第119話:騎士の面子

「う……あう……」


 自分の呻き声が耳について、うるさかった。おかげで目も冴えた。


 周囲の薄暗い中を見渡して、昨夜訪れた店の中で眠ってしまったのだと悟った。

 硬い床から上体を起こすと、テーブルの反対の床にウィルムさんが眠っているのが見える。


 メルエム男爵はテーブルに突っ伏しているが、単に寝ているだけでも華麗な感じがした。


「……店は……だにゃ?  ……して……にゃ」


 低く抑えた話し声がしているのに気づいた。店の入り口で、コーラさんが外に居る誰かと話している。


 射し込む朝日にどうにか視線を割り込ませて、それがトンちゃんだと分かった。


「トンキニーズさん?」

「やっと起きたみゃ。これだけ話してて起きないのは、致命的じゃないかみゃ」

「ですね……すみません」


 これだけと言われてもどれだけか分からないが、それが致命的だという話だ。何も言えない。


「手配が終わったんです?」

「そうだみゃ。そいつを連れていくみゃ」


 そう言うとトンちゃんは店内に入って、ウィルムさんを蹴り起こした。


「時間がないから、とっとと行くみゃ」

「あ……お……う? ああ……」

「トンちゃん、頼むにゃ」


 ウィルムさんは全く以て前後不覚の状態だが、まあ問題ないだろう。


 あっという間に行ってしまった二人を見送ってから、ふと思った。


 時間がないと言ったわりに、ボクが目を覚まさなかったと馬鹿にするだけの時間は、そこに居たということじゃないのか?


「何かあったんです?」

「大したことじゃないみゃ。トイガーに任せておけば片付くにゃ」

「そう──なんです?」


 何もなかったとは言われなかった。

 詳しく聞きたい気持ちはあったが、メルエム男爵が目を覚ましそうだったので機会を逸した。






「君たちは……本当に速いな!」

「すみません、ペースを落とします?」

「いや、大丈夫」


 ハウジア王国を東西に分ける、巨大な楔のようなデクトマ山脈。その西の尾根を、北に向かった。

 ロンジトゥードやフォセト川と、平行に歩く格好だ。


 コーラさんの中身は団長なので、山道など全く問題にしていない。ボクも他の地形ならともかく、身軽なので普通のハンブルより山は得意だ。


 その二人に、男爵はよくついてきていた。

 思っていたより負けず嫌いらしく、時に先程のようなセリフも出るが、弱音は全く吐かなかった。


「そういえば、ウィルムさんは部隊に戻っても大丈夫なんです?」

「ん?」


 関係のない話をすれば気が紛れるかと思って、適当に頭に浮かんだことを聞いてみた。でも口に出してみると、意外にそれはボク自身の興味を引く話題だった。


「いえ、何というか。本来は居たらおかしいとか仰っていたので」

「ああ──規律に従わずに、勝手に戻っていたのかということかな」


 頷いて「そんな感じです」と答えた。

 そうであるなら、将軍のところに戻った途端に捕縛されるのではと心配した。


「いや、それはないよ。ウィルムの場合は面子の問題だね」

「面子ですか」


 騎士が面子を潰されれば、生き死にの問題にもなることは知っている。


 しかし規律を破ったのではないのに、奥さんの実家に帰っていることが面子の問題になるというのは意味が分からない。


「ううん、分かりにくいだろうね。面子と言っても、騎士には二種類あるんだ」


 首を捻るボクに、男爵は苦笑しながらも説明してくれた。


「一つは、自分の中にある譲れないもの。主君に立てた誓いであったり、自分の矜持であったり。それぞれさ」


 それは分かる。面子と聞いてイメージしたのは、そういうものだ。


「もう一つは、周囲に持たされるものだね」

「周囲?」

「騎士ならば、これはやって当たり前だろう。男なら、こうしておくべきだ。君もそういうことを言われた経験があるかもしれないが、騎士に対するそれは洒落にならなくてね」


 自分の意志に依らず、置かれた状況で勝手に変えられていく義務。


 それには心当たりがあり過ぎて、返事をするのさえ忘れてしまった。逆にぎゅっと、唇を噛み締めさえした。


「ウィルムは願い出るどころか、首都に戻ることを固辞していたんだよ。でもワシツ家に色々あっただろう? それで様子を見てきてくれと将軍が頼み込む形で、ようやく戻っていたんだ」

「そうなんです? それなら──」


 それなら全然、問題ないじゃないか。自分はそういう理由で、むしろ役目を果たしていると言えるじゃないか。


「そうだね。普通なら、それで問題ないだろう。でも騎士は違うんだよ。戦うべき時に戦う場所に居なくて、何が騎士か。そう言われると反論は出来ない」

「それは……つらいですね……」


 その義務感のようなものがどれだけの重さを持っているのか、たぶんボクには分かっていない。きっと今感じている何倍も重いのだろう。


「だから私も、彼に情報を与えていたんだよ。少しでも条件のいい時に帰ることが出来ればいいと思ってね。まあ戻ってしまえば問題はなくなるよ。表向きには、だけどね」


 下手な共感なんて、することも出来ない。それはウィルムさんを罵倒するのに等しい。

 相槌の域を出ない返事を「なるほど……」と返して、また気づいてしまった。


「あの……じゃあメルエム男爵も同じような……?」

「え、私かい?」


 思いのほか、男爵の反応は気軽な感触だった。


「私はその辺り、きちんとしているからね。根回しという奴さ」


 男爵は、軽やかに笑う。

 それは普段と変わらない、いかにも男爵らしいもので、根回しをしているというのを信じさせるに十分だった。


「大人の世界はどこも難しいですね」


 正直な感想を言うと、男爵は眉をひそめて「まったくだよ」と言った。

 尾根は延々と続いて、高度も増すばかりだった。

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