第125話:黒衣の少女ー10

 自身の育った場所に似た忌々しい風情の集落を出て、フラウはエコリアに揺られ続けていた。ここしばらくはこればかりで、最早そのことには何の疑問もない。


 意外だったのは、てっきりブラムの傍に置いておかれるのかと思っていたのが、あっさり別のエコリアに乗ったことだった。


 用意されたのがこれだから、納得だけれどね。


 出発直前に着替えるよう言われたのは、薄いカーテンを引き剥がしただけのような粗末な衣服だった。


 ごわごわとしていて肌が傷だらけになりそうで、いかにも不潔そうな布地。色は黒と呼んで良いのだろうが、染め上げたのではなく、汚れに汚れが重なっているだけに見える。


「それがどうして、こんなエコリアに乗っているのやら」


 少しでも多く、ブラムさまの傍に居たいのに。


 切り刻んだ髪に似合った罪人風の風体になったというのに、乗せられたのは客車のあるエコリアだった。罪人の移動ならば、せいぜい良くて幌付きのエコリアだろうに。


 疑問を口にすると、恐らく監視役として同乗しているのだろう男は、気まずそうに顔を逸らした。その様子からして、演出の不手際を叱責されたのかもしれない。


「はあ――」


 どうしたんだろう。胸が苦しい。

 この一日か二日ほど、どうにも息苦しいような気持ちになっていた。実際に胸が圧迫されているような感覚もある。


 それに伴って、一つのことに意識を集中するのがとても難しくなった気もする。


 いえ、私は前からそうだったじゃない。


 前がどうだったか、今自分はこれでいいのか。そんなことを考えようとすると、靄がかかったように思考が前に進めなくなる。


 何か大事なことを忘れているような、違和感もある。


「まあ――ブラムさまの言う通りしていれば、間違いないわ」


 頭痛がしてきそうになって、そう言って考えるのをやめた。


 監視役の男はそれを「ああそうだな」と、訳知った顔で微笑む。その笑みは、卑猥な感情をフラウに感じさせた。


 集落を出てしばらくエコリアは酷く揺れていたが、かなり前からそれほどでなくなっている。大きな街道を走っているのだろう。


 それにしても久しぶりに会って、本当に良かった。

 ベッドで囁かれた愛の言葉の数々は、一つあるだけでも数ヶ月を生きていける。フラウはそんな幸福感に抱かれていた。


 なぜだかブラムのことを思い出したくもない、などと考えていたのはどこかへ消え失せていた。


 ふと、誰かに呼ばれた気がした。


 窓の外を見ると、これまでと変わらないのどかな街道沿いの風景があった。そこに人影は見当たらない。


 少しして、また何か聞こえた気がした。何か動物の声のようにも聞こえたが、エコリアに追従しながら鳴く酔狂な動物は居るものだろうか。


「後ろかしら……」


 席から腰を浮かせて外を見ようとすると、監視役の男は窓を閉めてしまった。


 何をするのかと苦情を言おうとしたが。ブラムに「言うことを聞くんだぞ」と言われているので、その気も失せた。


 それからすぐに、エコリアは速度を落としたようだった。


 監視役の男が窓を少し開け、外を見る。何を確かめたのか「よし」と漏らして、窓を再び全開にした。


 窓はそれほど大きなものではない、しかしそれでも、その風景の中にたくさんの人間が居ることを見て取れた。


 戦争でもするのかしら。


 誰もが武具を身に着けていた。それは揃いの物で、どこかの正式な軍勢であるようだった。フラウにその方面の知識はあまりないので、どこの軍勢かまでは分からなかった。


「これだけの人数の相手をしろと言われたら、さすがに壊れてしまうわね」


 華奢な自分の体を抱えて、フラウを肩を竦めた。監視役の男が横目でちらりと見て、意味ありげにふっと笑う。


 全員の相手をしろと言われたら、やるだけはやるけれど。この男の相手だけは避けられないものだろうか。


 この道中での男の表情は、フラウにそう嫌悪感を持たせるものだった。下卑ているだけでなく、姑息さが透けて見える。


 エコリアは軍勢の只中で止まり、フラウもそこで降ろされた。


 目の前には天幕の生地で壁がしてあって、後ろも天幕で遮られていた。壁の向こうには宿泊用に建てられた大きな天幕と、小さな天幕が一つずつあった。


 小さな天幕に入って待っているように言われて、フラウは従う。


 その中は敷物が敷かれ、簡易の寝床も設けてあった。フラウが一人で寝るだけのためには、そのベッドは広すぎるし贅沢すぎる。


 今日一日をどう過ごせば良いのかフラウは悟って、静かに時を過ごした。

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