第140話:帰還

「散開! 兵隊単位だ!」


 百人隊長の声が響き、それが周囲の隊から遠くの隊へと伝わっていく。混乱にあっても見事なものだが、散り散りにさせられたという事実は変わらない。


 トンちゃんの警告があってから、ボクたちは速度をかなり上げた。しかしキトルでなければオセロトルに乗っているのでもなく、エコに乗った港湾隊には限界がある。

 野生ならばまだしも、人に訓練されたエコでは暗い森の中を自由に駆け巡ることは難しい。


「奴ら、いかれてしまったとしか思えませんな!」


 追手の足も、エコであることには変わりない。しかし人かエコか或いは両方か、相当の訓練を積んでいるのだろう。木に激突する数は、それほどないらしい。


「荒波にもまれても平然としている私たちを見れば、奴らも同じことを言うだろうよ!」

「はっ! それは確かに!」


 威嚇に過ぎないものの、矢が飛んでくる中でよく軽口を叩けるものだと思う。

 男爵を除けば港湾隊で最も上位に居るペルセブルさんは、直接に指揮する部下を持っていない。だからこそ、メルエム男爵の傍を離れる気はないようだ。


 トンちゃんは相変わらず頭上を行ったり来たりして、ミリア隊長は自分の部下と一緒に離れてしまった。だからボクの周りには、その他に団長しか居ない。もちろんフラウは、ボクが抱きかかえているけれども。


「がっ!」


 すぐ後ろのほうで、大きな呻き声と崩れ落ちるような音がした。

 振り返ると、乗り手を失ったエコが二頭。見ている間に、また一人が射抜かれた。


「もう、すぐそこですよ!」


 誰もが分かっているとは思っても、そう叫ぶしかなかった。木立がまばらな場所になると、追手の表情さえ見えるほどに近付いていた。


 オセロトルのたてがみを握る手に、力が入ってしまう。

 誰もかれもを置き去りにして、フラウと二人で逃げ去りたかった。この深い森でこの闇ならば、オセロトルになら可能だ。


 でもそんなことが許されるはずもない。港湾隊がボクたちの盾のようになっているのは、単に位置関係もそれはあるけれども、男爵を守るためだ。

 ではその男爵は何のために居るかと言えば、フラウを守るためだ。


 そんな人たちの想いを置き去りにすることが最善ならば、そうもしよう。

 でもここから逃げ去ると言って、どこに向かう当てもない。一人で突き進んでいるうちに、また追われてしまえばどうしようもなくなってしまう。


 ああ――ボクは本当に、何も出来ないんだな。


 全てを踏みつけにしたところで、それを生かすことも出来ないなんて。甲斐性なしにもほどがある。


 周りが聞けば物騒であり情けないなと思えるような、救いのない自己嫌悪に陥っていると、ボクは行く手にあり得ないものを見た。


「あれは……!?」


 それは幻。

 良くてボクの勘違いだと思った。どうしてこんなところに彼女が居るのか。説明も何もつかなかった。

 でもそれは、少なくとも枯れ木なんかを見間違えたわけではなかったらしい。


「メルりん! ニーちゃん! 適当なところでみんなを反転させるにゃ! 援軍にゃ!」

「援軍!? どこに!」

「構わん! 彼女の指示に従え!」


 ボクと同い年で、短いシャツに短いパンツ、足元には短いブーツ。

 もふもふと柔らかそうな手を勇ましく掲げた少女が、ボクたちとすれ違いに追手に飛びかかる。


「メイの家族に、何するみゅううううう!」

「メイさん!?」


 メイさんは団長やシャムさんと比べて、優れた戦闘技術があるわけじゃない。脚は速いけれど、トンちゃんには及ばない。嗅覚はものすごいけれど、団員で一番は他に居る。


 彼女が得意として誰にも真似出来ないのは、馬鹿力だ。


「なっ! どういうことだ!」

「撤退! 撤退だ!」


 突然の反撃。それも予想外が過ぎる事態に、追手は喚き散らす。


 束になって、ボクたちの後ろに押し寄せていた数十騎。それがまとめて押し返された。

 前に進もうとするエコの力などものともせず、ただ真っ向から押し返した。

 考えたくはないが、文字通り団子状に転がされた中は……。



 ペルセブルさんが、集合の笛を吹く。

 まだそれほど離れていなかった港湾隊は、本当にいいのかと戸惑いながらも集まってくる。

 もちろんその後ろには、追手が漏れなくついてくる。


「こんなにいっぱい、メイと遊んでくれるのかみゅう!」


 その全てを正面から受け止めるメイさん。異常な事態に足を止めたところを、影から次々に仕留めていく団長。

 これを繰り返すことで、追手の第一陣は逃げ帰っていった。

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