第126話:指をくわえて
「何をしているんでしょう」
ロンジトゥードを僅かに外れた、ディアル領の北の牧草地。その合間に軍勢があった。
あの集落を出てから、ロンジトゥードの北端に当たる町に向かった。そこはリマデス領でも二番目に大きな、アクシラ。
そこの露店で果物を売っていた年配の女性から、領主のエコリアが南へ向かったと聞いた――もちろんそれはボクではなく、団長の聞きだした情報だけれども。
「野営だにゃ」
「そういうことではなくてですね……」
ボクとメルエム男爵は集落からの移動と同じく、街道の移動もオセロトルに乗った。キトンを大きくしたような姿の魔獣で、集落で発した団長の声で呼ばれたものだ。
その団長とトンちゃんは、自分の脚で走る。オセロトルの脚はエコリアと同じかそれ以上くらいに速いが、彼女たちはもっと速い。
オセロトルを呼んだのは、ボクと男爵に合わせていてはどうやっても追いつけないからだ。
おかげでディアル領に入って間もなく、リマデス辺境伯の紋章が付いた二両のエコリアに追いついた。
何度かフラウの名を叫んだけれど、反応はなかった。その上、距離を詰める前に、行く先が大軍の野営地だと分かった。
それで仕方なく追跡を一旦諦めて、良く言えば監視、悪く言えばただ眺めているのが今の状況だった。幸い、身を隠す小さな林くらいはいくらでもあった。
「何かのタイミングを待っているんだろうが――予想がつかないね」
「待って状況が悪化していくならですけど、そうとも限らないですよね」
「そうだね。悪い状況を重ねて作ってきたからここまでになったのであって、一つ一つはそこまでのことじゃない。これがとどめなのだから、一気に畳みかけるほうがいいに決まってるんだよ」
男爵の予想した、貴族でも最大級の兵力を抱えるリマデス辺境伯が反乱を起こし、北と東の隣国が一斉に攻めてくる。それよりももっと最悪なのが現実だと団長は言った。
しかしそれを男爵に予想することが出来なくても無理はない。今回の諸々の陰謀に、サマム伯やディアル侯が関わっていることなんて男爵は知らなかった。
ということは、ボクには考える材料があったということなのだけれど……頑張ろう。
「――首都に貴族が集まるのを待っているみたいみゃ」
野営地に入り込んでの偵察に行っていたトンちゃんが、いつの間にか後ろに居た。団長は涼しい顔だが、ボクは背中がびくっと震えるほどに驚いた。
「貴族が? どの程度なのか分かるかい?」
「いや。概ね想定通りと言ってただけだから、誰とかどこのとかは分からないみゃ」
もともと緊張感のある表情をしていた男爵も、驚いた様子はない。驚くほうが普通だと思うのに、実際にはボクだけなのが何だか悔しい。
「メルりんには、心当たりはないにゃ?」
団長は正体を明かしてから、男爵のことをそう呼び始めた。何だか可愛らしくて、鬼の副長とまで呼ばれている男爵に失礼ではないだろうかと最初は思った。
でも当の本人も、そう呼ばれることを喜んでいるらしい。
「首都に危険の及ぶ恐れのある大きな戦争になりそうなときには、子爵位の貴族は領地を置いて、国境方向や首都の増援に当たることが指示される。それが発令されているのかもしれない」
「領地を置いて?」
貴族は領地を持って税を取る代わりに、領民の生活を守る。もちろん権力者の側が有利であるのは間違いなく、建て前ではあるのだろう。
そうであっても、それこそ一大事に際して、それほど明確に領地を見捨てろとはどういうことだろう。この国はそんな非情な国だったかと、思いかけた。
「そう聞くと、冷酷に聞こえるだろうけれどね。考えてごらんよ。国境から伯爵位や侯爵位の軍勢を蹴散らしてきた敵に、子爵が手持ちの兵力だけで太刀打ちできると思うかい?」
「ああ――なるほど」
だからどこか場所を決めて、そこをみんなで守ると。それは合理的だ。
「今から攻め込む場所の兵力が充実するのを待つのみゃ? 頭がおかしいみゃ」
「私もそう思うよ。待っていた理由が、さっぱり分からない」
さっきの男爵の話によると、東の国境に近い貴族はきっと集まっているのだろう。ジューニが落とされている以上、そこからまた侵攻が始まるのは間違いない。
西もある程度集まっているのかもしれない。東がそういう状況で、相手が否定しているとはいえ、カストラ砦への実力行使もあったのだ。警戒するのが当然だろう。
しかし北方向は、それが行われていない。表向きにアーペン連合王国からの脅威は示されていないせいもあるが、もっと現実的な理由がある。
首都からロンジトゥードを北に走ると、まずサマム伯爵領に入り、その次はディアル侯爵領だ。そこからいくつかの子爵領を挟みはするものの、すぐにリマデス辺境伯領になる。
その三つの家は建国時からずっと王国を支えてきた名家で、領地も広く兵力も多い。その三者が北に対して何も構えていないのに、合間に居る子爵が何をする理由もない。
国内の緊張が高まっている中、ロンジトゥード沿いだけは安全だ。そんな弛緩が起きている中で、それを支えているはずの三つの家が反乱を起こす。
団長の言った最悪のシナリオは、正しく最悪だとメルエム男爵も愕然としたほどだった。
「今日は動かないみたいみゃ」
夕食の支度をするための、煙が立ち昇り始めた。団長もすっかり寝転んで、水袋の中身を飲み始めた。
あの飲みっぷりだと、中身は酒だな。どこで新たに手に入れたのやら。
ただ見ているしか出来ない状況に落ち着かないボクは「団長、ボクにもください」と珍しく自分から言った。
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