第131話:囲みを抜けて

 台車に乗ってフラウを抱きかかえようとしたメルエム男爵は、包囲に気付いて台車から飛び降りた。


「アビスくん。どうやらここは、君が姫君を連れ出す場面のようだ」

「連れ――どうやってです!?」

「道は作る。早く!」


 鉄を易々と切り裂いた、サバンナさん。見た目にいかにも凶暴そうな魔獣の、オセロトルが二頭。

 包囲を縮める速度は、極めて遅い。しかし時間が経つほどに、その列は厚くなる。


「――分かりました」


 ボクはオセロトルに乗ったまま、抱き合うような格好にフラウを座らせてもらった。

 フラウの意識は朦朧としていて、そうまでされても視線は宙に放られたままだ。


「フラウ。絶対に連れて逃げるから」


 ボクの態勢が整ったと同時に、頭上から雷鳴もかくやという怒号が響き渡る。


「さあ、私の特技を見てもらおうか。騎士の突撃チャージとは、こうやるものだ!」


 余計な間など一瞬もなく、男爵は盾に全身を隠して包囲の列へと突き進んだ。

 長身ではあっても決して体格が良いとは言えないその体で、それは意味があるものかと頭をよぎる。


 しかし現実には、そんな心配など滑稽が過ぎると言えるほどの光景を、ボクは見た。


「でえええい!」


 その気合一つで、空気を裂くかと思う鋭さがあった。

 しかし男爵が助走をした分、二重にも三重にも包囲をしていた兵士たちは、激突に備えて態勢を作る余裕がある。


 盾を持たない兵士たちは十分に腰を落として、数人がかりで男爵を受け止めようと待ち構える。


 無理だ……!


 ――激突の瞬間、閃光が走ったかとさえ思えた。

 男爵の盾が触れた数人は、それが巨石でもあったかのごとく、体を後ろへと弾かれる。


 更に後ろでその兵士を支えようとしていた別の兵士さえ同じく弾かれて、合わせて十人前後もの兵士がひと息で吹き飛ばされた。


 信じられない出来事ではあった。でもこの期を、ぼけっと見逃すわけにはいかない。


「はっ!」


 それほど長くもないオセロトルのたてがみを握ると、大の男数人分ほどもある太さの脚を蹴って駆け始める。


 再び囲みを閉じようと覆い被さってくる数人が、オセロトルの体躯のいずれかにかすめられて弾かれた。


 目前の邪魔者が居なくなって、オセロトルは四肢に一層の力を込めて大地を蹴る。その反動で仰け反りそうになりながらも、ボクは必死にフラウを抱えて毛むくじゃらの背に身を伏せた。


 ここ数日は、ほとんど痛みを意識しなくなっていた脇腹が疼く。

 オセロトルが地面を蹴る度に、腹の内臓を殴りつけられるような感覚がボクの吐き気を誘う。


 このオセロトルは頭がいい。間違いなくこれは、彼女の出せる最高速度だろう。

 後ろで高らかに上げられたサバンナさんの声も、あっという間に混乱の向こうへと置き去りになった。


 このまま頼むよ、安全なところまで。


 オセロトルに直接言いたかったが、口を開けば舌を噛む。だから念じるだけにしておいた。


 後ろへ流れていく景色の中に、遠く団長たちを追う港湾隊の姿が見えた。

 本隊の辺りを騒がせていたはずが、もうこちらに向かって進行方向を変えていた。あとから現れた集団も居るようだ。


 あちらは大丈夫らしい。団長たちがボクを追って逃走すれば、港湾隊の面々もついていくだろう。行きがけの駄賃として、態勢を立て直した辺境伯の兵士たちに危害を加えられては寝覚めが悪い。


 あとは――男爵とサバンナさん。それに、もう一頭のオセロトルだ。

 さすがに団長たちも、今の状況を把握してはいないだろう。知っていたとしても、港湾隊を引き連れて移動し続けるのは危険が大きい。


 どうにもならないのか……。


 こうすればいいという可能性が、何一つ思いつかなかった。忙しく頭を働かせて、僅かな間に何度も考えた。

 でも、どう考えても無理だった。二人と一頭は、到底無事では済まない。


 いつも完璧な計画を立てて実行する団長でも、今回ばかりは読み切れなかったのか……そう思った。


 もうすぐ兵士の群れの中を抜けるというころ、進む方向にある小高い丘から向かって来るものがあった。

 一つや二つではなく、もっとたくさんの影がやってくる。


 まさかここに来てウナムやらクアトやら、あの面倒な連中か?


 その懸念は数秒のうちに消え失せて、大きな期待へと変わった。


「あの二人は任せな」


 サマム伯の城へフラウに会いに行った時、同行してくれた団員の面々。何やら用事だと居残った人たちが、そこに姿を見せて走り去った。

 その頼もしい背中を横目に見送って、ボクは街道を走る。遠くに見える森に向かって。

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