第122話:見つけた封筒

 そこは、もの悲しい雰囲気に包まれていた。

 草だけは刈ってある。柵で囲われた中と外では、別世界のようだった。


 季節の草花なんかも生えているけれど、誰かが手入れしているのでなく、たまたまそこに育っただけみたいだ。


 窓は全て閉じられて、柵の外に居るボクたちからは人の気配は見えない。


「おかしいな……」

「え、何がです?」


 メルエム男爵はボクの質問にすぐには答えず、何やら気になっているらしいところを何カ所か、目を凝らして見ていた。


「私は気付かなかったが、ワイヤーが張られていたんだろう? そんな警戒をしている場所で、見張りが誰も居ないなんてあるものだろうか」


 トンちゃんとコーラさんがフラウを探しに行って、まだ数分ほどしか経っていない。

 大きな町の郊外で開かれている孤児院にも似た雰囲気のこの集落は、それなりの広さがあって、捜索にはまだ時間がかかるはずだ。


 そんな短い時間に見張りの姿を見つけられなかったからと、焦る必要があるものだろうか。


「時間を決めて動いているとか、屋内から監視しているとか――」

「そうかもしれない。私は先を見過ぎるきらいがあるからね。でもおかしい気もするんだ」


 男爵の懸念は現実になった。

 間もなくトンちゃんとコーラさんが戻ってきて


「もぬけの殻みゃ」


と言ったからだ。


「昨日、今日くらいまでは、誰か居た跡はあるんだけどみゃ」

「フラウでしょうか……」

「たぶんそうだ」


 分かるわけないだろうと言われるかと思いきや、コーラさんは肯定した。


 匂いが残っていたのかな? とボクは想像できるけれど、疑問を表情に浮かべた男爵には分からないだろう。


 でも男爵は聞かなかった。ここでいちいち根拠を求めていては、時間の無駄だと考えたのかもしれない。


「追う手がかりは?」


 代わりに出されたその質問には「ないみゃ」と短く返される。


「では探そう」


 男爵は切り替えが早い。戦場での倣いなのか、ボクみたいにぐずぐずとした素振りが全くない。


「そうだみゃ」


 そう言ったのと、どちらが先だっただろう。トンちゃんは手近な扉を殴りつける。

 もともと錠もかかっていなかったと見えて、扉は素直に開いた。上下が二つに割れて、だが。


「乙女が触れただけで壊れるとは、やわな扉だね」

「時間があるなら、徹底的にぶち壊したいみゃ」


 ここまで見てきた身体能力に加えて、トンちゃんの外見からは想像できない腕力。そういったものを男爵はどう考えているんだろう。


「あはは。それはさすがに探し終わったあとにしてもらえると助かるよ」


 トンちゃんたちは、特に奥のほうを見てきたと言った。

 なので今度は、手前から見ていく。男爵は入り口から順に見るそうなので、ボクは一つ向こうの建物を見ることにした。


 建物は別だが、扉で繋がっている。入ってみると、最初の建物よりもゆったりした造りになっていた。


 一番奥の扉を開けると、中は広々とした寝室だった。

 毛布なんかはなくなっているけれど、シーツは残ってすぐにでも使える大きなベッドがそこにあった。


 触れてみても、体温や湿気は残っていない。しかし臭いは、男と女の臭いが入り混じって染み込んでいた。


「他には、と」


 ベッドの脇に置かれたテーブルに、手拭いが小さく畳んで置かれていた。これも臭いを嗅ぐ。


「フラウ――」


 いつもフラウが薄く匂いをさせていた、香水と同じ香りがした。


 ここに居たんだ、昨夜までは。その事実とシーツに残った臭いが何を意味するのか、それ以上を考えるのはやめた。


 見回すと、寝室の中にまた小さな部屋があるようだった。物置か何かだろうか。


 扉を開けると、やはりそうだ。掃除をしたゴミを溜めておくバケツや、洗濯前の布類。箒なんかの掃除道具が収められている。


 使用済みのシーツや下着を漁ってみたが、特に何もない。精液の臭いがして、嫌な気分が増しただけだ。


 ふと、バケツの中にくしゃくしゃになった薄紙があることに気が付いた。


「書き損じかな?」


 広げてみると、薄紙の封筒だった。封蝋を失敗して、破いてしまったらしい。差出人のサインまでしてあるが、癖のある字でよく分からない。少なくとも、フラウの書いたものでないことは分かる。


「汚い字だな……」


 男爵なら色々な人の文字を見る機会があるだろうから、読めるかもしれない。手がかりにはならないだろうけど、ここに居たのが誰か分かれば何かヒントにはなる可能性はある。


「男爵、これを読めますか」

「手紙かい?」


 建物を戻って、同じくゴミ入れを漁っていた男爵に声をかける。

 ボクの手も封筒も汚れているのだけれど、男爵は律儀に手を払ってから受け取った。


「ああ、読みにくい字――」


 言いかけた男爵の表情が凍る。


「男爵? どうしました?」


 よほど意外な人物の名前だったのか?


 二、三度ほど呼びかけても、男爵の意識がこちらを向かない。


 また何度も呼びかけて、ようやく「あ、ああ。すまない」と返事があった。


「これはどうにも、まずい状況のようだ。二人を呼んでくれないか?」

「え、はい。それは構いませんが。どうかしたんです?」


 ボクはキトンそのままの声を出すことが出来ない。でも、合図をするくらいのことは出来る。「にゃお」と、鳴き方を覚える前の鳥みたいに下手くそな音を出した。


「ああ――そうか、そういうことか。これは酷い話だ――」

「男爵、どうしたんです? それは誰のサインなんですか」


 考えごとをしているという素振りではあるが、普段の落ち着いた感じではない。もしかするとこれは、男爵が慌てふためいているという状況なのだろうか。


 だとすれば、このサインを残した人間は何者なのか。気になるどころの話ではない。


「このサインの持ち主は、リマデス伯。ブラム・マルム・アル=リマデス辺境伯だよ」

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