第132話:執事のお仕事ー8

「先方は間もなくサマム領を抜け、直轄領に入ります。その直後、王国側の軍勢おおよそ一万二千と対峙するでしょう。例のキトルたちも居ますが、これは放置しております」


 クィラによってもたらされた数時間前の情報を、セクサが読み上げる。それを執事は別の書き物をしながら聞いた。


 今日の仕事を明日でも良いからと回してしまうのを、執事は好まない。だからといってこんな不作法を誰にでもはしないが、セクサは理解してくれている。


「分かりました。これはあなたの手配でしたね。いいタイミングです」

「ありがとうございます」


 セクサは感情の表現が薄い。私用以外であれば、また演技しているのを除けば、ないと言い切っても良いかもしれない。


 ただ例外は、執事が彼女を褒めた時だ。


 いつも通り、礼儀正しく頭を下げるのは変わらないが、僅かに口角が上がる。頭を下げるので、それが見えるのはほんの一瞬ではあるが執事は気付いていた。


 褒められて素直に喜ぶのだから、そういうことろは彼女も世間並のお嬢さんということですね。可愛らしいものです。


 使用人の中で、侍女であるセクサより格上なのは執事だけだ。だから執事も、セクサが上位の人間から褒められる様子を客観的に見たことはない。


 それは良いとして――。


「いよいよ最後の任務です。準備は整っていますか?」

「はい。何人か遅れていましたが、尻を蹴り上げておきましたので問題ありません」

「結構です。では――十分ほどでこれを書き上げたら私も行きますので、先に出発させてください。全てを叩き潰して、くれぐれも討ちもらすことのないようにと言っておいていただけますか?」


 また決まった速度、決まった角度でセクサは頭を下げる。それからしずしずと指示を実行するためにその場を去った。


 最後の任務。いや執事が引退するとかいう話ではなく、ここ最近を忙しくさせていた件がそれで終わる。


 最初からで言えば下級貴族やら商人やらを利用し、フラウのような駒も使って準備を始めたのは数年前になる。

 やるべきことに貴賤や軽重を定めるのは好きでないが、やはりそれだけの時間があれば、達成に対して感慨のようなものは生まれる。


 それは執事自身のあれこれに対するものでなく、まずは主人の意向に沿えそうだということ。次に使用人たちの骨折りに対する労いの気持ち。

 その二点だ。


「さて――」


 やがて執事は書き物を終えてそれを棚に戻し、地下の倉庫へ向かった。通常使っている通路から、いくらかの手順を踏まねば入れないその場所で出発の準備をしなければならない。


「……まあ、今日は良いでしょう」


 倉庫の扉は、開け放たれたままになっていた。

 セクサが何度も確認したはずだが、うっかり忘れ物をした誰かがまたそのあとで開けたのだろう。


 いつの間に着替えたものか、執事は既に黒装束を纏っていた。そのあちこちに必要な物を仕込んでいく。


「そういえば、野外の大規模戦闘は久しぶりですね」


 地下にあるにしては広い倉庫だった。一人用のベッドを隙間なく置いていったとしたら、二十ほどは置けるだろう。

 それがいつもは、大仰な格好をした道具類で埋まっている。しかし今は床にも棚にも、空間が目立つ。


 使用人たちには目的と目標を示すだけで、具体的な実行方法まで言うことは少ない。今回もそうであるから、銘々が自由に状況を想定したはずだ。


 それぞれ特異な能力に秀でた者たちであるから、執事の想像を超えた行動をすることも多い。それを見て驚くことは、執事のささやかな楽しみではあった。


「羽目を外しすぎて怪我をしなければ、文句はないのですがね――」


 ぶつぶつ言う間に、執事の用意は整った。

 後ろから見ている者が居れば「一体いくつ持っていくのか」と問われるに違いないほど大量の武器を執事は手に取った。


 しかし今の姿は、準備を始める前と何ら変わらない。唯一違うのは両の太腿に鞘を括りつけた二本の短剣があるけれども、それ以外は衣服の膨らみも全く増していなかった。


 倉庫の厳重な扉を閉めると、単なる石造りの壁になる。

 鍵となる三本の釘を梁に投げつけてから、執事は軽く床を蹴ってその存在を消した。そこもまた閉ざされた場所である通路の扉は、どれも開くことはなかった。

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