて、隠れ家から飛び出したのを追ってきたのさ」

「そういうことじゃないにゃ。お前、行方をくらましてたにゃ? それに、今の状況にも詳しいみたいにゃ」


 突然現れた男に、メルエム男爵やペルセブルさんは警戒の色を見せていた。しかし団長もセルクムさんも、はっきりとしたことを言わないので何とも判断がつかないらしい。


「……俺が得意なのは、見ることだけでね」

「何を見てたのか、教えてくれるかにゃ?」


 何を勿体ぶっているのか、言えないことがあるのか、セルクムさんは団長をじっと見据える。

 それを団長はいつものように、にこやかに見つめ返す。

 知らない人ならセルクムさんに分があると見るだろう、にらめっこはすぐに終わった。


「はっ──やっぱりあんたたちには、逆立ちしても敵わないようだね」

「褒めてくれたのかにゃ? ありがとにゃ」


 お互いに意味の全く違う笑みを交わして、セルクムさんは懐から薄紙の束を取り出した。

 覗きこんだ団長は、それをそのまま男爵たちにも見せる。


「これは──信用出来るのかい?」

「あたしにも分からないにゃ。でも調べなおす時間もないにゃ?」

「これが罠なら、我々は全滅ですな」


 罠なら全滅。ということは、そうでないなら利用したい情報ということだ。

 しかしセルクムさんは「勝手にどうぞ」といった態度をしていて、ますます信用度を引き下げている。


 一体何が書いてあるのかボクも見ておくべきかと思って、オセロトルを降りようとした。

 そこに何者か、太く張りのある男の声が森を突き通した。


「フラウ! 俺のところに戻れ! フラウ! お前の役目はまだ終わってない!」


 いつの間にか明るくなっていた森を、一瞬の静寂が包んだ。

 次に音を発したのは、フラウだった。抱えるボクの腕の中で、でたらめに手足を動かして暴れる。


「あ、ああ──ああっ! うぐ、ぎ、ぎいっ!」


 正気を失った獣のように手足を必死に掻いて、どこかへ行こうとしているようだった。


 その原因はどう考えたって、さっきの声だろう。

 何が起きたのか、どうしてそうなるのか。フラウは大丈夫なのか心配するのと同時に、どうしてその声には反応するのか、そのやるせなさが高まった。


「フラウ! 起きて! しっかりして!」


 分かる。ボクの声は、フラウに届いていない。

 フラウの手が、邪魔者であるボクを排除しようとする。ボクの顔や腕には、ひっかき傷がたくさんできた。


 そんな物は全然痛くない。ボクの声を聞いてもらえないことが、届いていないことが、堪らなく苦しくて――痛い。


 森の彼方から、辺境伯の軍勢が気勢を上げる声が聞こえた。


「手をこまねいている時間はなさそうだね……」


 男爵の言葉を否定する人は居なかった。

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